00522_令和の時代になっても、企業不祥事は絶対なくならない

企業法務、なかんずく、コンプライアンスについてのセミナーにおいて、冒頭、私がよく引用する事件があります。

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宗教法人の高野山真言宗(総本山・金剛峯寺、和歌山県高野町)の宗務総長が宗団の資産運用を巡り交代した問題で、外部調査委員会が損失額を当初の約6億9600万円から約17億円に訂正していたことが明らかになった(2013年9月11日の毎日新聞「高野山真言宗」「損失額、大幅に増」「外部調査委)」。その他、2013年4月22日付「朝日新聞」朝刊「高野山真言宗 30億円投資 浄財でリスク商品も 信者に実態伝えず 『粉飾の疑い』混乱」など多数の報道)
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高野山真言宗の八事山興正寺(名古屋市昭和区)の土地を無断で売却し、利益を不正流用したとして総本山の高野山側と前住職(69)が対立している問題で、名古屋地検特捜部は12日、寺事務所など複数の関係先を背任容疑で家宅捜索した(日本経済新聞電子版2017年9月12日20:50配信)
同寺の前住職らが約80億円を不正に流用したとして、現住職側が背任と業務上横領容疑で告訴状を名古屋地検に提出したことが16日、分かった。14日付。関係者によると、前住職は在任中の平成24年、寺の土地約6万6000平方メートルを学校法人に約138億円で売却。現住職側は、前住職がこのうち約25億円を外国法人に、約28億円を東京都内のコンサルタント会社に送金したと主張。いずれの送金先も前住職と関連のある会社だったとしている。前住職の代理人弁護士は取材に「告訴内容を把握しておらず、コメントは控えたい」と話した。高野山真言宗は無断で土地を売却したとして、前住職を26年に罷免しているが、前住職は「罷免は不当」として現在も興正寺にとどまっている。興正寺は名古屋国税局の税務調査を受け、27年3月期までの3年間に約6億5000万円の申告漏れを指摘された(産経WEST2016年9月16日12時57分配信)。
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という事件です。

実に味わいがある、というか、深い、というか、考えさせられる事件です。

「どこの金の亡者の話か?」
と思えば、千日回峰行(空海が教えた密教の修行)を完遂した阿闍梨(仏陀の「完全な人格」にかぎりなく近づいている高僧)もいらっしゃる、立派で、高邁な組織で実際あった事件です。

この話以外にも、宮司姉弟間の殺人で話題になった昨年末の富岡八幡宮事件や、カトリック教会の性的虐待事件など、
「我々、無知蒙昧で、欲まみれで、薄汚れた、迷えるダメ人間」
を導いてくださるはずの、
「難行苦行や修行や日々の祈りによって、欲を克服した、精神の高みに達したはずの聖職者の方々」
も、私のような小心者の想像を絶する、大胆で、えげつないことを、敢行します。

私も
「非日常」
を扱う弁護士という仕事をかれこれ20年超もやっていますから、そこそこヤンチャというか、えげつないというか、大胆な人間を知っていますが、このレベルのワイルドな人間は、弁護士からみても、かなりレアというか、メダリスト級です。

そして、特定の、という限定はつくにせよ、聖職者の方々が敢行された犯罪行為の凶悪さ、大胆さをみるにつけ、なんとも感慨深い気持ちになります。

すなわち、これらの事件やトラブルに接すると、
「どんなに立派な修行を積んでも、人間、決して、欲には勝てない」
という、シンプルだが鮮烈な事実を、我々に改めて再確認させてくれる、ということです。

この話が、何につながるか、といいますと、
「人間が欲に勝てない以上、法やモラルを守れといっても、本能と衝突した場面では、必ず、本能が法やモラルに打ち勝つ」
という社会科学上の絶対真実ともいうべき原理ないし法則につながります。

この文脈から、私が、かねてから唱えております、
「太陽が東から昇ってくることが永遠かつ絶対的であるように、企業不祥事は永遠になくならない」
という趣旨の結論に至ります。

人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません。

これは、歴史上証明された事実です。

「人間は、生きている限り、どうしても法を守れない」

「人間は、生きている限り、どうしても病気や怪我と無縁ではいられない」

こういう厳然たる事実があるからこそ、医者と弁護士という、
「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。

普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。

「人間は動物の一種である」
という命題です。

人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」
の一種です。

そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」
である人間は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、本能を優先します。

なんとなれば、我々は
「動物」
の一種ですから。

もし、本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、もはや、その人は
「動物」
ではなく、機械かロボットか人工知能です。

日々、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(心理学では、反態度的行動といって、立派な研究テーマを構成しているそうです)。

「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
という命題についてはそうとしても、人の集合体ないし組織である企業や法人はどうでしょうか?

「たとえ、赤字転落しても、正直に赤字決算を発表しようよ」

「どんなに切羽詰まっても、また、どんなに実質的に影響がないということがあっても、杭打ちデータのコピペは良くないからやめとこうよ」

「会社がつぶれても、我々の生活が破壊され、家族一同路頭に迷うことになっても、守るべき法や正義はある。ここは、生活を犠牲にしても、法令に違反したことを反省して、社会や外部からいろいろといわれる前に、非を認めて、責任をとって、会社を早急につぶそうよ」

企業に集う人間たちが、そんなご立派なキレイゴトを、意識高く話し合い、高潔に、自分の立場や生活や財産を投げ打って、家族を犠牲にしてでも、法を尊重していくのでしょうか?

ちがいますね。

まったく逆ですね。

人が群れると、

「互いに牽制しあって、モラルを高め合い、法を尊重する方向で高次な方向性を目指す」
どころか、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
という方向で、下劣な集団意識の下、理念や志や品性の微塵もない集団行動が展開していきますね。

では、
「企業の目的」、
すなわち、企業を
「人間」
となぞらえた場合の
「本能」
に相当するものは何でしょうか?

それは、
「営利の追求」
です。

弱者救済でも、差別なき社会の実現でも、社会秩序や倫理の発展でも、健全な道徳的価値観の確立でも、世界平和の実現でも、環境問題の解決でも、人類の調和的発展でも、持続可能な社会の創造でもありません。

そんなことは、ビタ1ミリ、会社法に書いてありませんし、株主も、徴税当局も、そんなことを根源的な目的として望んでいるわけではありません。

会社法のどの本をみても、例外なく、株式会社の目的を
「営利の追求」
としています。

こういうことから、
「本能」
レベルの観察でいうと、
「人が集まる組織である企業も、存続する限り、法やルールを犯さずにはいれない」
と断言できるのです。

無論、がんばって、精神力を発揮して、本能を押さえ込み、たとえ、利益やコストや納期を犠牲にしても、法を守り、ルールを守り、(目にみえないし、誰も調べもしないし、バレることもまずあり得ない)品質基準を守る、ということは、“一過性”の話として、実現することはなくはありません。

ですが、“永続的な持続可能性”の問題としては、そんな
「本能」
に反する話、長続きしませんし、長続きさせることは絶対的に不可能です。

下りのエスカレーターを登り続けるのがおよそ困難であるのと同様、やがて、本能が露呈し、構造的な無理は維持することができなくなり、コンプライアンス問題が発生し、構造化・恒常化し、大きくなり、露呈するのが時間の問題となります。

平成最後となった2018年も、たくさんの企業不祥事がありました。

日産、スバル、ヤマハ、KYB、日立化成、三菱日立パワーシステムズなどなど。

「平成の時代に、こんだけ、企業不祥事が出たから、株式投資で言う『悪材料出尽くし』じゃありませんが、令和の時代になったら、企業不祥事など、ビタ1つ出てこない、清廉で、潔白で、すみれの花のような、清々しい企業社会が訪れる・・・」
と皆さん、思われるかもしれませんが、・・・残念でした。

断言します。

令和の時代になっても、その次の時代になっても、次々と、たくさんの、ほんとイヤになるくらい、たっくさんの企業不祥事が起こるでしょう。

絶対です。

完全です。

100%です。

小心者で、度胸がなく、何より間違ったことを言うことが大嫌いな私は、めったに
「絶対」
とか
「断言」
という言葉は使いません。

ですが、この場面では、そんな私でも言い切れます。

繰り返しになりますが、
「令和の時代になっても、その次の時代になっても、次々と、たくさんの、ほんとイヤになるくらい、たっくさんの企業不祥事が起こるでしょう」
と、絶対、必ず、180%の確証を以て断言します。

人は法を守れない、組織も法を守れない。

人が本能に忠実であり、企業も、その本能、すなわち、利益の追求、根源的本質に向かって行動するべくデザインされた組織である以上、本能と法やモラルが衝突する限り、必ず、本能が法やモラルを乗り越えます。

ましてや、すべての情報が暴露され、瞬時に広がるネット社会。

昭和や平成の時代であれば、隠蔽可能であった
「企業内部の恥部」
を隠し通すなどもはや不可能です。

こういう話はさておき、平成の時代も終わりましたので、平成時代のヘマ、しくじりは、とりあえず、リセット・清算し、新しい御世を迎えましょう。

とはいえ、リセット・清算しても、煩悩は決してなくなりません。

御代代わり如きで、煩悩がなくなるのであれば、苦労はしません。

立派で、修行や祈りに人生を捧げた聖職者ですら、想像を絶する凶悪な犯罪やありえないくらい欲深さによるトラブルを起こすわけですから、人間、欲には勝てないし、煩悩は生きている限りなくなりません。

人間が、神でも人工知能ではなく、本能をもち、誤りを無限に犯す存在である限り、
「ミス、エラー、ヘマ、しくじり、ちょんぼ、モレ、ヌケ」
をやらかしまくることを素直に受け入れるほかありません。

私たち凡人ができることは、自分や自分の周りの人間がやらかす
「ミス、エラー、ヘマ、しくじり、ちょんぼ、モレ、ヌケ」
を予知・予測するとともに、常に不安に感じてこれら発生に備え、
「仮に起こってしまったら、早期に発見、特定し、その上で、大事が小事に、小事が無事になるよう、がんばるほかない」
という気持ちで、前に進んでいくだけですね。

私のような、リスク管理や有事対処のプロ(とかっこよくいっていますが、実際は、他人の不幸を生業とする事業者に過ぎません)としては、令和の時代になっても確実に発生するであろう事件の早期解決のためのアイデアを巡らせながら、事件に備えて英気を養うくらいです。

経営者も、私のような
「企業ないし経営者に仕えてリスク管理を実践する弁護士」
も、楽観的にならず、かつ、絶望もすることもなく、夢もなく、恐れもなく、
「人間は欲には勝てないし、ミスやエラーは決してなくならない」
と腹をくくり、不安を感じるセンスを鍛え、1秒でも2秒でも早くリスクを発見・特定し、正しく手を打ち、大事が小事に、小事が無事になるように、企業が危機をうまいこと乗り越えていただくよう、知恵やスキルを向上させていくだけです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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