00662_民事裁判官のアタマとココロを分析する(1):正義の実現や真実の発見より、スピードと効率性(訴訟経済)

民事裁判については、当事者にとっては命より大事なカネや財産や地位やメンツといったものがかかっていますが、社会全体や国家にとってみれば、民事裁判のテーマは、言ってしまえば、
「たかが一般市民同士のつまらないいがみ合い」
です。

訴訟など、別に起こしても起こさなくてもいい。

地裁・高裁・最高裁と何年も不毛な戦いを続けるのも自由、泣き寝入りするのも自由。

訴訟を起こしてしまった後でもいつでも和解したり取り下げたり放棄してもいい。

要するに、嫌になって、面倒になって、弁護士費用が続かなくて、時間やエネルギーを無駄にするのがアホらしくなって、試合放棄も途中下車も認められている、そんなくだらない争いです(社会全体からみれば、ですが)。

犬も食わない、猫もまたぐ、食えない、どうしょうもない無意味なケンカであり、当事者の都合でどうにでもなる、くだらない一般市民同士のしょうもないエゴの衝突、つまらない意地の張り合い、足の引っ張り合いが、民事訴訟の本質です。

そして、建前は別にして、本音や実体ベースで考察する限り、民事裁判官の最大の使命は、真実の発見でも、正義の実現でもなく、
「訴訟経済」
なのです。

すなわち、私人同士の揉め事など、
・お互い納得するか(あるいは裁判所がもつ「裁判官職権行使独立の原則(憲法76条3項)」という独裁権力をちらつかせて、脅しすかしの末、無理くり納得させるか)、
・相応の手続保障を尽くした上で、高裁や最高裁でひっくり返されないような設えを整え、相応の結論を出すか、
のいずれかの方法でチャッチャと終わらせることが重要なのです。

法とは、
正義とは、
真実とは、
事件の裏に何があったのか、
隠された真相とは、
などと、テレビのサスペンスドラマの暇な主人公ように、時間をかけて逡巡し、無駄な悩みをもって事件とダラダラ付き合う裁判官がいたとしたら、おそらく、滞留事件が多すぎて、最高裁事務総局から
「空気の読めないアホ」
と見限られ、
「関八州に立ち入るべからず」
といった感じで延々と僻地巡りをさせるか、とっくの昔に肩たたきをされて辞めさせられていると思われます。

国家が司法権という主権を握り締める以上、予算を割いてサービスとして民事裁判制度を国民に提供しなければならないため、公益性も乏しい私人同士のつまらんケンカに、頭が良くて給料の高い裁判官という公務員を雇い入れるなどして、裁判所という貴重な国家資源を整備することが求められます。

しかし、当然ながら、裁判所を運営するための国家資源(ヒト、モノ、カネ、情報資源や情報管理資源)は有限であり、しかも逼迫する国家財政においては、年金や景気や防衛や子育てなど他のもっと重要な政策目標達成のために使うカネを捻出するのに汲々としており、
「司法予算」
などという
「『(比較的・相対的な観点で)カタギとしてまともに暮らしている限り、あまりお世話になることのない、特殊な属性の方のための病理現象』を解消するたため、というワリとどうでもいいことのために使う予算」
については、増やしたり充実させたりすることは困難です。

このように、予算も人員も絞られているため、裁判所という組織の最大の正義は、
「この貴重かつ有限な資源を、効率的に運用して、日本全国各市町村において絶え間なく発生する民事事件や刑事事件をすべて、迅速に解決すること」
となるのも頷けます。

これを別の表現をすれば、先程述べた
「民事訴訟における訴訟経済の最大限の追求」
という裁判所という国家機関にとって果たすべき最重要課題が導かれることになるのです。

要するに、公式には表明されていないものの、民事裁判については、スピーディーかつ効率的に“解決”することがその最も重要な機能とすべきであり、個々の裁判官にとって最重要ミッション、というわけです。

ちなみに、“解決”という言い方をしたのは、含みがあります。

“解決”は判決とは限りません。

民事裁判のゴールは、
「判決」
ではなく、
和解や取り下げ・放棄・認諾を含めた「解決」
がゴールです。

「解決」
という点でいえば、地裁で
「判決」を下す
ということは、
控訴や上告で覆ったり変更されたりする可能性がある、
という意味で、
終局性がない、中途半端で、意義と価値が低い、
いわば
出来損ないの「解決」
となります。

そして、個々の民事裁判官は、マルキュー(東急電鉄が経営する渋谷のファッション・アパレル専門店が入っている109ビル)の店員さんのように、厳しいノルマ管理がされ、ノルマに追われる毎日です。

すなわち、処理事件の件数というノルマです。

ノルマを達成するとご褒美がもらえ、ノルマ未達とか滞留事件増加といった鈍臭いことをしでかすと、お仕置きが加えられます。

いえ、別に、金一封のご褒美とか、罰に青汁一気飲みとか、そんなどこぞのブラックな飲食チェーン店のようなものじゃないですよ。

裁判所という組織は、日本の組織の中でダントツに“支店数”が多く、かつ、およそ人間が居住し社会が存在する限り(人間が複数以上存在すると必ず事件が発生するので)、極地や僻地に至るまで”支店”拡散し出張っており、
「左遷先や転勤先が死ぬほど多い」
という特徴を持っています。

そもそも、裁判官のキャリア設計自体、
「悪事や非行を働いたわけでもないのに、定期的な転勤が実施され、突然、何年かに一度の頻度で、“都を追われ、配所の月を眺めること”がキャリアプログラムに組み込まれている」
ということもあり、この配転の権利を掌握するのが最高裁事務総局ですが、ノルマ管理上、成績の悪い裁判官は、僻地巡り、極地探検の割合が自然と多くなります。

他方で、ノルマをクリアし、成績優秀な裁判官は、左遷される数が少なく、花のお江戸の旗本暮らしを満喫できる、ということになるようです。

先程、“解決”というノルマ達成上のゴールを前提とすると、
「和解」がもっとも優れていて、「判決」は劣化版の達成目標、
と言いましたが、目先のノルマを上げようと、どんどん手続きを進め、じゃんじゃん判決を書きまくり、一見、滞留事件が一層されてノルマ達成できたとしても、
当該「判決」が控訴され、上級審で取り消され、変更され、ひっくり返ったり、さらには、返品されたり
といったことがあると、いわゆる
「全部売りきったと思った商品が、大量に赤伝票(返品処理)で戻されてきた」
と同じ状況となり、当該裁判官はかなり
「ダメ人間」
の烙印を押されることになるものと思われます。

ところが、
「和解」
は、終局的な解決なので、控訴できません。

要するに、現品限りのノークレーム・ノーリターンの売り切りセールみたいなもので、絶対
「赤伝票(返品処理)」
は生じません。

したがって、優秀で、効率とスピードを実現でき、ノルマをクリアし、滞留事件をどんどん処理する
「デキる裁判官」
は、判決をじゃんじゃん書くというより、和解をうまくまとめ上げられるスキルに長けた人間、ということになります(もちろん、事件の性質や当事者のキャラからして、和解が困難な事件や当事者については、「上でケチが付けられないように、入念に予防線を貼りまくった、ひっくり返りにくい、堅牢な判決」をそつなく迅速に書き上げることもできます)。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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