00665_民事裁判官のアタマとココロを分析する(4):証人尋問は退屈で無意味なセレモニー

一般に、
「証人尋問は訴訟の最も重要で、ドラマチックな場面」
などと考えられているようです。

東京地裁が取り扱う民事事件については、連日、法廷において、
鋭い尋問、
動揺する証人、
喧々諤々とした論争、
丁々発止のやりとり、
連発される異議、
飛び出す新証拠、
傍聴席を埋め尽くすたくさんの傍聴人、
身を乗り出す裁判官、
などとテレビドラマのような熱気を帯びた法廷劇場が展開されている、とイメージされる方も多いのではないでしょうか。

しかし、実際の民事訴訟においては、傍聴人は、関係者が数人いる程度で、ほとんどが無観客試合の状態です。
この点で、まずは舞台イメージの問題として、拍子抜けするほど地味で、緊張感とか緊迫感はほとんどありません。

そして、そもそもの話になりますが、尋問の成果をアピールする相手である肝心の裁判官自体が、ハラハラドキドキを期待していませんし、ひどい場合は、
「今日、どこに飲みに行こうか」
と考えながら半分寝ていたり、あるいは完全に寝ている状態の裁判官もいたりします(「裁判官も年季が入ると、魚のように、目を開けたまま寝られる」というウソかホントかわからないような噂話を聞いたことがあります)。

ちなみに、司法修習時代、実務修習で法廷の壇上に立って裁判官と同じ目線で本物の裁判を臨戦(観戦)するというプログラムがあるのですが、壇上で修習生で寝てしまうというライトな不祥事が結構な確率で発生します。

ご多分に漏れず、修習生であった私も尋問中に壇上で何度かやらかしましたが、その時、裁判官になるには、頭の良さよりも、忍耐力か、あるいは、
「当事者や代理人にバレないように、魚のように、目を開けたまま寝られる」
という特殊技能を実装しないと無理、と見切りました。

さて、実務経験に基づく蓋然性を基礎とする判断をする限り、裁判官としては、ハラハラドキドキ、ドラマチックなサスペンスを期待するどころか、むしろ、そんな状況が目まぐるしく変わるような例外状況や異常事態など、却って迷惑(非常に迷惑)と感じています。

すなわち、よほどマイペースで無能な裁判官を除き、普通に空気を読める普通の能力をもつ職業裁判官は、証人尋問の
「前」
において、事件の勝敗の方向性(業界用語で「事件の筋」などと読んでいます)や心証は、主張の中身や書面の証拠だけでほぼ決定済みなのです。

裁判所という組織については、
「訴訟経済」という絶対的正義を追求しつつも、
効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、
という組織課題もあり、このバランスを取りながら運営されています。

「訴訟経済」ということを考えれば、
欲にまみれ、怒りに打ち震え、感情的になったケンカの当事者の、要領を得ず、いつ終わるかわからない聞くに耐えない愚痴を、親切に寄り添って聞いたりするより、
長~~~いワリに中身のない話をミエル化、カタチ化、文書化、フォーマル化させて、文書と証拠として整理させて、妙なノイズを遮断した形で
「筆談」
させ、
それでチャッチャと結論出してしまえば、ラクだし、早いし、情緒的なノイズに振り回されることにより生じるべきミスやエラーも防げます。

とはいえ、試験、例えば旧司法試験や現在の司法試験予備試験を例にとって考えてみてください。

択一試験や論文試験といった筆記試験に合格しても、実際、口述試験で会って話してみると、
「口下手を通り越して、コミュニケーションがまったく取れず、まともな受け答えが不可能で、どう考えても法曹としての潜在的な適格性を欠いている」
という輩が紛れており、そういう例外的場合には(どんなに筆記でいい成績をとっても)不合格とせざるを得ない場合ということがあり得ます。

あと、優秀な成績で筆記試験で合格した後、口述試験の会場で登場したのが、金髪で、Tシャツ短パン姿で、サングラスをかけ、素足にサンダルで、ごつい金のチェーンネックレスで、巻き舌の関西弁でしゃべり、100メートル先からみても
「まんまヤカラ」
という人間であれば、いかに筆記試験で優秀な成績を収めたとしても、いってみれば、常識と倫理観が欠如した
「知能の高い、優秀な銀行強盗」
を法曹界に招き入れるというリスクが生じるかもしれないので、こういう人間も排除しなければならない。

このように、
「筆記試験に合格したことを以て、一定水準以上の能力を有する蓋然性が顕著で、合格の推定が相当程度及んでいる」
という場合であっても、選抜者全体の信頼性を担保するため、
「推定を覆す万が一の事態に備え、消極的・保守的確認」
をする必要が出来します。

そして、このような消極的確認を行うもっとも端的な方法は、筆談や文通である程度、話の筋や関係者のキャラを把握した上で、
「関係者や当事者に実際会ってみる」
ということに尽きます。

証人尋問もそのような趣旨で行なわれます。

ただ、そのような消極的意味合いがほぼすべてといってよく、
「証人尋問で、何か新たに発見したり、何か新たな事件の方向性を見出したり」
ということは、基本ありません。

両当事者の筆談や文通も支離滅裂で、話の筋も皆目見えず、どっちもどっちの状態で、さらに直接会ってノイズ混じりの愚痴や与太話を聞いたら、余計に混乱しますし、
「訴訟経済」
という民事訴訟における絶対正義を追求する観点からは、こんな不経済で非効率な方法は絶対やっちゃアカン、ということは明白です。

したがって、証人尋問において、いきなり全然違う話が出てきてまったく想定外の展開が出てきたり、状況を完全にひっくり返ったり、ということは滅多に起きないし、訴訟経済第一主義の裁判官としても、そんなことを望んでもいないし、むしろ、そういうドラマチックな逆転劇を生理的に忌み嫌っているものと思われます。

ただ、主張としても、書証としても、圧倒的に不利に立たされた当事者としては、そういう状況は受け入れるわけにはいけません。

一見、きれいに整ったストーリーや文書の裏側に、これを覆す状況や背景を見つけ出そうと躍起になります。これを反対尋問で、しんねりこんねり、突きまくるわけです。

これに対して、裁判所は、
「訴訟経済」
すなわち
「予断と偏見」
を以て、事件の方向性を決めて尋問に臨んでいる可能性が高く(というかほとんどこういう前提状況であり)、よほどの例外的事態でもない限り、「書証の面で不利な当事者が、反対尋問等で粗探しをして、些細な矛盾や齟齬や破綻を見つけて、鬼の首を取ったかのように快哉を叫んだ」という状況があったとしても、裁判所としては、当初の方向性を変えることは少ないです。

結果、証人尋問で、(主に依頼者向けの)派手なパフォーマンスで、一見すると反対尋問で相手をやり込めたような状況があったとしても、
「(些細な破綻や矛盾や齟齬はあったが)書証を覆すほどのものではない」
として、尋問前にすでに決定している態度を変えることがない、というのが民事裁判の現場で起こり得べき現実の状況なのです。

いずれにせよ、
舞台設定としてもギャラリーが皆無で地味ですし、
訴えかける裁判官自体が勝敗を決めてしまっていてしかも冷めていますし、
弁護士が反対尋問で大声で威嚇したり、
さらに相手の弁護士がこれに対する異議を出したりしても、
裁判官としても、つまらんケンカを見ているようにやる気なさげで面倒くさそうにたしなめるだけ、
張り切っているのは、弁護士と証人だけ、
という感じで、全体的になんとも空疎で、気だるく、結論がほとんど変わらない、負けそうな側のガス抜きと裁判所の
「手抜き」批判
を交わすための、無意味なセレモニー、というのが民事証人尋問の実像です(とはいえ、優勢の当事者としても、あまりにいい加減なことをしていると、旧司法試験や司法試験予備試験で最後の口述試験で落とされてしまうようなドジを踏むが如く、証人が重要かつ不利な話をはじめて暴走し、突然、状況が一変するような流れになる可能性もあるので、消極的確認手続きとはいえ、おちおち手を抜くこともできませんが)。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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