00667_民事裁判官のアタマとココロを分析する(5):「地裁で負けても高裁があるとか」舐めたこと考えてんじゃねえよ。日本は3審制でなくて、1.3審制なんだよ。

皆さんは小学校時代、
「日本の司法制度は三審制。地裁、高裁、最高裁、と、3回裁判のチャンスあり」
と習ったのではないでしょうか。

無論、それは形式上、論理上、建前上、間違いではないのですが、ただ、言葉と実態がかけ離れており、言葉を額面通り受け取ると、エライ目にあうようなお話といえます。

分かりやすく、実態に即した言い方をすれば、
「日本の司法制度は、一般的な民事・商事のトラブルを処理する裁判に関する限り、今や二審制となっており、最高裁はまず出てこない」
ということになります。

ちなみに、
「二審制」
すら形骸化されており、さらに大胆で分かりやすい言い方をすれば、
「1.3審制」
くらいになっています。

どういうことか、説明しましょう。

一般には知られていませんが、1996年に革命的に改正された新民事訴訟法が1998年に施行されました。

ベルリンの壁が崩れ去り、世界が資本主義によって市場一体化し、人・モノ・カネ・チエがグローバルレベルでぐるぐる回り始めた時代です。

そんな最中、行政が後見的に産業界の面倒を見る日本の市場構造は排外的であるとの批判を浴び、規制緩和が強力に推進されるようになりました。

規制緩和といっても、規制そのものがなくなるわけではありません。

そりゃそうです。

これだけ、人や企業がひしめきあって、蜜な関係を保って、複雑で高度な社会を形成し、それぞれが絡み合った経済活動や非経済的な社会的接触を日々あちこちで行っているわけです。

これで、
「殺すな、盗むな、犯すな。この法三章だけ。あとは、皆の自由だ」
なんて、古代に戻ったような文字通りの規制緩和を行ったら、それこそ社会は壊滅的な混乱に至ります。

要するに、
「規制緩和」
といっても、
「行政による、阿吽の呼吸による、不透明なわりに濃密で、関係者しか知らないような、規制」
が撤廃されて、ルールがすべて透明化・客観化されただけ、というのが事の真相です。

結局、行政が事前かつ裁量的に担ってきた規制対応を、行政が手を引いたので、あとは企業が勝手に法を解釈して自分のリスクやれと言われるようになったということです。

そして、予防法務は企業自ら弁護士を雇い入れて自己責任自己判断でやれということになり、紛争やトラブルは裁判でケリをつけるべしということで、それまで行政が主導して裁量的に処置していた問題が、予算もマンパワーも少ない裁判所に押し寄せることになったのです。

かくして、このような時代の要請に応えるべく、司法権力を担う裁判所は、大胆かつ静かに環境改善を行います。

民事事件のような
「一般ピーポーの意地や沽券(こけん)やエゴや欲得のぶつけ合い」
については、3回もかかわってはいられないので、よほど重要な事件でない限り、最高裁はシカト扱いできるようにして、実質二審制化しました。

その意味で高裁は、一般的な民事事件については事実上の最終審となり、その権威は飛躍的に高まりました。

また、
「実質最終審」
となった高裁も、
「エゴのぶつかり合い」
の事件の蒸し返しにいちいちかかずらっていられません。

その結果、高裁に上がってきた事件の6、7割程度は第一回期日で即日終結し、新たな証人尋問や論点整理は行わない、という運用が定着しつつあります。

その意味で、
「一般の民事の揉(も)め事も、地裁、高裁、最高裁と3回、きっちり事件をみてもらえるぞ」
というのは、
「理論上、建前上は、正しいが、制度運用の実体を考えると、現実的には正しくない、ファンタジー」
といった趣となっているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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