00672_民事裁判における証人尋問の意義

民事裁判(民事訴訟)における証人尋問について、テレビドラマでは、
「弁護士が議論をふっかけてやり込めたり、華麗な理論や学説を披瀝して無知な証人に知的優位性を誇示して黙らせ、勝ち誇る」
といったシーンをたまにみかけますが、これはまったくのデタラメです。

証人尋問は、議論をふっかけ、論争をして、意見を戦わせ、論破して事件の勝敗を決する手続きではありません。

さらに言えば、民事訴訟そのものについても、原被告の当事者も、その代理人である弁護士も、法律上の学説や意見や見解等を戦わせるような場面は、原則的には生じません。

というのは、民事訴訟の役割分担は、
「汝(当事者)、事実を語れ、我(裁判官)、法を適用せん」
という格言に現れているとおり、当事者が事実と痕跡を提示し、裁判所が法を解釈適用して事件を解決する、という扱いだからです。

医療(病気の治療)のアナロジーで解説しますと、患者が医者に
「私はインフルエンザA型なので、早く、インフルエンザA型に効く薬を出してくれ」
と訴えると、医者は
「何、あんた、勝手に病名語ってんの? 病名はこっちが決定するから。あんたに聞いてんのは病名じゃなくて、病状。とっとと、病状話してくれよ」
とたしなめられます。

要するに、
「患者(当事者、弁護士)が語るのは病名(法の解釈適用)ではなく、病状(大前提である法の解釈適用の小前提たる、事実関係とこれを支える証拠)を伝える」
という役割分担設計があり、この運営秩序を前提に、話が合理的かつ効率的に進めるという約束事がある、ということなのです。

無論、原則に対する例外もあり、知的財産権や国際訴訟や医療過誤や交通事故等、複雑で専門的な訴訟で、見解が定まっていない争点が事件の帰趨を決定づける場合などは、見解論争が生じ、裁判官も、それぞれの代理人に見解を示すよう促す場合もあります。

話は、証人尋問に戻ります。

証人尋問という手続きにおいては、証人は
「証拠方法」
すなわち
「証拠の道具」
として扱われます。

要するに、
「一定の事実が録音データや動画データとして格納されたUSBメモリ」
のように、
「事実の痕跡が『人間の脳』の記憶領域」
に格納された意味合いしか持ちません。

すなわち、証人は、民事訴訟の世界では
「歩く(動く)記憶媒体」「人間記憶媒体」
と同じ趣旨のものと扱われています。

この「証拠方法(証拠ツール、生身の記憶媒体)」としての証人
すなわち
「脳の記憶領域において事実を記録した生身の格納媒体」
を裁判に引っ張り出し、
証人尋問という「記録(記憶)再生手続」
を行い、その結果を尋問調書に記録し、
当該調書が「証拠資料」
として取り扱われ、事実立証に活用されます。

証人尋問とは、このように、レコードをレコードプレーヤーにかけて再生したり(古いか)、カセットテープをデッキにかけて再生したり(これも古いか)、CDをCDプレーヤーにかけて再生したり(これでも古いか)、ダウンロードした音楽データをスマホで再生したりする、そのような即物的な意味合いしかありません。

当事者の感受性は別にして、制度として、扇情的に攻撃したり、情緒的に反応したりするような要素は、もともと皆無なのです。

したがって、勝手に話を誘導したり威嚇したり困惑させたり議論をふっかけしたりするのは、ダウンロードした音楽データの再生状況が思わしくないからとスマホを叩いたり蹴ったり投げたりするのと同じ行為で、
「記録再生」
という即物的な営みにおいてはまったく無意味かつ有害です。

だからこそ、民事訴訟法は、
「尋問をする側が無意味で有害な行為に及ぶ際には、反対当事者に異議を申し立てさせ、止めさせる」
という仕組みを設け、即物的な
「記録(記憶)再生手続」
としての尋問手続がつつがなく運ぶようにしているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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