01011_企業法務ケーススタディ(No.0331):あの裁判官は正義というものをわかっとらん!

本ケーススタディーは、事例及び解説の概要・骨子に限定して要約・再構成したものです。
詳細をご覧になりたい方は、「会社法務A2Z」誌 2017年10月号(9月25日発売号)に掲載されました連載ケース・スタディー「鐵丸先生の 生兵法務(なまびょうほうむ)は大怪我のもと!」百三の巻(第103回)「あの裁判官は正義というものをわかっとらん!」をご覧ください 。

当方:
脇甘(ワキアマ)商事株式会社 社長 脇甘 満寿留(わきあま みする)
同社法務部 部長 執高 鰤男(しったか ぶりお)

相手方:
株式会社大洞家(オオボラケ)企画 大洞家 福男(おおぼらけ ふくお)
裁判官

あの裁判官は正義というものをわかっとらん!
当社は、昨年、あるプロジェクトについて、野心的な提案を予算内で積極的に出してきた中堅の代理店に依頼したところ、実施内容は提案書とはあまりにかけ離れたものでした。
激怒した社長は、残金支払を拒否し、すでに支払った費用の返還と心痛の慰謝料も含めた損害賠償を求め、東京地裁に訴えを提起しました。
ところが、裁判長には主張にケチをつけられ、渋くしょっぱい態度をとられ続けた挙句、尋問後に出てきた和解案は、到底容認できない内容です。
「裁判所には拒否通告を送る。
これであの裁判官も少しは頭が冷え、まともな和解案か判決を書いてくるだろう」
と、社長はいいます。

本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:民事裁判に「正義」は関係ない
裁判所の一般的な考え方として、
「民事裁判においては、原告・被告、それぞれのエゴがあるだけで、正義という普遍的概念は無関係」
という前提認識があるようです。
そもそも民事裁判は、
「法律上の論争や見解の対立や意見の相違が発生すれば必ず訴訟を提起しなければならない」
というものではなく、裁判を起こすも起こさないも、起こす側の自由です。
さらにいえば、訴えを起こしておきながら裁判を終わらせても(請求の放棄)差し支えありません。
国家賠償や公害や薬害、大企業のリストラや不祥事といった公益や正義の問題が含まれている民事問題もあるにはありますが、いかに公益や正義が含まれていたとしても、
「民事訴訟」
というゲームプラットフォームで、裁判を適切に機能させるためには、
「ゼニカネ、権利や義務、さらに法的立場」
といった私的問題に還元していくことが必須の大前提になります。

本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「正義」を叫ぶことの危険性
民事裁判の世界では、
「書かれざる、一般的な取扱いルール」
と考えるような不文律がいくつかあります。
「言い分はあっても、証拠がない。
これを『ウソ』という」
「契約があっても、契約書はない。
この約束は『妄想』と判断される」
「記憶があっても、記録がない。
この場合、当該記憶にかかる事実は『なかったもの(マボロシ)』と扱われる」
「常識など通用しない。
法律は常識に介入しない。
さらにいえば、法は常に、法を知り、法を狡猾に活用する、非常識な人間の味方である」
「日本の裁判所は、常に加害者に優しく、被害者に過酷である」
などなどです。
設例の場合、事態を放置し、途中までの契約代金を漫然と払い続けた当社が、“しょっぱい対応”をされたとしても、それが絶対的に間違いとはいえません。

助言のポイント
1.民事裁判においては、正義はなく、エゴの衝突があるだけ。民事訴訟において、「正義」を連呼しても、裁判所を辟易させるだけ。
2.「言い分はあっても、証拠がないと『ウソ』扱いされる」「「契約があっても、契約書はないと『妄想』と判断される」「記憶があっても、記録がないと『マボロシ』と扱われる」といった、民事裁判の不文律をわきまえておこう。
3.事件の紛争解決について独裁的権力を有する裁判所相手に、「正義」という名の安っぽいエゴを振り回し、ケンカを売るなど、言語道断。裁判所の相場や本音が大体把握できたら、現実に合わせて目標変更するなど適切なゲームチェンジをして、うまく切り抜けよう。

※運営管理者専用※

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

弁護士法人畑中鐵丸法律事務所
弁護士法人畑中鐵丸法律事務所が提供する、企業法務の実務現場のニーズにマッチしたリテラシー・ノウハウ・テンプレート等の総合情報サイトです