01561_ウソをついて何が悪い(11)_ ホリエモンとムラカミさんその4_日本の株式市場の今昔物語

前稿では、
「なぜ、ウソをついたホリエモンが実刑判決を食らい、ズルをして巨額の儲けを手中にした村上氏が執行猶予判決にとどまったのか?」
という問題提起をいたしましたが、この解明を行なってみたいと思います。

ホリエモンがやったことは、確かに
「(ちょっと)ウソをついた行為」
でした。

ところが、このホリエモンがついた
「ウソ」
というのが、
「ウソに寛容な日本社会においても、絶対許されないウソ」
であり、
「インサイダー取引とは比較にならない凶悪な罪で社会に回復不能な損害を与えた」
と考えられていたため、ホリエモンはムショ暮らしをさせられることになったと考えられます。

ホリエモンの行った粉飾決算行為の凶悪性を説き起こすには、日本の株式市場の歴史を紐解く必要がある関係で、以下、歴史のお話(といってもわずか30年とか40年そこそこの話です)をさせていただくことになります。

前世紀、すなわち1980年代、1990年代においては、日本の資本市場は、およそ未整備といっていい状況で、ウソやインチキが横行し、また、そのことは投資家や市場関係者から事実上容認されていました。

バブル期に膨れ上がった所有不動産の含み益を一切開示しない企業がいる反面、現在世間を騒がしているオリンパスのように損失を糊塗する企業もありました。

しかし、株式市場に出回る情報に正確性・信頼性を求めるのはどだい無理な話であり、その種の情報開示を求めること自体、無駄でした。

上場企業は自分たちの正しい決算内容を真面目に開示しようとしませんでしたし、他方、投資家サイドで、上場企業の決算内容やこれに基づく各種指標(PER、PBR等)を気にかける者はほとんどおりませんでした。

当時の投資家たちは、証券会社が勝手に指定する推奨銘柄や証券会社の営業マンのセールストークに依拠して取引し、
「上がった」「下がった」
と一喜一憂していました。

当時の日本の株式市場は、ある意味、プリミティブというか、牧歌的なマーケットだったのです。

ここで転機が訪れます。

1989年にベルリンの壁が崩壊しました。

これを契機に、東西に分かれていた世界が1つになり、20世紀末から21世紀にかけて、世界に単一の巨大市場ができ上がっていきました。

この、新たに誕生した
「グローバルマーケット」
においては、ヒト・モノに加え、カネも国境を飛び越えるように、これらの財は、自由に、かつ激しく、世界中を行き交うようになります。

そして、当然ながら、世界のカネは、GDP世界2位(当時)の日本の資本市場にも向かうようになったのです。

ところが、日本の資本市場は、前述のように、
「未整備のブラックマーケット(あくまでグローバルマーケットからみれば、という話ですが)」
のような状況でした。

すなわち、当時の日本の資本市場のままであれば、海外のカネは怖くて近寄れませんし、世界経済全体の健全な発展という意味でも好ましいことではありません。

そこで、21世紀に入るあたりから、日本の資本市場の基盤整備が急激に進められることになったのです。

要するに、日本の資本市場は、
「無法者が出入りする、ギリ札やイカサマが横行する、特殊な賭場」
から
「素人や海外の方も含めて、皆が安心して使える公共インフラ」
に脱皮することを目指し始めたのです(というより、世界のマーケットから、「早く、まともなマーケットを整備しなさい」と、強制的に命じられたのです)。

当時、銀行や証券の規制権限は大蔵省(現財務省)が掌握していました。

ところが、ここで、
「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」
というものが起こります。

ノーパンしゃぶしゃぶ事件とは、大蔵省接待汚職事件のことですが、
「当該接待が行われた特殊な飲食店の名称」
がそのまま事件名になったものです。

以下、事件の詳細を紹介します。

1997年の第一勧業銀行(現在は、合併によりみずほ銀行となっています)への利益供与事件において、
「大蔵省が同銀行検査で手心を加えた」
との疑惑が生じ、東京地検特捜部は捜査に着手しました。

そうしたところ、都市銀行、長期信用銀行、大手証券会社などから得た業務日誌や接待伝票の証拠で、多数の大蔵官僚が、当時、流行していた
「ノーパンしゃぶしゃぶ」
と呼ばれる特異な形態の飲食店で接待を受けていたことを把握しました(「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、上半身シースルーの衣装やトップレス姿で、かつ下着をはかない女性店員が、接客をするしゃぶしゃぶ店のことを指します。床を鏡張りにして、高いところにアルコール類を置くことで、女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がることで、来店客が女性の下半身を覗きやすくするような仕掛けもしていた店もあったようです)。

その後、官僚7人(大蔵官僚4人、大蔵省出身の証券取引等監視委員会関係者1人、日本銀行行員1人、大蔵省OB1人)が逮捕・起訴される事件に発展し、起訴された官僚7人全員、有罪判決(執行猶予付き)が確定しました。

また、大蔵省は民間金融機関に関する内部調査の結果を公表(1998年4月27日付)し、銀行局審議官の停職処分、証券局長らの減給処分等、計112人(停職1人・減給17人・戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人)に対する処分を行いました。

この問題の発生が契機となり、大蔵省から銀行や証券の規制権限が取り上げられ、同省銀行局及び証券局は
「金融庁(当初は、金融監督庁)」
という内閣府配下の独立の行政機関に変わったのです。

また、アメリカの横槍で仕方なく適当につくっただけで放置されていた証券取引等監視委員会(SESC)も人員・予算ともが大幅に増強されました。

この金融庁・SESCの両官庁が主体となって、資本市場の整備(といいますか正常化)が急速に進められました。

そして、2005年あたりには、日本の資本市場のキャラクターは、
「無法者が出入りする、ギリ札やイカサマが横行する、特殊な賭場」
から
「素人や海外の方も含めて、皆が安心して使える公共インフラ」
へと様変わりしていったのです。

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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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