01647_法律相談の技法13_初回法律相談(7)_プロコン(長短所)分析と態度決定

相談者との間で現実的で達成可能なゴールデザインが共有でき、
「スタート(現状、as is)とゴール(目標、to be)との間に立ちはだかる課題」
を発見・設定・定義し、
当該課題が複数にわたる場合は優劣・先後等について相互の関係や関連性を整理でき、
当該課題達成手段の創出・整理を終え、
各課題達成手段遂行のための動員資源の見積もりができた、
とします。

ここまでくると、初回法律相談は、最終段階です。

課題達成(解決)のための選択肢が浮上し、各選択肢についての動員資源の見積もりができれば、相談者は、それぞれの選択肢のプロコン(Pros and Cons、長短所)分析をして、当該見積りと期待値との相関性を考えてもらいながら、相談者に、

1 アクションを起こさない(泣き寝入りする)

2 何らかのアクションを起こす
1)創出・整理された選択肢(メニュー)の中から選ぶ
2)どれを選ぶにしても納得出来ないので、新たな選択肢を探して、「自分にとって都合のいい秘策」がどこかにある、との主観(妄想)を前提に、「当該秘策を持っている別の優秀な弁護士」なるものを探す旅に出る

3 決定を先延ばしにする

のいずれかの態度決定をしてもらい、初回相談を終えることになります。

ところで、
「各選択肢のコストや必要資源の高さ」

「期待値(成功の蓋然性)」
とは、見事に反比例の関係に立ちます。

すなわち、
「安くて、早くて、手軽な選択肢」
を選択すれば、
「期待値は低い、すなわち成功の確率は低い」
ということになり、
「成功確率を高めたい」ということであれば、
「カネと時間とエネルギーを要する、死ぬほど面倒な選択肢」を選択することになる、
という関係です。

例えば、
「相談者の相手方が義務や責任を認めず、こちらが求める金を払わない状況」
に直面した相談者が当該状況を改善するためには、自己制御課題として達成・解決し得る課題、具体的には
「(何らかの)強制の契機を働かせ翻意させる」
という課題に再定義し、
この課題達成を通じて
「義務や責任を認め、相談者が求める金銭を支払う」
という目標達成を企図し、
そこで、課題達成手段として、

3 弁護士名の内容証明郵便による通知書を送付する
4 仮差押えを申し立てる
5 調停を申し立てる
6 訴訟を提起する
7 仲裁申し立ての仲裁合意を提案する
11 詐欺だと警察に告訴する(ナンバリングは、01645のものを踏襲しています)

というものを創出して整理したとしましょう。

3の選択肢、
「弁護士名の内容証明郵便による通知書を送付する」
を選べば、比較的にお金もかからず、てっとり早く、労力も面倒さもさほど要求されません。

その意味では、お手軽で、動員資源もライトで済みます。

しかしながら、
「弁護士名の内容証明郵便による通知書」
などといっても、
「何の権力基盤もない、一介の在野の事務屋のつぶやき」
に過ぎません。

弁護士など一度も出会ったことのない、
「オレオレ詐欺」
に容易に騙されるような、純朴な、僻地の高齢の専業主婦の方であれば、そのような
「弁護士作成名義の通知書」
に驚愕し、態度を改めて、お金を払ってくれるかもしれません。

しかしながら、こういうものをもらい慣れている人間にとっては、あるいは相手方も弁護士に相談してプロの法律家のレビューのさらされれば、
「弁護士名の内容証明といっても、『DMやチラシや広告と同様の紙くず』に過ぎず、そんなもの振りかざしたところで、屁の突っ張りにもならない」
という至極当たり前のことが、0.5秒で見透かされてしまいます。

要するに、そういう
「目の肥えた」相手方ないし相手方の助言者
にかかれば、
「弁護士名での通知書」
などといっても、
「相手方の態度を変更させるような強制の契機」
として働きませんし、内容証明もらったくらいでは、
「義務や責任を認め、相談者が求める金銭を支払う」
という改善結果は得られません。

結局、振り返れば、
「無駄な手続きのために、弁護士に内容証明作成してもらうための費用や実費が無駄になっただけで、効果はゼロ」、
さらにいえば、
「『あれこれ勇ましいことを言っていたが、なんだかんだ言って、内容証明郵便で、嫌味を言う程度のことしかできないか。それほど、カネに困っているか、ケチっているのか。これでは、訴訟を起こすどころか、コスパの壁にぶち当たって、永遠に訴訟を提起してこないだろう』と足元を見透かされ、なめられ、体面を喪失して終わり、名誉感情を失うだけ、やらない方がよかった」
ということになり、無駄、無益どころか、
「ナメられ、バカにされ、コケにされる」
という有害な状況を自招した、
という愚かな事態に直面することになりかねません。

他方で、
「6 訴訟を提起する」
を選択すると、
相手は、強制的に裁判手続きにエンゲージさせられ、カネを払い弁護士を雇ってきちんと応訴すべきであり、これをせずに放置するとどんどん状況を悪化することになります。

また、訴訟の途中では、幾度となく裁判所が和解を勧告(和解勧試)が行われる可能性がありますが、この勧告は、いってみれば
「裁判の結論を左右する絶対的権力を有する専制君主が生殺与奪を背景に強制的に押し付ける和解」
であり、
「不合理に蹴り飛ばせば、敗訴を食らう」
という意味で、相手方を屈服させることが期待できます。

しかしながら、訴訟の提起及び遂行するコストは、
「弁護士名の内容証明郵便による通知書を送付する」
のとは比較にならないほど高額になります。

そして、1年から2年程度の訴訟を遂行するものとして、弁護士が見積もった稼働予算と、
「訴訟によって得られる利益とその蓋然性」
を考えた期待値とを比較すると、
「1万円札を3万円で買う」くらい
の経済的に不愉快な話になってしまう可能性があります。

例えば、先程の事例で、仮に、請求金額が300万円で、訴訟のコストが内部事務コストを含めると250万円とします。

経済的に考えれば、請求額300万円を満額取れるかどうかわからない、むしろ、取れない可能性も十分考えるべき状況であり、現実的期待値は100万円をはるかに割り込んでいるような経済的成果のための営み、といえます。

現実的期待値が100万円のプロジェクトのため、200万円をはるかに超える資源を動員するなど、明らかに不合理です。

したがって、相談者が合理的経済人であれば、
「アクションを起こさない(泣き寝入りする)」
という選択も、合理的で経済的で賢明この上ない選択肢として浮かび上がってきます。

なお、相談者によっては、
「カネをかけずにてっとり早い方法を選んだら、まったく役に立たず、むしろやらない方がまし。きっちり落とし前をつけようとして、訴訟提起という堅実な方法を選べば、1万円札を2万円で買うような決定になる。そんなアホな話があるか。どこかおかしい」
と考え出し、
「うまい、早い、安い」
という
「妄想・空想上の最善手」
があると信じて、当該解決策をひねり出すような弁護士を探し求める旅に出る方もいます。

「妄想・空想上の最善手があると信じて、当該解決策をひねり出すような弁護士を探し求める冒険の旅」
に出る相談者としては、
「『一般の弁護士には知られていない、特定の専門的な弁護士にだけ知られている、訴訟に勝利をもたらすような高い価値と決定的な意味を有する、この、類まれなる高度で貴重で価値あるこの、秘伝の奥義ともいうべき理論』を、これを知る日本でも数少ない弁護士である当職が、法廷で披瀝したところ、裁判官が刮目して仰天し、それまでの裁判の流れが一挙に変わり、9回裏で逆転満塁ホームランを放ったかのように、窮地に陥ったこの難事件を、鮮やかな完全勝利で終えることができました(爆)」
みたいなことをイメージされているのかもしれませんが、ツッコミどころが多すぎ、コメントしようがないくらいの与太話です。

訴訟や紛争事案対処というプロジェクトの特徴は、
・正解が存在しない
・独裁的かつ絶対的権力を握る裁判官がすべてを決定しその感受性が左右する
・しかも当該裁判官の感受性自体は不透明でボラティリティーが高く、制御不可能
というものです。

「正解が存在しないプロジェクト」
で、もし、
「私は正解を知っている」
「私は正解を知っている専門家を紹介できる」
「私のやり方でやれば、絶対うまくいく」
ということを言う人間がいるとすれば、
それは、
・状況をわかっていない、経験未熟なバカか、
・うまく行かないことをわかっていながら「オレにカネを払えばうまく解決できる」などというウソを眉一つ動かすことなく平然とつくことのできる邪悪な詐欺師、
のいずれかです。

そもそも
「絶対的正解が存在しないプロジェクト」
と定義された事件や事案については、
「正解」
を探求したり、
「正解を知っている人間」
を探求したりするという営み自体、すべてムダであり無意味です。

そりゃそうです。

「絶対的正解が存在しないプロジェクト」
と定義された以上、
「正解」
とか
「正解を知っている人間」
とかは、
「素数の約数」
と同様、世界中駆けずり回ったって絶対見つかりっこありませんから(定義上自明です)。

その意味では、
「『妄想・空想上の妙手・最善手』があると信じて、当該解決策をひねり出してくれるような、『スーパーで、ミラクルで、天才的に、うまく、早く、手軽に、相談者の望みを完全に実現するような解決ができる、麒麟やユニコーンと同じく空想上ないし妄想上の、魔法を使え、奇跡を起こせるミラクル弁護士』を探し求める冒険の旅」
は、最終的には、
「『できないことや、多額の時間と費用を要するような難事を、格安で、短期間に、さしたる労力を要さずに実現出来る』などと無責任に言い放つ、『経験未熟のバカ』か、『着手金欲しさに、真実とは程遠いほど極度に楽観的な見通しを真顔で告げる、善意の詐欺師』」
に捕まって、
「カネと時間と労力を無駄に費消して終わる旅」
になる危険性が高いと思われます。

なお、
「うまい、早い、安い」
という
「妄想・空想上の最善手」
を求める旅に出た相談者が、非法律的な手段、非合法な手段、反社会的な手段を提供する、
「組織的自由業者」
ともいうべき特殊な専門家集団(一般に、ヤクザとか暴力団とか言われる方々です)にたどり着くことがあります。

曰く
「前金なしの取り半(着手金ゼロだが、回収できたら半額が報酬)」
という好条件で、
「うまい、早い、安い」
という
「妄想・空想上の最善手」
を提案します。

裁判制度が整備された法治国家では、法的解決には時間とカネと労力がかかります。

そういう場合に、法律や理性ではなく、暴力に訴えて解決するのは、前近代的な社会では普通に行われていた紛争解決方法(今でも国家間の争い等では行われているようです)であり、論理上、思考上の1つの方法ないし手段としては、存在します。

ただ、法に違反してカネを取り返す、というのは、あまりにもリスクが高すぎておすすめしませんし、だいたい、ヤクザや暴力団に借りを作ると、たいてい高くつきます。

さらにいえば、その種のプロジェクトが成立すると、刑法上は、ヤクザや暴力団との間で、教唆犯や共謀共同正犯の関係に立ってしまい、今度は、ヤクザや暴力団に弱みを握られて、終生脅されることにもなりかねません。

「うまい話にはウラがある」
とはよくいったもので、こういうファーストトラック(近道)はたいていトラップ(罠)がそこら中にあったりします。

「急がば回れ」
ではありませんが、法的な方法や手段が面倒だから、反社会的勢力を使って非合法な手段に訴えるのは、最終的にはまったくワリに合わなくなる可能性もあるので、絶対おやめになるべきです。

最後の
「決定を先延ばしにする」
は、決断・判断ともいえないものですが、
「わかっちゃいるけど、納得できない」
というだけで、無駄な時間を費やし、機会損失が増えるだけですし、
「下手の考え休むに似たり」
ではありますが、果断に決断する方が、
「時間(という最も希少性ある資源)の消失と精神的消耗」
を防ぐという意味で、もっとも賢明な選択です。

以上は、すべて経済合理性の点のみから考察したものです。

無論、
「金銭に換算できない『プライスレス』な、取り組み価値」
を考えれば、訴訟等のようなコスパの悪い選択肢であっても、妙手として考えることができるかもしれません。

すなわち、
「事件処理対応のための総合的資源動員」
を総合すると、
「事件解決により得られるべき期待値」
との比較においてマイナスになる経済的リスクを孕んでいるということになり、
「1万円を得るために5万円を投じる」類の危険性
があることは、相談者においても百も承知という状況です。

そして、相談者としても、
「純粋に経済合理性を追求するのであれば、これ以上の埋没費用(サンクコスト)出捐を防ぐため、特段の対応を取得ることも理解しています。

しかし、相談者側で、
「『事件を放置することは、相談者の尊厳や体面やアイデンティティが不可逆的に毀損され、相談者個人としての内部人格均衡ないし情緒安定性や、相談者が企業である場合、法人としての組織内部統制秩序に対して、不可逆的な混乱・破壊・崩壊をもたらしかねず、また、『やられてもやり返さないと、そういう組織ないし人間と見下され、以後、やられっぱなしにされたり、際限なき譲歩を迫られたりして、生存戦略上致命的な不利を被る』というより大きな損失を発生する危険が見込めるため、巨視的・長期的・総合的に熟慮の上、事件の成否に関わらず、事件単体の局所的経済不合理性があっても、弁護士費用をかけて事件を取り組むことそのものが、全体的・総合的・長期的に、十分な経済的メリットをもたらす』との理性的かつ合理的判断の下、相談者が理解納得し、相談対応した弁護士の強い警告や遠慮と謙抑からの忌避に関わらず、本費用の取り決めに基づく依頼を強く要請する」
ということも考えられます。

要するに、
「こんなくだらない事件に勝利しても、せいぜい期待できる経済価値も100万円程度だが、他方でそのような結果を得るために必要な資源動員を総合すると全体のコストは1000万円になるし、経済的には愚劣なことであることはわかっているが、感情面として納得できないし、悔しくて夜も寝れないし、精神面のダメージとそれにより『前を向いて新しい金儲けに取り組めない』という機会損失は1億円以上になる。だから、これは、なんとしてでも、出るところに出て、ケジメをつけることに大きな価値がある」
という話です。

名誉毀損等による慰謝料(精神的苦痛)の支払いを求める訴訟で認められる賠償金認定相場は、極めて低廉で、せいぜい100万円とかです(精神的苦痛であり、いってみれば、気分が落ち込む、とか、気が滅入るといった程度の話なので、その程度の金銭評価になるのは、当たり前といえば当たり前です)。

しかしながら、メディアで醜聞報道をされた芸能人や政治家は、単価の高そうな弁護士を多数動員して、訴訟を提起します。

弁護士をそのような困難な訴訟遂行のために1年あるいは2年も動員すると、優に数百万円かかると推定されます。

もちろん、訴状に記載した請求額は、数千万円とか数億円なのでしょうが、実際に認定される金額が100万円前後であることは、火を見るより明らかです。

そうなると、そのような裁判を起こす芸能人や政治家は、
「1万円札を5万円で買っている」
ような愚かな行為をしている、ということになります。

もちろん、実際愚かだから愚かな行為をしている方もいるのでしょうが、上記の態度決定のエコノミクスとしては、
「黙っていれば認めたも同じ、と解釈されてしまう。訴訟を提起して、マスコミに対して威嚇し、自らの正当性を誇示するような行動(デモンストレーション)をしておかないと、事実を認めたことになるし、今後もナメられるし、世間体が悪い。そういう信用上のダメージを回復する価値は数千万円の価値に匹敵する」
という前提があって、上記のように、
「100万円程度の期待値」
に対して数百万円かけて訴訟を提起する、という態度決定を選択しているものと推察されます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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