01729_訴訟で”必敗”してしまうクライアントの偏向的思考と習性:バカで、幼稚で、怠惰で、外罰的で、傲慢で、ケチなクライアントは訴訟で決して勝てない_(6)ケチなクライアント

1 壮大な資源動員合戦・消耗戦の様相を呈する訴訟

あまり議論されていない点で、そのため、かなりの誤解があるのですが、訴訟はかなりのコストがかかります。

そして、訴訟に勝つのは、正しい方、真実を語っている方ではなく、訴訟という
「壮大な資源動員合戦・消耗戦」
を勝ち抜くコスト負担・資源動員負担に耐えられる側、ということになります。

この点については、下記をご覧いただければ、ある程度理解できるかと思います。

引用開始==========================>
(前略)
それなりの成果が出るように、真面目にやるとなると、気の遠くなるようなコストと手間暇がかかるのです。
無論、弁護士費用や裁判所の利用代金(印紙代)もかかりますが、この外部化されたコストは、費消される資源のほんの一部にしか過ぎません。
実際、訴訟を起こすとなると、原被告間において生じたトラブルにまつわる事実経緯を、状況をまったく知らない第三者である裁判所に、しびれるくらい明確に、かつ、わかりやすく、しかも客観的な痕跡を添えて、しっかりと説明する必要があります。
(中略)

前提としての体験事実の言語化・文書化
なお、「客観的なものとして言語化された体験事実を、さらに整理体系化し、文書化された資料が整えることが、裁判制度を利用するにあたって、絶対的に必要な前提」ということについてですが、事実経緯を、記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、文書化する、となると、どえらい時間とエネルギーが必要になります。
(中略)
スケジュールを確認し、前後の予定や行動履歴を、メールや通話記録をみながら、記憶の中で復元していき、手元の領収書や店への問い合わせや店が保管している記録を前提に、一定の時間と労力を投入すれば、状況を相当程度再現していくことは可能であり、さらに時間と労力を投入すれば、これを記録として文書化することもできなくはありません。
(中略)
すなわち、「がんばって5日前の昼飯のこと、思い出せ。思い出して、文書化できたら30万円あげる」と言われたら、ヒマでやることないし、あるいは期限や他の予定との兼ね合いをみながら、少し小遣いに困っているなら、その話を受けるかも、という感覚です。
このような言い方をすると、「でもそれって弁護士さんがやってくれるんじゃないの?」というツッコミが入りそうですが、それは弁護士と当事者の役割分担の誤解です。
弁護士は、事件の当事者ではなく、事件に携わったわけでも体験したわけでもないので、事件にまつわる経緯を語ることはできません。
無論、事件経緯を示す痕跡としてどのようなものがどこにあるか、ということも、直接的かつ具体的に知っているわけではありません。
弁護士は、そのあたりのストーリーを適当に創作したりでっち上げたりすることはできません。
たまに、依頼者から「思い出したりするの面倒なんで、先生、その辺のところ、適当に書いといて」という懇請に負けて、弁護士が適当な話を作って裁判所に提出してしまうような事例もたまにあるように聞きます。
しかし、こんないい加減なことをやったところで、結局、裁判の進行の過程で、相手方や裁判所からの厳しいツッコミを誘発し、ストーリーが矛盾したり破綻したりしていることが明確な痕跡(証拠)をもって指摘され、サンドバッグ状態になり、裁判続行が不能に陥りかねません(「証人尋問すらされることなく、主張整理段階で、結審して、敗訴」というお粗末な結論に至る裁判はたいていそのような背景がある、と推察されます)。
弁護士は、「記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、ある程度文書化された依頼者の、事件にまつわる全体験事実」(ファクトレポート)から、依頼者が求める権利や法的立場を基礎づけるストーリー(メインの事実)ないしエピソード(副次的・背景的事情)を抽出し、こちらの手元にある痕跡(証拠)や相手方が手元に有すると推測される痕跡(証拠)を想定しながら、破綻のない形で、裁判所に提出し、より有利なリングを設営して、試合を有利に運べるお膳立てをすることが主たる役割として担います。
いずれにせよ、真剣かつ誠実に裁判を遂行しようとすると、「弁護士費用や裁判所利用料としての印紙代という外部化客観化されたコスト」以外に、気の遠くなるような資源を動員して、クライアントサイドにおいて、「事実経緯を、記憶喚起・復元・再現し、これを言語化し、記録化し、文書化する」という作業を貫徹することが要求されます。

<==========================引用終了

要するに、訴訟に勝つのは、
・カネがあり、かつ
・カネに糸目をつけない
という側の当事者です。

これは、
「1万円札を10万円で買うくらいの気概を持たないと、訴訟を勝つ以前に戦い抜くことができない」
という極めて不愉快な事実を意味します。

ちなみに、
「カネがある」
という事と、
「カネに糸目をつけない」
という事とは、まったくの別事象です。

「カネはあっても、カネをケチる」
というタイプの当事者・クライアントも世の中には結構な割合で存在するからです。

このあたりの状況は、
「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」
にまとめてありますので、これをみれば、
「金持ちのほぼすべては、どケチである(※私も『ケチっぷり』では人後に落ちないので、褒め言葉です)」
という社会現実がご理解いただけるかと存じます。

2 訴訟のコスパを正常化させるための、訴訟の目的の再定義・再構築

例えば、債務不履行を理由として1000万円の損害賠償を求める、という事例を仮定します。

この営みを実践するために、コストのかかる弁護士を数名動員し、また、過去の曖昧な話を「ミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化」し、また話を根拠付ける動かぬ証拠を探し出して時系列に整理する、という企業内部の資源動員のため、総額で2000万円かかるとします。

しかし、この請求を法的に成立させる前提として、

1)言い分のミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化として、
(1)特定の約束をしたことと、
(2)その約束に背いたことと、
(3)当該約束違反が違法であり、
(4)約束違反に基づき特定かつ具体的な損害が発生し、
(5)その損害を数額として算定評価して、金1000万円を優に超える、
という各事実を具体的に主張し、
2)その主張をしびれるくらい明確に基礎づける根拠を提示し、さらに、
3)「そんなのウソだ」「FAKEだ」「誇張に過ぎる」「話がオーバー」といった相手方の反論を乗り越え、
4)何を考えてるか不明ながら強力な権限と裁量をもち、ブレまくる裁判所に、しびれるくらいしっかりと確信させる、というプレゼンを準備して、
5)当該プレゼンをしっかり、きっちり披瀝して裁判官のハートをガッチリ掴む

という形でプレゼンを大成功させる必要があります。

加えて、1000万円といっても、すべてうまく行った場合の話であって、
「担当裁判官が天動説的に抱いている常識・価値観・経験則・法解釈」
によって個々の裁判官毎にブレまくる
「当該裁判のローカル・ルール」
が不利な方向で発動する蓋然性も踏まえると、どんなに主張に正当性があり、確実な証拠が手元にあっても、現実的な期待値としては、700万円程度と考えられる、としましょうか。

700万円の期待値に対して、2000万円のコストを負担するとなると、単純に考えれば
「1万円札を3万円で買う」ような話
であり、明らかに馬鹿げています。

カネのある無しとか、ケチとかシブチン以前の問題として、経済合理性判断として、明らかに狂っています。

この
「訴訟というプロジェクト」
の経済合理性について、正常化させるための論理を構築しておかないと、

・「天動説的な幼児性精神構造を持つトップが独善的にもつ、『自己の常識や良識や哲学や価値観』という一種の『偏見』」の優位性・正当性を実証することを通じて「オーナー経営者の意地や沽券やメンツ」のために奉仕する、という目的だけだと、あまりにバカバカしくて誰もついて来なくなるでしょうし(表向きは真剣に協力するでしょうが)、また、
・弁護士としても「700万円のために2000万円かかりましたが、勝ったことは勝ったので、成功報酬として130万円ほどいただけますか」と言いだしたら、怒り狂ったクライアントに首を締められるかもしれませんし、さらに、
・上場企業などですと、株主総会において、「1000万円のために2000万円ものコストを費やしたのは善管注意義務違反だ」などと言われかねない、

といった状況に陥る危険があります。

したがって、単純に考えれば
「1万円札を3万円で買う」ような愚劣な話
を、正常化・正当化するようなロジックを整備しておく必要があります。

例えば、こんな説明ロジックです(筆者所属の弁護士法人が受任に際して確認する依頼者の意向表明です)。

引用開始==========================>
「本契約に基づく費用を含む本件処理対応のための総合的資源動員」を総合すると、「事件解決により得られるべき期待値」との比較においてマイナスになる経済的リスクを孕んでおり、ともすれば、「1万円を得るために5万円を投じる」類の危険性があることは、クライアントとして、十分な説明をし、強く、かつ明確に警戒を与えた。
加えて、「純粋に経済合理性を追求するのであれば、これ以上の埋没費用(サンクコスト)出捐を防ぐため、特段の対応を取らない」という選択もありうることを説明した。
しかし、クライアント側の意見ないしロジックとしては、
「『事件を放置することは、クライアントの尊厳や体面やアイデンティティが不可逆的に毀損され、クライアント個人としての内部人格均衡ないし情緒安定性や、クライアント法人としての組織内部統制秩序に対して、不可逆的な混乱・破壊・崩壊をもたらしかねず、また『やられてもやり返さないと、そういう組織ないし人間と見下され、以後、やられっぱなしにされたり、際限なき譲歩を迫られたりして、生存戦略上致命的な不利を被る』というより大きな損失を発生する危険が見込めるため、巨視的・長期的・総合的に熟慮の上、事件の成否に関わらず、事件単体の局所的経済不合理性があっても、弁護士費用をかけて事件を取り組むことそのものが、全体的・総合的・長期的に、十分な経済的メリットをもたらす』との理性的かつ合理的判断の下、クライアントが理解納得し、弁護士法人の強い警告や遠慮と謙抑からの忌避に関わらず、本費用の取り決めに基づく依頼を強く要請する」
というものであり、却って、クライアントから
「弁護士法人サイドにおいて、かような経済的均衡課題について慮り、口を差し挟むことは、一切不要であり、完全に放念されたし」
との強い表明がなされた。
以上のとおり、本契約に記載の各費用及び報酬の取り決めは、全てクライアントの一方的都合と事情に基づき、クライアント内部において経済性・合理性が十分検証されたものであり、他方、弁護士法人としては、本件受任を慫慂したものでも、求めたものでもなく、むしろ、
「受任に消極的・謙抑的であった弁護士法人に対して、クライアント側が『経済的に迷惑や損害を一切被らせず、また事後、態度を翻して、事件の成否による不経済等を法律上あるいは事実上も論難することは一切ないこと』を確約して、強く、かつ一方的に受任を求めたこと」
を起点として、徹頭徹尾クライアントの要望を反映し、具体化する観点で作成されたものである。
<==========================引用終了

要するに、「純経済的な勝訴期待値」だけ考えれば、

「純経済的勝訴期待値」<「全動員資源に関する総コスト」

となるかもしれないが、
「『クライアントの尊厳や体面やアイデンティティ』や『クライアント個人としての内部人格均衡ないし情緒安定性』や、『クライアント法人としての組織内部統制秩序に対して、不可逆的な混乱・破壊・崩壊をもたらさないための組織防衛上の定性的価値』」を含めて考えると、

{「純経済的な勝訴期待値」 +「『クライアントの尊厳や体面やアイデンティティ』や『クライアント個人としての内部人格均衡ないし情緒安定性』や、『クライアント法人としての組織内部統制秩序に対して、不可逆的な混乱・破壊・崩壊をもたらさないための組織防衛上の定性的価値』」} > 「全動員資源に関する総コスト」

として、訴訟の目的を再定義・再構築することで、前記のような
「訴訟のコスパ」
をめぐる議論の混乱や内部の経済合理的動揺を沈静化させることができるかもしれない、ということです。

3 訴訟のもう一つの目的・使い方

さらに、訴訟には、さらに別の目的あるいは使い方が浮上してきます。

例えば、
・訴えを提起する側が、動員資源を相当節約できる体制を維持できており(例えば、弁護士費用が安い、状況や記録が整備されていて、主張のミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化も、証拠の収集・整理・提出も簡単にこなせる)、
他方で、
・訴えられた相手側において、応訴するために、強烈に多大な動員資源を費消する(弁護士の稼働単価も、内部人件費も高額で、状況や記録も未整備で、主張のミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化や、証拠の収集・整理・提出も、凄まじく資源動員を要する)、
という関係性が看取できる場合、勝ち目がそれほどなくとも、あるいは、勝ち目がほぼなくても、訴訟を提起して、相手方を訴訟の場に引き込み、泥沼化させるだけで、相手方には、
「直面した『壮大な資源消耗戦ないし泥沼の消耗戦』に手を抜いたり、中途半端に対応した瞬間負けることになるので、これに真摯に対応せざるを得ず、そのためのコストや資源を投入し続けなければならない」
という意味ないし文脈において、凄まじいダメージを与えることが可能となる、という事実が浮かび上がってきます。

すなわち、たとえ、起こしてきた訴えがあまりにもデタラメで
「勝ち目がほぼない」
という状況であっても、放ったらかしにしておいたり、手抜きをしたら、
「専制君主国家の独裁君主」
並の権力と裁量を握持する裁判官の不興を被り、たちまち優位性を喪失して、勝ち目云々に関わらず、あれよあれよという間に訴訟に負けてしまいかねません。

そして、勝ち目があろうとなかろうと、(不当訴訟などと言われない程度ないし限度において)少しばかりの理由と根拠があれば、訴訟を提起できる、ということは、憲法が同法32条の裁判を受ける権利として、明確に保障しております。

この点、原告が、自然人でも法人でもなく、人格なき社団ですらなく、
「ウサギ」
を原告とした訴訟が提起されたことがあります。

ウサギが原告って、どうやって、本人尋問とかするのでしょうか?
というか、つれてきたウサギは、原告のウサギなのか、あるいは、別のウサギなのか、原告本人尋問なのか、証人尋問なのか、を明らかにするために必要かと思いますが、どうやって明確にするのでしょうか?
証人尋問でも原告本人尋問でもいいのですが、ウサギ語で質問するのでしょうか?
通訳はいるのでしょうか?
通訳は正しくウサギ語を通訳しているのでしょうか?
どうやって通訳の正確性を確認するのでしょうか?
原告ウサギが生息する奄美から東京地裁につれてくる過程で、ウサギが寂しくなって死んでしまわないでしょうか?
死んだら死んだで訴訟の受継とかどうやってやるんでしょうか?

とか、普通に考えたらいろいろツッコミどころがあるのですが、一応、訴訟が係属して、結構な長い時間、訴訟が行われたようです。

もちろん、結果は、却下となりましたが、こんな裁判だって、憲法32条の裁判を受ける権利が保障されている関係で、訴訟が提起できてしまうのです。

訴訟は当然のことながら自らの正当な権利を実現するために使われるべき手続ですが、以上の状況を前提とすれば、あくまで事実上・副次的なものですが、
「『キング・オブ・法律』の憲法が認めた、合法的嫌がらせ手段」
としての効果ないし機能も内包しており、副次的機能ないし効果に着目して
「相手にプレッシャーを与えるため」
「裁判外交渉では埒があかないので、相手を交渉の場に引きずり出すため」
「相手を壮大な資源動員合戦・泥沼の消耗戦に引きずり込み、これを回避させるために、和解に応じさせる、という目的ないし展開予測を前提として、外交・軍事上のオプションの一つとして機能させる」
という使い方等が可能となってしまう、ということです(もちろん、小心者で臆病者の私めは、そんな大それた真似は到底できませんが)。

4 小括

いずれにせよ、
「訴訟が壮大な資源動員合戦であり、泥沼の消耗戦であり、主張内容の正しさや証拠の信用性云々ではなく、カネがない方、カネをケチった方、訴訟の経済合理性に疑問を抱いた挙げ句おざなりに対処した側が負けてしまう」
という、不愉快な現実が厳然と存在します。

そういう意味では、
「カネがないクライアント、
カネあってもカネをケチるクライアント、
あるいは
カネがありケチではないが、訴訟の経済合理性に納得できずに、おざなりな対応に終始するクライアントは、
訴訟において必敗する」
という言い方も、訴訟の実情を考えれば、あながち間違いとは言い難いのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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