01933_株式市場が単なるカジノとは違って、産業経済的に大きな意味をもつ理由

株式市場に参加する方は、そこで、儲けることを企図しています。

誰も、損をするつもりで参加しておらず、売りであれ、買いであれ、長期保有であれ、短期売買であれ、現物であれ、信用であれ、参加者全員は、儲けようと思って、株式市場に参加しています。

その意味では、株式市場は、カジノや賭場、競馬場や競輪場と同じ性質をもっています。

日経新聞や会社四季報は、いってみれば、投資家にとっての競馬新聞や競馬ブックと同じ意味合いをもちます。

私は、競馬はやりません。

何十年も前に友人に連れられて京急だかモノレールだかに乗って競馬場に行って、馬券を買って、レースを観たことはあります。

ですが、何が楽しいのかまったくわからず、それ以来、まったく競馬とは接点がありません。

駅の売店や、コンビニに行くと、競馬新聞とか、競馬ブックといった競馬ファンのための新聞が置いてあるのを目にします。

これら特殊な新聞は、一見して読む気が失せるくらい小さい字で、暗号や記号や呪文のような難解で判読不能なデータがぎっしりつまっており、競馬に興味のない私にとっては、まったく用のない新聞です。

ですが、競馬をやる人にとっては、大事な情報源のようで、
「(こう言っては失礼ですが、)普段、本とか新聞とかあまり読まなさそうなオジサンたち」

「徳川埋蔵金の在り処を示した地図」
「ナチスの隠れた財宝が隠された場所に導く暗号文」
を見るかのように、買って手にした瞬間、目を皿にして必死に読んでいる姿をみかけます。

もし、競馬に興味のない私が、
「競馬新聞とか競馬ファンとかを、きっちり読んで、理解しておけ」
と言われると、とんでもない苦役となります。

理解が困難ということもさることながら、競馬をやらない私にとって、無意味で無価値で無用なデータを目にすることそのものが、とんでもなく退屈で苦痛です。

他方、私は株や指数先物といった投資活動はやっています。

無論、暇つぶしのゲーム感覚で、お小遣い稼ぎの趣味程度ですが。

私にとって、日経新聞や日経ベリタスは、日々刻々と変化する投資に関する貴重な情報がぎっしりつまっており、新聞が届けられたらすぐに目を通します。

最近では、ネットで朝4時には紙面更新されますので、早く起きたときなどは、新聞取りに行かなくても、ベッドの中でスマホでブラウズできたりもしますし、非常に便利になっています。

市場の動向や、市場に影響を与える政治動向や事件や騒動、また、これらイベントがどのように関連し、影響を与えあって、どのようなインパクトをもたらすか、といった、事象解明に関する解説記事を含め、毎日、ほぼすべてに目を通します。

競馬ファンが競馬に興じる際に、予測の根拠となる最新のデータや解析結果を強い興味をもって追い求めるのと同様、私も、日経新聞から、強い興味と探究心をもって、情報を入手し、読解に努めます。

年配のサラリーマンの方が、若いサラリーマンに
「社会人になったら、日経新聞くらい読まなきゃ」
と諭す姿を見かけることがあります。

いや、普通、読まないでしょ。

大学出たばかりで、企業社会も経済も知らず、投資にも縁がない、社会人1年生にとって、日経新聞など、競馬をやらない私にとっての競馬新聞と同じです。

「社会人になったから」
という理由だけで、経済に縁のない人間にとっての無意味な暗号や記号や呪文な羅列のような
「日経新聞を読め」
というのはあまりにも無理があります。

私がもし
「あなたも、大人になったんだから、競馬新聞くらい読まないと」
と言われたら、感覚遮断して無視します。

私ならこう言います。

「社会人になったら、勉強と思って、FXでも指数CFDでもいいから、マーケット環境と紐づく投資をやってみたら? 最初は、勘で適当にやったらいいよ。そのうち、欲が出て、儲けたい、損を避けたい、と思ったら、自然と勉強したくなるから、そうなったら、日経新聞とか読んでみたら。より深く、投資を楽しめるよ」
と。

要するに、何のメリットも意味も価値も脈略も目的もなく、
「経済を勉強しろ」
「日経新聞を読め」
という指示は、
競馬に興味のない私に
「競馬新聞や競馬ファンをがんばって読め」
というのと同じ指示であり、プロジェクトの設定と構造において、本質的な無理があるのです。

構造上、本質上の無理がある、ということは、
「降りのエスカレーターを昇れ」
というのと同様、一過性の実現は可能であっても、持続可能性がなく、そのうち破綻します。

経済学とは、私なりの理解で言えば、
「一定の地域ないし社会集団において、限られた資源をうまく活用して、そこにいる連中全員を、食わせ、幸せにする、あるいは、当該地域ないし集団をリッチにする」
というゲームミッションを達成するための、ゲーム戦略の体系です。

「集団構成員が、おのおの欲の赴くまま、市場における交換を通じて、富を増殖する自由なゲームに興じさせれば、構成員が豊かになり、国全体もリッチになる」
という戦略の流派があったり、
「市場が失敗することもあるから、集団構成員に好き勝手にさせるのではなく、大きな破滅に至らないように、ちょいちょい政府がお節介をした方がいい」
という流派があったり、
「集団構成員に勝手なことをさせたら、絶対大きな破滅に至り、うまくいかない。政府が完璧な計画を策定し、構成員の自由を否定して、徹頭徹尾、政府の指示どおりさせた方が、皆が幸せになる」
という流派があったり、また、最近では、
「今まで、集団構成員は、皆、『頭がよくて、合理的な行動をする』と思っていたが、意外と、馬鹿ばっかだし、アホなことばかりやってる。『なんだかんだ言って、結局、皆、バカばっか』という前提で社会システムを設計した方が、最適な資源配分や国富増大が可能となる」
という流派が出てきたりしています。

しかし、こんな
「ゲーム戦略の体系」
をガチで学ぶ必要性があるのは、ゲームプレーヤー、すなわち、当該地域を支配するエスタブリッシュメントである、日銀関係者か政府関係者くらいです。

したがって、日銀に入ろうとか、国家公務員総合職試験に合格して、財務省や経済産業省等にでも入ろうというなら、経済学は必要であり重要ですが、それ以外の仕事につくなら、経済学、
「一定の地域ないし社会集団において、限られた資源をうまく活用して、そこにいる連中全員を、食わせ、幸せにする、あるいは、当該地域ないし集団をリッチにする」
というゲームミッションを達成するためのゲーム戦略の体系を、必死こいて学ぶ必要性は乏しいです。

もちろん、
「日銀行員や公務員を目指さないなら、経済学の勉強は不要」
とまでは断言しません。

すなわち、派生的・副産物的な使い方として、経済学の考え方を使ってビジネス課題を解決することは可能ですし、前述のとおり、投資家がマーケットの行く末を予測する際、政府や中央銀行の行動の意味や動機や背景を分析する際の説明原理としても有用性があるからです。

「『別に、日銀に行くわけでもなく、公務員を目指しているわけでもなく、経済学を使った課題解決をするようなプロジェクトとの関係ない人間』に、趣味や教養やたしなみとして、『経済原論を学べ、金融論を勉強しろ、財政学、公共経済学、国際経済学、国際貿易論、国際金融論を勉強しろ、日経新聞を読め』などと説教臭く指示すること」
は、
「競馬をやらない私に競馬新聞を読め」というのと等しい、
持続不能に陥ることが明らかな、無意味な苦行を強制しているのと同じです。

競馬が好きそうだけど、純文学や哲学書や学術書とか絶対読まなさそうなオジサンも、競馬新聞とか競馬ブックは真剣に読みます。

考えようによっては、競馬新聞も競馬ブックも、一見して読む気が失せるくらい小さい字で、暗号や記号や呪文のような難解で判読不能なデータがぎっしりつまっています。

競馬をやらない一般人にとって、この特殊な文字や記号の羅列が盛り込まれた新聞を読むのは、マルセル・プルーストやミシェル・フーコーを読んだり、IPS細胞に関する学術論文の読解に匹敵するくらいのリテラシーとエネルギーが必要となります。

「欲や興味というのは、すさまじいエネルギーを生み出す」
ということをしみじみ感じます。

「純文学や哲学書や学術書とか絶対読まなさそうなオジサン」
をして、
「これに匹敵する難解なデータが詰まった抽象的な文字が踊っている新聞」
に没頭させる情熱と探究心とリテラシーを身につけさせるわけですから。

人間、年齢や立場に関係なく、生きている限り、欲はあるはずであり、金に興味のない人間はいません。

その意味では、
「投資で金を増やす」
という活動について、適切な誘導の下、きちんとエントリーさえできれば、その奥深さに魅了される可能性は高いと思います。

話はかなり脱線しましたが、
・ある観察においては、株式市場は、カジノや賭場、競馬場や競輪場と同じ性質をもっている
・同様に、日経新聞や会社四季報は、投資家にとっての競馬新聞や競馬ブックと同じ意味合いをもっている
ということが言えそうです。

となると、次の疑問として、
「株をやるのも、カジノをやるのもあまり変わりないなら、なぜ、政府関係者や日銀が、しかめっ面して、株価、株価と、株式市場のことを気にかけるのか?」
というものが出てきます。

確かに、株式投資も公営ギャンブルも同じであれば、株のことと同様に、競馬の勝ち負けのことももっと報道の光をあてても良さそうです。

あるいは、
「株なんてギャンブル」
「株式市場参加者は、昼間からボートレースにうつつを抜かす正体不明の中高年と変わらないし、株のことだけ取り立ててニュースになるのは意味不明」
という言い方もできそうです。

しかしながら、株式市場と賭場とは、公益性という点でまったく違います。

株式市場は、
「金儲けを目論む山っ気の多い参加者」
に対する
「公益ギャンブル」
として開設されているのではないのです。

もちろん、
「金儲けを目論む山っ気の多い参加者」
も排除せず、歓迎しています。

しかし、株式市場が世に存在する理由は、
「資金をうまく活用して、真っ当に成長する企業に、正しく、効率的に資金が提供されることを通じて、経済が発展する」
という点にあり、産業社会を発展させる公共インフラとして極めて重要なものなのです。

カジノやパチンコや公営ギャンブルやヤクザの賭場がなくなっても、産業社会はなくなりません。

他方で、株式市場がなくなったり、機能不全に陥ると、産業社会、ひいては資本主義経済が成り立たなくなります。

日本中、いや、世界中から、できるだけ多くの
「金儲けを目論む山っ気の多い参加者」
に参加してもらい、正しい情報が、偏りなく、速やかに情報が行き渡る形で売買してもらい、適正な株価が決定され、このことを通じて、企業に提供されるべき資金が競争的かつ効率的に行き渡ります。

効率的に行き渡った
「カネ」
を得て、企業は
「ヒト」
「モノ」
「チエ(開発資金に基づく研究開発)」
を実装し、成長します。

そして、成長性のない企業、成長を諦めている企業、資金を無駄に溜め込んでいるだけの企業、資金の使い方が賢くない企業、問題を起こして儲けより損失が多く今後の成長ないし維持が危ぶまれる企業、統治がデタラメでまともな組織運営が行われていない企業などは、株式市場で低い評価しかされず、そういうダメ企業には
「カネ」
が行き渡らなくなり、ついには、市場から退場させられます。

また、情報に虚偽があったり、情報の伝播に偏りがあったり、ズルやイカサマやインチキが横行すると、市場が歪み、資金における適材適所が維持できなくなり、
「ヒト」
「モノ」
「開発資源」
が効率的に行き渡らなくなり、経済システム全体が機能不全に至り、最後には国が滅びるのです(これは大げさな言い方ではなく、ソビエト連邦は、「ヒト」「モノ」「カネ」「開発資源」が効率的に行き渡らなくなり、最後には破綻しました)。

以上のような点から、株式市場が、
「金儲けを目論む山っ気の多い参加者」
に金儲けゲームの場を提供するものでありながら、 単なるカジノとは違って、産業経済的に大きな意味をもつ理由があるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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