02162_企業法務における安全の構造_ヒヤリハットは“共有してこそ”意味がある

ヒヤリハットは「共有しないと」意味がない

「ヒヤリとしたが、報告するほどではない」
「現場ではよくある話だ」
「あとで話題にしても、どうしようもない」

ある作業員は、こうも言いました。
「一瞬だけ危なかったんです。でも何も起きなかったし、わざわざ言うことでもないと思って・・・」
こうした言葉が、組織の中で交わされているとすれば、それ自体が重大なリスクの兆候です。

ヒヤリハットは、インシデントや重大事故の
「予兆」
です。

その場で収まったからといって、組織として学びを止めていい理由にはなりません。

それどころか、組織の安全文化を測る
「リトマス試験紙」
とも言えるのです。

けれども現実には、そうしたヒヤリハットが共有されず、記録にも残らないまま、日々、見過ごされていきます。

そしてそれが、企業法務にとっての
「構造的な盲点」
となって、じわじわとダメージを蓄積させていくのです。

ある製造系企業での事例です。

作業員が
「足を取られそうになった場所」
があったものの、その報告は上がりませんでした。

2週間後、同じ場所で別の作業員が転倒し、労災に。

また、あるSaaS企業(*)では、顧客情報の更新作業中に操作ミスが起きましたが、事なきを得たため未報告。

組織には何の記録も残らず、改善もなされないまま、3ヶ月後に全く同じ操作ミスで情報漏洩が発生しました。

事故が起きたときに、こう言われるのです。
「そういえば、前にも似たようなことがあった」
「その時に共有されていれば、防げたのではないか」

ヒヤリハットとは、まさに
「事故の芽」
です。

そして、その芽が組織の中で摘み取られないまま、無言のうちに広がっていくのです。

ヒヤリハットが共有されない背景には、個人の怠慢よりも、むしろ
「構造の欠如」
があります。

「報告しづらい」
「小さなことだと軽視される」
「言った者負けになる」
そんな空気が、組織に根を張ってしまっているのです。

この空気を温存する限り、ヒヤリハットは
「経験者の中だけで完結する知見」
になってしまいます。

組織は学べず、リスクの蓄積は繰り返される。

これこそが、企業法務にとっての
「リスクそのもの」
です。

そもそも、事故は突然起きるものではありません。

必ず、何らかの予兆があります。

そしてその予兆は、
「感覚」
で捉えられても、
「共有」
されなければ組織には届きません。

ヒヤリハットは、共有されてこそ意味があるのです。

一人の気づきを、組織全体の
「構造的知見」
に昇華させる仕組みこそが、必要なのです。

ヒヤリハットは「感覚の蓄積」で終わらせてはならない

企業法務の視点から見たとき、ヒヤリハットには2つの重要な意味があります。

(1)インシデント未満の「兆し」への備え
(2)事後的責任論における「把握・判断」の説明可能性

後者は、訴訟や行政処分、監督官庁対応の局面で、必ず問われるポイントです。

「過去に同様の兆候はなかったか」
「それにどう対応したのか」

この問いに答えられなければ、
「組織は備える機会を自ら放棄していた」
と見なされても反論できません。

つまり、ヒヤリハットの放置は、
「感覚で済ませたこと」
ではなく、
「組織としての過失」
と見なされるリスクをはらんでいるのです。

ヒヤリハットを「共有可能な構造」にするために

このリスクを防ぐには、教育や精神論では不十分です。

必要なのは、共有できる「構造」です。

たとえば、

・スマホでも入力できる簡易な報告フォーム
・報告内容の分類ルールと可視化の仕組み
・定期的なレビュー会議での運用ルール
・報告→改善→報告のサイクル化
・報告者を守る評価制度とガイドラインの整備

こうした仕組みを通じて、
「ミエル化」
「カタチ化」
「言語化」
「文書化」
「フォーマル化」
を実現する構造が、初めて組織に根づくのです。

ヒヤリハットを
「気のせい」
で終わらせない。

それが、リスク管理の基本であり、企業法務の使命でもあります。

リスクを防ぐのは感覚ではなく構造

ヒヤリハットは、共有されなければ
「存在しなかったこと」
になります。

しかし現実には、そこにこそ最大のリスクが眠っているのです。

「まだ事故にはなっていない」
という静けさは、必ずしも安全を意味しません。

ただ
「何も記録されていないだけ」
かもしれないのです。

だからこそ、法務部門には
「感覚の防止策」
ではなく、
「再現可能な構造としての事故予防設計」
が求められます。

法的トラブルが発生してから動くのではなく、その
「芽」
を拾い、構造に変え、未然に防ぐ。

そこにこそ、企業法務の本質的な価値があります。

そしてそれが、組織における安全文化の成熟度を測る、もっとも重要な尺度なのです。


(*)SaaSとは?
SaaS(サース)とは、「Software as a Service」の略で、ソフトウェアを買って入れるのではなく、インターネット経由で使うサービスのことを言います。
たとえば、勤怠や経理、顧客管理やファイル共有など、日常の業務ツールが「ログインすればすぐ使える」かたちで提供されます。
使いたい機能だけを選べて、システムの管理も含めて外部に任せられるのが特徴です。
今では、多くの企業にとって欠かせない存在となっています。
(出典:デジタル庁「政府情報システムにおけるクラウドサービスの利用に関する基本方針(2023年9月)」)
https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/e2a06143-ed29-4f1d-9c31-0f06fca67afc/5167e265/20230929_resources_standard_guidelines_guideline_01.pdf

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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