会社をつぶしたら取締役はその損害すべてについて責任を負わなければならないか、というと、必ずしもそうではありません。
たしかに、取締役は、株式会社から経営の委任を受けた者として、高度の注意義務を負っています。
ですが、他方、キリスト教世界に地獄があるように、資本主義社会に倒産はつきものであり、倒産したら取締役がすべて結果責任を負え、なんてことを言い出したら、誰も取締役にならなくなり、株式会社制度、ひいては資本主義社会自体が成り立たなくなります。
また、取締役の経営判断といっても、市場の状況や自社の経営資源等を勘案しながら、複雑な状況において、タイムリーに判断することが必要であり、当該状況において何が正しい経営判断か、といわれても確たる答えが出るようなものではありません。
そこで、取締役の重い責任から解放するロジックとして
「経営判断原則(ビジネス・ジャッジメント・ルール)」
といわれるものがあります。
判例(東京地方裁判所平成10年9月24日判決、判例タイムズ994号234頁等所収)は、
「ところで、取締役は、会社から委任を受けた者として、善良なる管理者の注意をもって事務を処理すべきであるとともに(旧商法254条3項)、会社及び全株主の信任に応えるべく会社及び全株主にとって最も有利となるように業務の遂行に当たるべきであり(同法254条ノ3)、もちろん法令、定款及び総会の決議を遵守しなければならない(同条)。
一方、取締役による経営判断は、当該資本政策等の方法、相手方、その交渉等の時期・方法等はもとより、当該会社の事情、当該業界の状況、我が国のみならず国際的な社会、経済、文化の状況等の諸事情に応じて流動的であり、しかも複雑多様な諸要素を勘案してされる専門的かつ総合的な判断であり、一方、委任者たる会社又は株主においては、当該取締役に会社の経営を委ねたからには、その経営判断の専門性及び総合性に照らして、基本的にその判断を尊重し、もって経営を遂行する上においてその判断を萎縮から解き放って経営に専念させるべきであるということができるから、取締役による経営判断は、自ずから広い範囲に裁量が及ぶというべきである」
と小難しいことをいっています。
要するに
「取締役の経営判断には裁量があるので、よほどのことがない限り、後から細かいこといって全部取締役の責任にしませんよ」
と、いっているわけです。
株主代表訴訟を提起され被告となった取締役側の弁護士としては、彼を弁護するストーリー構築方法として、こういうロジックを持ち出し、
「被告取締役の属する業界における通常の経営者の有すべき知見及び経験」
を基準として、
・問題プロジェクトについては、当該目的に社会的な非難可能性がない
・またその前提として当該プロジェクト開始にあたっての事実調査に遺漏がなかった
・調査された事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなかった
・その事実に基づく行為の選択決定に不合理がなかった
・だから、今回の件は誰も予測できなかった不幸な出来事であるし、事後的観察からは判断にミスがあったとしても経営判断の原則により付与された裁量は何ら逸脱していない
という感じで反論設計をしていくことになります。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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