00528_企業法務ケーススタディ(No.0193):「社外取締役として関わっている企業が破綻し、株主代表訴訟を提起されたケース」を想定した紛争法務テクニック

1 事例
「株式会社アキ代にオマカセ!(以下、「アキオマ社」)」
は、株式の100パーセントを和田アキ代が所有する人材派遣会社である。
アキオマ社には和田アキ代自身は取締役に名を連ねていない。
アキ代は、アキオマ社の社主として、いわば院政のかたちで自社を牛耳っているのであり、アキオマ社はアキ代が全権を掌握する典型的なオーナー会社だ。
代表取締役は峰竜介というこれまた典型的な佞臣タイプの名目社長。
代表取締役としての権威も権力もなく、アキ代の意向を正確に社内外に伝えるだけの
「性能のいいメガフォン」
である。
アキオマ社の年商は150億円。
なかなかの数字であるが、人材派遣業の粗利水準に比して、経常利益は非常に薄い。
支出が異常なほど大きいからに他ならない。
今回の主役、石田鈍一は、そんなアキオマ社の社外役員に就任した。
石田は、渋谷と六本木で不動産業「株式会社不動産倫理文化開発(以下、「不倫文化開発社」)」を経営する社長である。
毎年売上は大きく変動するが、平均すると年商15億円ほどの売上があり、主に水商売向けの賃貸物件斡旋では定評がある。
ところが、石田は、バブル期に海外不動産投資に手を出して大やけどを負い、また、政治に目覚めて選挙に出たが惨敗したり、プライベイトでも、離婚でモメたり、息子が警察のご厄介になるなど幾多の不幸が重なり、投資の負債やら選挙の際の借金やら離婚の慰謝料やら弁護士費用やら支出がかさみ、3年前には石田個人も不倫文化開発社もすっかり左前になっていた。
そんな中、石田が以前から知己を得ていた和田にお金の工面を泣きついたところ、
「じゃあ、うちの会社の社外役員をやればいいじゃない。
捨扶持と思ってちょっと面倒見てあげるわよ」
と提案され、二つ返事で引き受けた過去がある。
それからしばらくたってからかつての恋人からアイデアを得て始めた
「野菜のソムリエ」スクール事業
や、現在の夫人と共同で始めたゴルフスクールという2つの新規事業が大当たりし、不倫文化開発社はすっかり持ち直した。
しかし、従前の経緯で石田はアキオマ社の社外役員業務を引き続き行っていた。
社外役員業務といっても、月に1回、夕方にアキオマ社の会議室で1時間ちかく峰のつまらない話を聞いたあと、朝方までアキ代の飲みに付き合えば月額70万円ももらえるおいしいポジションだった。
昨秋、アキ代は初めてヨーロッパを訪れた。
単なる買い物旅行であったが、現地イタリアである男と知り合ってしまった。
スハダに柄シャツ、皮のジャケットを粋に着こなす、不良っぽいラテン中年を絵にしたようなイタリア人、ズラーロモである。
日本に在住経験のある彼は、日本語に堪能であった。
ラテン系男子特有のノリに一発でまいってしまったアキ代は、その後、1ヶ月に一度はイタリアを訪れることとなる。
ズラーロモがどのようにアキ代を想っていたかは知る由もないが、少なくともアキ代は彼に惚れてしまった。
4度目の訪問のとき、ズラーロモはアキ代にある計画を打ち明けた。
ズラーロモ「洋服や靴のセレクトショップをやりたいんだ」
アキ代「いいわよ、やってみれば。お金のことは心配しなくてもいいわよ」
ズラーロモ「グラッチェ、アキ代。愛してるよ」
帰国後、アキ代は峰を呼んだ。
アキ代「イタリアに進出するわよ」
竜介「イ、イタリアですか?」
アキ代「そう、イタリアよ。
なんか問題でもあるの?」
竜介「イタリアで何をするんですか?」
アキ代「ショップに決まってンじゃないのよ」
竜介「イ、イタリアで?」
アキ代「ちゃんと仕切れる人間があっちにいるから大丈夫よ。なんか文句あんの!」
アキ代「それと、イタリアとの往復もかなりの数になるから、プライベートジェットを買うわ」
竜介「プ、プライベートジェット!! いくらすると思ってるんですか?」
アキ代「知らない。いくら?」
竜介「20億円はしますよ! そんな大金使ったら、いざというときの備えがなくなり、大変なリスクとなりますよ」
アキ代「いざというときは、銀行でもなんでも借りてくればいいでしょ! とっととやんなさいよ」
竜介「・・・はい」
峰は暗澹たる気分になった。
もはや道楽を超えている。
しかし、オーナーには絶対服従だ。
やるしかない。
こんな状態で、峰は、総額40億円もの予算を確保し、社内では
「アモーレ」
というコードネームが付されたイタリアプロジェクトを取りまとめた。
そして、峰は、定例の取締役会議の際、経過を説明した。
「セレクトショップ? しかもイタリアで? なんでそんなことをやるんですか?」
と、当たり前の質問をしたのは社外取締役の石田鈍一だった。
峰は、
「オーナーの決定です。答える必要はありません!」
といって睨み付けた。
こちらもこれまでの恩義がある手前、強く反対することもできなかった。
石田はそのまま沈黙してしまった。
ところが、ズラーロモはとんだ食わせ者だった。
現地法人を作り、ミラノに本店を構えたが、事業が軌道に乗らない間に、フィレンツェとヴェネツィアにも支店を出した。
それができたのは、プライベートジェットを担保に多額の融資を取り付けことによる。
しかし、もとはといえばその日暮らしの単なるジゴロである。
ビジネスのセンスなど皆無。
売上も満足に立たないのに、ただただ経費を使いづけるだけで、そのうち、ホテルオーナーの別の金持ち日本人女性と交際をはじめるや、飽きて店にも顔を出さなくなった。
やがて、アキオマ社の借金は膨らんでいき、またアキ代の強烈な独裁ぶりに社員がどんどん離反し、ついに200億円に近い負債を抱え、破産した。
そんなある日、石田鈍一は、債権者から損害賠償請求をされた。
「オレ? マジ? なんで? オレ、単なる社外役員だよ」
アキ代は人材派遣会社以外にも化粧品会社等多数の会社を所有しており、破産直前に、峰に株を押しつけ、アキオマ社は
「株式会社竜介におまかせ!」
に商号変更した上で、ゾンビ会社として幽霊のように存在するが、逆さにしてもホコリも出ない状態で、債権者も相手にするのをやめてしまっている。
「なんでオレが? オーナーだろ、責任は・・・」
裁判は進んでいった。
残念ながら、かなり雲行きが怪しい。
このままでは多額の賠償責任を負い、すっかり立ち直り、優良企業となった不倫文化開発社が債権者の手に落ちてしまいかねない。
果たして、石田はなぜこんな事態に陥ってしまったのだろうか?
何が悪かったのだろうか? 
これを回避する術はあったのだろうか?

訴訟の被告となって大慌てしている石田鈍一さんが、訴訟対策として取るべき戦略を述べていきたいと思います。

2 状況の整理
まず、ケースのおさらいですが、本件において、原告は、会社法429条を根拠に、アキオマ社の取締役の石田鈍一さんが重大な過失に基づき、
「本来であれば反対すべきような経済的合理性を欠如した事業投資」
に賛成したことにより、会社が倒産し、債権者に対して回収不能相当額の損害を与えた、としてその賠償を求めているものと考えられます。
ちなみに会社法429条には
「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う」
と書いてあります。

3、 敵を知る・その1(敵を分ける)
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
とは孫子の兵法でも有名な一節ですが、これは訴訟対策にもあてはまります。
すなわち、訴訟対策を行うためには、敵を知る必要があります。
本ケースが紛争に発展した場合、敵は何を考え、どう行動しようとするのか、具体的考えていきましょう。
ここで、通常、
「敵」
というと訴訟の相手方、すなわち石田鈍一さんに対して訴訟を提起してきた原告の債権者を思い浮かべますが、裁判において
「敵」
として注意しなければならない存在はこれだけではありません。
弁護士は、訴訟の相手方だけでなく、裁判所も
「場合によっては自分に不利な方向で事件をさばく可能性があるという文脈において敵である」
という認識の下、漫然と裁判所を信頼することなく、その動きを注視し、手続の方向や心証の動きをきちんとみておくべきであり、そうしないと思わぬところで足をすくわれます。
すなわち、裁判というゲームにおいて、生殺与奪の鍵をもっている裁判所であり、その裁判所が判断の基礎を置く法律や判例というのが、訴訟の相手方以上に危険かつ厄介な存在であり、もっともケアしなければならない存在です。
かなり前になりますが、ノーベル賞も取った某大学教授とその教授が所属していた企業との発明の対価をめぐる東京高裁での紛争がありましたが、その和解直後、当該教授は記者会見において
「日本の司法は腐っている」
などとかなり激しく怒っておられました。
この教授は、おそらく、
「裁判所が敵となる場合」
という状況を想像せず、
「自分たちの言い分を、常にきちんと聞いてくれる味方である」
という勝手で強固な思い込みをしておられたのであり、だからこそ
「裏切られた!」
という感情が強く出たのでしょう。
プロの訴訟弁護士からすれば、司法の判断が裁判所毎に変わったり、世間の常識とまったく逆の経験則でありえない事実を認定したり、明らかに条文の解釈や法的安定性を無視した判断を裁判所が平然とすることなど日常茶飯事です。
したがって、裁判所が常に正しい訴訟運営と事実認定をするとは限らず、むしろ逆の事態を発生しうるリスクとして頭に入れておくべきです。
「定数問題において、投票の価値が1 : 1でなくても平等原則に反しないなんてことを平気でいう権力機関」
からすれば、発明の価値を200億から数億円程度に減じることなど
「たいしたこと」
のうちに入りません。
その意味では、例の大学教授は、こういう事情を弁護士からきちんと説明を受け、訴訟の帰趨に対する期待値を適切な水準にまで下げていれば、あのように取り乱すこともなかったと思われます。
今でこそ、裁判所や裁判官ってなんとなく上品で紳士的なイメージがありますが、法を解釈したり事実の存否を認定できる権力って、実はこの社会においてもっとも強大で危険でヤッバいものです。
裁判所は違憲立法審査権という権力をもっていますが、これは、
「不透明な選任過程で選ばれた、見たことも聞いたこともない15人の地味な老人」
が、選挙で選んだ議員が喧々諤々の議論の末決めた法律や、民主的基盤を持ち営々と行ってきた行政府の行為を、
「独自の憲法観に合わない」
という理由だけで、吹っ飛ばせるパワーですから、十分ラディカルな権力といえます。
いずれにせよ、本件ににおける訴訟対策を考える上で、原告・債権者、それに裁判所や裁判所がこの種の問題でどのような判断を指向するか、という点をきっちり把握しておく必要があります。

4 敵を知る・その2(相手方原告を知る)
まず、相手方の意図、動向を分析しましょう。
(1)経済的動機(カネがほしいからやっている)の場合
本ケースのように、株主がつぶれた会社の役員を訴えるという目的、動機は、
「とりっぱぐれて困っとるんや! お前ら、責任者やろ! ケツもたんかい!」
みたいな単純なものだけではありません。
もちろん、個人で取りっぱぐれて訴えを起こしてきたようなタイプの方がいるとすれば、このような経済的動機で訴訟をやっている(カネがほしいからやっている)場合と想定されます。
なお、純粋にカネ目的の訴訟とすれば、本ケースはあまり効率的な訴訟とはいえません。
主張・立証課題が多いですし、課題の多さに比例して弁護士費用もそれなりにかかります。
万が一勝ったとしても、役員にお金がないと、判決を取っても結局お金を取り返すことはできません。
お金にある程度余裕があり、お金儲けができる方であれば、こんな後ろ向きのことに時間とエネルギーと弁護士費用をつっこまず、
「債権管理の甘さの勉強をさせてもらった」
と考えて今回の件は吹っ切り、とっとと次のビジネスの成算を高める方向に自分の意識を転換させることができるでしょう。
その意味では、カネ目的で訴訟を起こすという相手方原告はそれなりにテンパっている方と推測されます。
ただ、カネがほしくて、それだけが目的で訴訟を提起しているという状況は鈍一さんにとって都合のいいことです。
なぜかというと、カネ目的ということは、相手方が
「カネは、時間との相関関係において値打ちが変わってくる」
という程度の計算が働く程度の知能がある、ということですから。
鈍一さんサイドがそのような相手方の目的あるいは状況を見越して、徹底して争う姿勢をみせ、手続に時間がかかることを相手方に匂わせることができれば、相手が折れて適当な額での和解に至る可能性があるからです。
とくに、相手方がカネに困って訴訟を提起しているような状況であればチャンスです。
貧すれば鈍す、という言葉にもあるように、空腹であれば腐肉にでも手が出てしまうのが人間です。
相手方原告が
「最高裁まで争って3年後に1000万円の請求を認める判決が確定されるという理論上の可能性に賭けるよりも、明日の50万円の和解金を得る方がはるかに意味がある」
と考え、不利な和解をしてしまうケースなんていうのは実務においては珍しくありませんから。(2)社会的目的でやっている(目立ちたいからやっている)
次に、相手方原告が、
「取締役の不正を徹底して糾す」
なんて高尚な目的で本件訴訟が提起されているとしたら、少々厄介です。
社会的目的や
「コーポレイト・ガバナンス」
とかお題目を唱えているものの、要するに目立ちたいからやっているわけで、この種の原告の意識としては、カネよりも派手なパフォーマンスであり、
「目立つためなら、時間とコストを惜しまない」
という腹積もりができています。
ただ、今回、石田鈍一さんとしては、社外役員として名を連ねているに過ぎず、その意味においては、相手方原告の本来の闘争の対象からは外れている可能性が大きいです。
こういう状況においては、弁護士代をケチらず、代表取締役ら経営主要幹部の弁護士とは別に、自分個人の費用で腰の低い温和なタイプの弁護士を雇い、
「そちらのメインターゲットの責任追求については必要な協力をするから、僕だけは抜けさせてくれ」
と頼み、とっとと自分だけ和解して
「一抜けた!」
とやってしまうのも手です(弁護士代をケチって、代表取締役ら経営主要幹部の弁護士を、彼らと共同で委任していると、仲間とみなされ、判決まで連座させられることになりかねません)。
さらに厄介な事例を挙げますと、アクティビスト・ファンドなどによる代表訴訟の場合です。
一応、
「企業統治を正常化する」
といった大義名分が掲げられますが、ファンドは経済的目的をもった組織である以上、
「世直し」
をやるために投資家からカネ集めをしているわけではなく、最後は、リターンすなわち、ゼニを増やすことが活動の目的です。
株というのは、
「行きはよいよい帰りは怖い」
ではないですが、安値で放置されている株を買い集めるのはさほど難しくないのですが、
「高値でさっくり売り抜ける」
という出口戦略はなかなか構築困難です。
一番いいのは、自社株買をアナウンスしてもらうか、さらにいいのは、MBOを実施してもらい、プレミアム(支配プレミアム)をたっぷり付けて一気に高値買い戻してもらう、というシナリオです。
そのために、
「もう株式公開など懲り懲り。早く、資本市場から退出したい。MBOで逃げるのは恥だが、役に立つ!」
と思い込んでもらう必要があり、そのために、コンプライアンス・モンスターとなって、モラハラの一環として、この種の代表訴訟をしかけて、音を上げさせる、という意図が背景に存在する場合があるようです。
本音では、
「安値で転がっている株を買い集めたが、出口が見つからず、ファンドの期限が近づいて困っているので、MBOして、高値で一気に引き取らせたい」
という気持ちですが、まさか、そんなグロテスクでエゲツないことを言うわけにもいかず、
「コーポレート・ガバナンスを回復する!」
という心にもない建前をのたまわれ、世間に美しい誤解を撒き散らす、ということなのであろう、と推測されるところです。
したがって、この種の株主代表訴訟は、唱えられるお題目や大義名分はさておき、前記(1)の
「私利私欲にまみれまくった、100%ピュアで天然な銭ゲバルト」
として展開されている、と理解・把握すべきです。
(3)怨恨を晴らすためにやっている(相手方をイジメたいからやっている)
訴訟提起の理由として、相手方を苦しめるために訴訟を提起する、という場合があります。
訴訟による解決は、世間で思われているほど効率的ではありません。
訴訟を提起し、遂行するのは非常に時間とかエネルギーを要する一大事業です。
訴訟を提起したからといって必ず自分の言い分が認められるかというと、これも非常に難しい。
さらに、訴訟に勝っても相手方にお金がなければそれ権利を実現することは事実上不可能です。
「だが、少なくとも訴訟を提起することにより応訴の負担を相手に強いることができる。
とにかく現状を座視することはできないし、泣き寝入りするよりもまし」
という感じで訴訟を提起する人も結構いらっしゃいます。
カネ目的ではない分、合理的かつ理性的な話合いができないし、その意味ではカネの回収や目立ちたがり屋よりもタチが悪いタイプといえます。
この種の訴訟は、弁護士が依頼者と同化し、冷静なブレーキ役ではなく、一緒になってワーワー騒ぐようなタイプだと混乱に拍車がかかります。
さらに、これに刑事告訴とかも加わったりして、かなり物騒な雰囲気をかもしだします。
もし、こういう目的で訴訟が提起された場合、あまりアツくならず、過剰な装飾語(「不当」「言語道断」「法の趣旨を曲解した所業」「正義衡平の理念に反する」「法の趣旨目的の許容せざるところである」)が多用された相手方の主張に逐一反応せず、淡々とクールに自分の立場の正当性をきちんと説明することを心がけることが大切です。
それと、徹底して時間をかけて慎重に訴訟を進めるべきでしょう。
時間が相手方の気持ちを変化させ、和解の気運を呼び込むことだってありますから。
今回のケースでもしこういう目的で訴訟が提起されたのだとすると、社外役員である石田鈍一さんはどちらかというととばっちりを受けた立場だと考えられます。
前回も申し上げましたが、石田さんとしては、アキオマ社の運営に積極的に加担していたわけではないことや自分はあくまで反対の意見を表明したこと等もきちんと説明した方がいいと思われます。
一見法的に無関係でも相手方の心情に影響や変化を与えるべき情状的な事情を述べ、とっとと個別に和解して脱退することもアリですから。
なお、この種の事件で対応を間違えると大変です。
たまに依頼を申し込まれる方で、
「最高裁まで係属してもかまわないから判決を取ってくれ。強制執行しても取れなかったら、強制破産(債権者破産)をして、相手方が経済的に死滅するまで徹底した手段を実施してくれ。刑事告訴できるネタがあったらじゃんじゃん頼む。カネならある」
などとおっしゃる方がいらっしゃいます。
こんなタイプの人を相手に
「強制執行しても取られるものなんにもないから大丈夫。多額な予納金が必要な強制破産なんてされっこない」
などとタカをくくってナメた対応していると、ホントに破産させられ、経済的信用を喪失する場合がありますので、注意が必要です。
(4)仕方なくやっている・パターンA(税務的都合でやっている)
以上は、ある意味、利害対立がシビアな典型的な紛争パターンですが、世の訴訟には、上記のような
「ガチンコバトル」
ではなく、やる気がまったく感じられないようなものもあります。
ご存じの方も多いかと思いますが、回収できない債権は持ってても何のトクにもならないので、早く償却するのが賢明です。
理論的に説明しますと、法人税法により、法人が貸倒れによって債権を回収できないときは、貸倒損失として所得の計算上損金に算入できるから、というのがその理由です。
つまり、法人としては、回収するあてもない債権を資産として計上するより、
「回収の努力をした結果、やっぱりできない」
という客観的事実を積み上げ、とっとと損金にした方が税務上メリットがある、ということになります。
貸倒れの認定としては、
[1]いわゆる倒産に至った場合(破産や民事再生、会社更生法、会社法による特別清算)
[2]任意整理において債権者集会の協議決定がなされた場合
[3]債務超過が常態化し、弁済を受けることができない場合
[4]債務者の資産状況、支払い能力等からみて全額が回収できないことが明らかとなった場合
の状況が認められるときに限られます。
逆に、こういう状態でないのに、勝手気ままに債権放棄したら、当該放棄額は法人税法上の寄付金と認定されるリスクが発生します。
すなわち、税法上は、法人が相手方に対し贈与や債権放棄した場合、寄付金として取り扱われることとなり、寄付金の限度計算を超えた額が益金に算入され、その分の租税負担が発生するのです。
そんなわけで、
「とりあえず、訴訟を提起しておいて、相手方の懐具合が空っぽで、たとえ勝っても取れっこなく、却って訴訟費用がかさむような場合、裁判所という第三者的機関の斡旋により一部債権放棄して和解し、とっとと当該放棄部分を損金で落とす」
ということが法人にとって合理的行動とされる場合があり、そのための手段として、訴訟を提起するケースが出てくるわけです。
馴れ合いといえば馴れ合いであり、裁判所としても節税のためのセレモニーに使われるのも迷惑でしょうが、実務的にはよくおみかけします。
そんなわけで、もし相手方がこういう目的で訴訟を提起してきた場合、相手方の真意をよく把握し、請求の存否に関する法的主張や反論もさることながら、いかに自分がビンボーかをアピールすることが双方にとって無意味な紛争を早期に解決するという観点からは重要だったりします。
事件を徹底的に争いつつ、相手方原告の決算期までもつれ込ませると、3月下旬に、あっさり和解なんてケースも実際ありますし、タイミングを見計らったり、それとなく相手方弁護士と本音を開示しあえる交渉環境を作ることも有益です。
(5)仕方なくやっている・パターンB(株主や経営幹部への説明対策上やっている)
最後に、訴訟提起の目的としては、
「株主や経営幹部への説明対策上仕方なく訴訟提起した」
なんのもあります。
例としては少ないですが、例えば
「投資先や融資先が破綻したにもかかわらず、何もせず放置しておくと、そんないい加減なところと仲良しと思われ、不正な投融資により会社の資産を相手方と共犯となって食いつぶしたと勘繰られるので、放置はまずい」
という状況です。
そういう状況において自分の立場の正当性を示すためには、相手方に対してシビアに対応するポーズを示しておく必要があり、その手段として訴訟を提起する、というわけです。
こんな目的のために訴訟を提起された方としてはたまったものではありませんが、これも意外と時間が解決してくれることがあります。
すなわち、訴訟で1年、2年と経過するうち、肝心の株主の関心が薄れたり、あるいは株主の構成がかわったり、経営幹部が入れ替わったり、なんて形で、内部で事件をマジメに追求する人間がいなくなることにより、訴訟提起した目的が半ば達成された状態に至り、最後には弁護士費用分無駄だからテキトーに和解、なんて結末を迎えることがあったりします。
こういうときにビビって早く和解するより、それなりにダラダラと手続を延ばした方がメリットのある解決を得る芽がでてくるので、有利です(裁判所も和解で終わった方が、判決を書く手間が省けるので喜ばしいし、訴訟を提起した弁護士側もタイムチャージでもらっているのであれば、ダラダラした方がトク。
結局、原被代理人と裁判所全員メリットがあることになります)。
(6)小括
以上のとおり、敵の目的は様々であり、これを知りあるいは分析することにより、より有利な形での紛争解決が可能となります。
被告になって、あせったり、ビビったりしても良いことは1つもありません。
冷静でクールな弁護士を選び、敵の真意を把握し、
「日本における民事裁判の限界」
をうまく使い、時間の流れを味方につけて対応するという姿勢が、紛争法務戦略構築にとって非常に重要なポイントになります。

5 敵を知る・その3(裁判所を知る)
さて、ここからは、
「敵を知る」パート
の最後、
「裁判所を知る」編
です。
訴訟事件において、裁判所が最大のジョーカーになるということはすでに述べたとおりです。
世間一般のイメージと実体が異なるってのは、世の中においてよくみられる現象ですが、裁判所もその1つです。
裁判所というのは、常に真実を発見できるオールマイティな権力をもった神様ではなく、他の一般のお役所同様、機能的限界が内在する機関です。
当然ながら、お役所ですから、役所内部のルールに沿って言い分を申し述べないとまったく動いてくれませんし(このような特殊なルールないし体系を要件事実論なんて呼んだりします)、お役所が動きやすい環境を作るのは、お役所から何らかのアクションをもらう側としては当然の義務です。
役所に出向いて、プラカードやメガフォンをもってワーワー叫んでも役所は何にも協力してくれませんが、一定の方式に則って完全な文書を準備して提出し、役所が好むロジックを使って説得すると、お役所は様々な便宜を図ってくれます。
我々弁護士の活動というのは、片手に依頼者というお客、もう片手に裁判所というお客(「判決」という我々のもっとも欲するものを出してくれるという点で、依頼者より大事な「お客さん」といえます)を抱え、その両者の認識を整合させるようにすることにあります。
バカもハサミも役人も使いようです。
このような機能的限界を十分ふまえた上で活用しなければなりませんし、逆にこういうことをふまえず
「機能的限界のない常にかつ当然に真実が発見できる完全無欠の神様」
と考えるとたいてい訴訟運営に失敗します。
以下、裁判所の行動原理をいくつか紹介してみます。
経験と主観に基づくものなので、正しい姿かどうかは知りませんが、参考にはなるかと思います。

(1)書面による証拠がなければ事実とは認められない
争いになりそうな事実や重要な事実については、一般的に文書化するものだし、文書化されない事実は存在しない事実である。
(2)法律や法的合理性にしたがった行動をした方を保護する
逆に法的合理性を無視して、社会常識にしたがった行動をした人間は保護しない。
(3)性悪説に立って法的予防措置を取るため行動した人間は「法的に勤勉な人間」であり勝訴させるが、性善説に立って他人を万事信頼して何も紛争予防措置を取らなかった人間は「法的に怠惰な人間」であり敗訴させる
(4)法律に則った主張を簡潔に記した書面はきちんと読んで採用するが、心情に訴えるような主張や形容詞や副詞の多い書面は読まずにポイする
(5)尋問においてウソをつくのは当たり前
理路整然としたウソをついた方の話を真実と認める。
あと、銀行員とか役人とかはウソをつくはずがないと考えられる。
(6)できれば判決を書きたくない
和解で終わるのが一番いい。
合理的な和解案を拒否するヤツはコノヤロ、あとで判決になったら覚えとけ、とか思ってしまう。
(7)勝敗が微妙な事件の場合、負けても控訴しなさそうな方(訴訟費用とか出せないビンボーそうな方)を負けさせた方がいい
「負けたらすぐに控訴しそうな、勝気でお金をもっている方」
を敗訴させると控訴されてひっくり返され、出世に影響しかねないし。

(6)や(7)は
「私が裁判官だったらこうするかもしんない」
という程度の与太話です。
ホントの裁判官がそこまで腐っているとは考えたくありませんが。

6 訴訟対応指針
次に、石田鈍一さん側の代理人としてどのような行動を取るべきかにつき、まず訴訟に対応するための全体の指針をのべ、さらに、本件で問題となるべき点を個別に解説していきたいと思います。
これまで述べてきましたとおり、弁護士にとって本件解決のキーマンは裁判所であり、裁判所という
「お客さん」
をいかにこちら側に引き寄せるか、ということが活動のポイントになります。
優秀な訴訟弁護士であるほど、裁判とは裁判官をターゲットカスタマー(あるいはターゲティッド・カスタマー)として、
「自己の事案認識」
を売り込むマーケティングであることを知っています。
裁判所の好むロジックや文書を用いて、こちらが認識している事実と裁判所に認識してもらいたい事実のギャップをどのようにして埋めていくかを考える必要があります。
弁護士の中には、正義や人権を振り回したり、相手方の主張の些細な矛盾や破綻を長々とほじくりかえしてはそのことで鬼の首でも取ったかのようになっている方がいますが、裁判官とすればこのようなことはどうでもいい話であって、この種の本筋とは無関係な場外乱闘を聞かせるとウンザリすることとなります。
裁判官としては、判決を下す上で必要かつ十分な情報と、その情報の合理性を基礎づける背景事情とを、早い段階で欲しています。
そして、
「その情報の合理性を基礎づける背景事情」
における合理性とは、社会常識と同義ではありません。
むしろ社会常識とは完全に異なる、
「合理的法律人仮説(筆者が勝手に呼称しているものです)」
とでも称すべき合理性が裁判官を支配していると思われます。
合理的法律人仮説とは、すべての人は、法的合理性と経済合理性にしたがって行動するはずである、とする仮説です。
例えば、保佐や後見の処置をしていない認知症の進んだおばあさんが1億円のリフォームを発注し、契約書が締結され、リフォームの工事が完成し代金が支払われたとします。
この場合、社会常識からすると、当該発注はおばあさんの意志ではなく、明らかに業者の詐欺です。
ですが、裁判官を支配する合理的法律人仮説によると、

  • 意思能力に問題や不安があれば保佐や後見の措置を取るのが普通であり、認知症のまま放置されることはあり得ない。
  • 保佐や後見の措置を取っていないおばあさんは、取引の意思決定において完全性に欠けるところはないと思われる。
  • 人は、不要なリフォームを発注するはずなどなく、発注するからには、相見積もりをするなど、慎重に業者を選定し、十全に価格交渉を行い、請負契約を締結するはずである。
  • 人は、中味を読まずに契約書に署名押印するはずなどなく、契約書記載の条件すべてについて吟味し、不服があれば交渉の段階で異議を唱え、納得の上契約書を締結しているはずである。
  • 契約書に基づき互いの義務が履行されているのに、後からそれがおかしいとかいうのは公平ではなく、そういう後出しジャンケンやわがままを認めると、取引社会が崩壊する。

ということになります。
こういう考え方がひどいとか、矯正が必要とか、という話はあるのでしょうが、それは別の問題です。
訴訟弁護士にとって、上記はゲームを展開する上での所与条件であり、これをふまえて最適な行動をしなければならないのです(例えば将棋で桂馬を前に動かしたり、銀を横に動かしたりするとゲームが成立しないように、負けそうになったからといってルールの不当性を訴えても仕方がないのと同じです)。
上記のリフォームの事例ですが、
「合理的法律人仮説」
からするとひどい展開になりそうですが、だからといって絶対的におばあさんが負けるというわけでもありません。
おばあさん側の弁護士は、戦う上で、ハンディキャップを負担していることを認識しなければなりませんし、デフォルトの設定において不利な状況を覆すよう、さまざまな主張や証拠を用い、また裁判官にこちらのロジックを理解浸透してもらうよう、効果的な
「マーケティング」
をしなければならない、ということになります。

次に、訴訟対応上いくつかの指針となるべきポイントをご紹介します。

I 納期厳守
訴訟弁護士といっても、実体は、裁判所というお役所の出入りの業者みたいなものです。
そして、出入りの業者風情が納期を遅らせたら出入禁止になるのと同じで、納期厳守は絶対です。
訴訟を遂行する上では、様々な課題の提出が要求され、そのすべてについて納期が設定されます。
曰く、何時何時までに、この点を調べてこい、この点について主張内容を整理しろ、こういう証拠があれば出せ、と。
さらにいいますと、法廷や弁論準備室でのやりとりは時間が限られていますので、期日での時間を効率的に使うためには、議論の素材である主張や証拠は事前に出しておくべき必要があります。
ですので、たいていは、課題提出期限は、期日の1週間前とかに前倒しして設定されますが、無論これも納期厳守、仮に納期が維持できないようであれば、いわゆる報連相(報告・連絡・相談)して事前に対応を協議しておくべき必要があります。
弁護士さんの中には、ルーズな人もいますが、基本的にこういう人は裁判官に嫌われます。
裁判官って、小さいころから宿題とか課題とかいったものはすべて期限内に相当中味のしっかりしたものを提出して先生やママに褒められてきたようなタイプの人ばかりです。
夏休みの宿題を忘れて廊下に立たされるようなタイプの人間は、司法試験や司法研修の段階のはるか以前で淘汰されるので、そんないい加減な人間は裁判官には皆無です。
そういう人がお客様であり、神様ですので、納期感覚がいい加減な出入り業者は裁判所では非常に不快な印象がもたれますし、また客であり神である人の不興を被って稼業が成り立つほど甘くありません。
ですので、訴訟遂行上、納期厳守や遅れた場合のフォローは、単純なことですが、少しでも裁判官の心証をこちらに有利に運ぶためには重要です。

II 早めの心証形成に協力
次に、裁判官には早めに事件の全体像をみせてあげることが重要です。
裁判官は時間がありません。
弁護士が忙しいといっても、長時間かけて晩飯を食ったり、銀座でクラブ活動をしたり、ヨットに乗ったり、ゴルフに行ったりする程度には時間的余裕があるものですが、裁判官の忙しさは殺人的です(実際、忙しさで病んでしまい、自殺者が出たりもします)。
そんな、掛け値なしに「死ぬほど」忙しい裁判官に、
「ある種、どうでもいい、ロクでもないトラブルの話」
を聞いてもらうのですから、よほど要領よく話をしないと、話の全体をわかってもらう前にうんざりされてしまいます。
時間に追われる裁判官は、少しでも早く事件の全体像を把握したがっています。
そして、一度把握した事件の全体像は、よほどのことがない限り、修正したりしません(事件の全体像をコロコロ変えると時間の無駄につながりますから)。
ですので、事件は後半ではなく、初動段階が勝負です。
この段階で、いかに裁判官に効率的に事件の全体像を示すかが、勝負のポイントになります。
弁護士さんによっては、事件の初動段階では素っ気ない主張しかせず、最終段階であーだこーだ議論を展開する、
「差し馬」
みたいな方がいますが、後半でがんばっても裁判官はすでに心証が形成されてしまっているので、ほとんど読んでいない(あるいは逆に粗探しの材料を提供するだけ)という状況になっている場合がほとんどなので、後半巻き返すという戦略は定石からかなり外れます。
要するに裁判官は、食の細い食通みたいなもので、前菜で料理の腕が判断されるので、前菜で手を抜くと、メインやデザートでいかに美味しい料理を作っても星がもらえない、ということになります。
いずれにせよ訴訟は
「先行逃げきり」
の戦略が重要で、裁判官が早めに事件の全体像がつかめるように初動段階で充実した主張を展開することが遂行上必須です。
とはいえ、きちんと調べた上で主張しないと、依頼者のいい加減な話を鵜呑みにして客観証拠を精査せずに風呂敷を広げるのも危険です。
依頼者の話がころころ変わったり、相手が提出した客観証拠との矛盾を露呈したり、釈明に窮したりすると、挽回が不可能な状況に陥ります。
また、高度な戦略になりますが、相手方に好きなように言いたいだけ言わせて、後半山のように相手の主張と矛盾する客観証拠を提出してそこで心証を逆転させた方が効果的な場合もあります。
このように例外もありますが、裁判官によっては、こういう弁護士にとって小気味のいい逆転劇も、時間の浪費でありうんざりであると感じる人もいると思われます。
ですので、あらゆる訴訟上の戦略は、お客様である裁判官の事実把握の負荷を少しでも軽減してあげる、という
「顧客第一」
の発想が重要です。

III 読ませる工夫
訴訟においては、訴状、答弁書、準備書面という形で訴訟の進行に応じて様々な書類を裁判所に提出します。
法律家は、小難しいことを書いた大量の文書に常に接しているため、速読に長けた人が多いですし、裁判官も例外ではありません。
ですが、速読に長けたスーパーマンといえども、仕事として義務感でやるからできるわけで、小難しい文書を長時間読まされることが苦痛なことには変わりありません。
訴訟事件というのは、過ぎ去ったことを、あいまいな資料をもとに、事実が
「あーだった、こーだった」
と言い争うわけですから、つまんないことが一杯書いてあるわけです。
自分自身にとっては、関心も興味もない、つまんないことが延々書いてある長文を読めというのは、上記のとおり非常な苦行なわけですが、当事者が裁判官に求めているのは要するにそういうことです。
これまで、
「裁判官はお客様、お客様は神様」
と言ってきたわけですが、
「『訴訟において言い分を書いた書面を提出するということ』は、『尊い神様に苦行を強いている』のと同じである」
という自覚が必要であるとともに、少しでも神様を苦行から解放させてあげる努力が必要です。
要するに、
「言いたいことを、言いたいだけ、言いたいように書きつらねる」
というスタンスは神様である裁判官の印象を非常に悪くするわけで、
「たたり」
ならぬ
「敗訴判決」
が下されることになります。
逆に、少しでも楽に読んでもらうため、提出文書に工夫や配慮をしておくと
「あとできっといいことがある」
ということになります。
どの弁護士さんも、裁判に勝つため、あるいは和解交渉を有利に進める環境を作るため、裁判所提出書面には
「読ませる工夫」
をされているようですが、筆者が気にかけている点をいくつか紹介したいと思います。

(1)10頁の原則
まず、提出書面については絶対量というのが存在しますが、これがだいたい10頁といわれています。
依頼者からすると言いたい事は山ほどあるのでしょうが、高度な専門性をもつ医療訴訟や知的財産権訴訟、商事紛争を別とし、通常の訴訟であればだいたい10頁もあれば相当な情報量になるので、これ以上書くと裁判官が読んでくれない(読んだとしても、ポイントを絞りきれず、認識が希薄になる)可能性が出てきます。
ですので、どんなに複雑な事象説明でも、提出書面1通につき、10頁以内に収めることが推奨されます。

(2)修飾語やレトリックは「法曹禁止用語」
素人の方からは意外に思われるのですが、弁護士は事実を語るのであって、相手を非難するのが活動の本質ではありません。
裁判所としても、事実に基づいてどちらかの当事者を勝たせるのであって、人間性や雰囲気や印象によって勝ち負けを決めているわけではありません。
その意味では、書面に
「不当」
「非常に公平を欠く」
「誠実とはいえない」
「明白に虚偽といえる」
「明らかに矛盾する」
等修飾語を書きつらねられても、裁判所としては困るわけで、
「何時、誰が、どこで、どのようなことを、何回した」
から
「不当」
というのか、評価の根拠となるべき事実を知りたいのです。
裁判官の中には、当事者の書面から修飾語を、意識の上で墨塗りして読む人もいると聞きます。
ですが、いちいち墨塗りさせる手間をかけさせるのもよろしくないので、
「評価の根拠となる事実を書かず、華麗な修飾語やレトリックで相手の揚げ足を取るような文書」
は控えた方がいいでしょう。

(3)要件事実の意識
裁判官の頭の中では、すべての事実を同じ意味において認識することはしません。
裁判官は、紛争解決を導く上で必須あるいは本質的な事実とそうでない事実、そうでない事実についても重要なものと不要なもの、という形で事実を階層化して認識していきます。
「紛争解決を導く上で必須あるいは本質的な事実」
を要件事実とか言ったりしますが、提出文書においては、このツボを押さえることが必要です。
その他の事実、すなわち事情についても重要なものを中心に述べていくわけですが、
「重要かどうか」
は、
「『学歴社会の頂点に立ち、俗世の芥から隔絶した静謐な生活を送っておられる裁判官の経験則』からみて重要かどうか」
ということですので、くれぐれも
「依頼者の主観に基づく重要性認識」
に振り回されないよう、注意が必要です。

(4)主張設計の方法
最後に、事実とは、具体的な事実を、客観性がある形で、あるいは相手が争いようのない形で呈示していくと、裁判官としては非常に事案を認識しやすい、ということになります。
明らかに相手が否定するであろうような形で事実を主張することは、紛糾の原因になるだけで、時間とエネルギーの無駄ですし、裁判官もあまり良い印象をもってくれません。
訴訟上の重要な争点は別として、客観的証拠(公的な文書や相手の自認文書)が残っている事実や相手が認めざるをえない事実を丁寧に拾って主張設計していくと、無用な紛糾が避けられますし、裁判官も審理を進めやすくなります。

IV 経営判断の原則
今回の件では、石田鈍一さん側は、社外取締役の地位にありながらさぼって会社をつぶしたんだから責任を取れ、と訴えられているわけです。
もちろん、石田鈍一さんとしては、こういわれても仕方のないくらい、適当なことをしていたわけです。
じゃあ、会社をつぶしたら全部取締役は責任を負わなければならないか、というと、必ずしもそうではありません。
たしかに、取締役は、株式会社から経営の委任を受けた者として、高度の注意義務を負っています。
ですが、他方、キリスト教世界に地獄があるように、資本主義社会に倒産はつきものであり、倒産したら取締役がすべて結果責任を負え、なんてことを言い出したら、誰も取締役にならなくなり、株式会社制度、ひいては資本主義社会自体なりたたなくなります。
また、取締役の経営判断といっても、市場の状況や自社の経営資源等を勘案しながら、複雑な状況において、タイムリーに判断することが必要であり、当該状況において何が正しい経営判断か、といわれても確たる答えが出るようなものではありません。
そこで、取締役の重い責任から解放するロジックとして経営判断原則といわれるものがあります。
判例(東京地方裁判所平成10年9月24日判決、判例タイムズ994号234頁等所収)は、
「ところで、取締役は、会社から委任を受けた者として、善良なる管理者の注意をもって事務を処理すべきであるとともに(旧商法254条3項)、会社及び全株主の信任に応えるべく会社及び全株主にとって最も有利となるように業務の遂行に当たるべきであり(同法254条ノ3)、もちろん法令、定款及び総会の決議を遵守しなければならない(同条)。
一方、取締役による経営判断は、当該資本政策等の方法、相手方、その交渉等の時期・方法等はもとより、当該会社の事情、当該業界の状況、我が国のみならず国際的な社会、経済、文化の状況等の諸事情に応じて流動的であり、しかも複雑多様な諸要素を勘案してされる専門的かつ総合的な判断であり、一方、委任者たる会社又は株主においては、当該取締役に会社の経営を委ねたからには、その経営判断の専門性及び総合性に照らして、基本的にその判断を尊重し、もって経営を遂行する上においてその判断を萎縮から解き放って経営に専念させるべきであるということができるから、取締役による経営判断は、自ずから広い範囲に裁量が及ぶというべきである。」
と小難しいことを言っていますが、要するに
「取締役の経営判断には裁量があるので、よほどのことがない限り、後から細かいこと言って全部取締役の責任にしませんよ」
と言っているわけです。
石田鈍一さん側の弁護士としては、彼を弁護する手段として、こういうロジックを持ち出し、
「アキオマ社の属する業界における通常の経営者の有すべき知見及び経験」
を基準として、

・ジェット機購入行為については、当該目的に社会的な非難可能性がない
・またその前提として購入にあたっての事実調査に遺漏がなかった
・調査された事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなかった
・その事実に基づく行為の選択決定に不合理がなかった
・だから、今回の件は誰も予測できなかった不幸な出来事であるし、事後的観察からは判断にミスがあったとしても経営判断の原則により付与された裁量は何ら逸脱していない

なんて感じで反論設計をしていくことになります。

Ⅴ 損害とか因果関係とか
このように経営判断の原則を解説しましたが、そのほかにも石田鈍一さん側の弁護士としては、相手方の弁護士の言い分を争うため、ありとあらゆる手段を考えなければなりません。
平たくいえば、被告弁護とは、相手の法的要求に
「ケチや難癖をつける」
ことであり、逆に原告側は、いかに相手にケチをつけさせないようにするか、そのために相手方としても争いようのない事実や客観的な明らか証拠により証明できる事実に整合する形で法的主張を考える、ということになります。
今回の場合、石田鈍一さんは債権者から
「アキオマ社が倒産したのはお前が取締役としての責任を果たさずさぼっていたことが関係しているのだから、倒産したことによる損害を賠償せよ」
と言われているわけですが、相手の言い分を鵜呑みするのではなく、ケチをつける、すなわち相手の言い分に逐一疑問を抱き、疑ってかかる姿勢が必要です。
たとえば、債権者の主張している債権額はほんとに主張どおりなんでしょうか?
ひょっとしたら、この債権者って倒産直前期にとんでもない利息で貸し付けた悪徳業者であり、主張している債権額のうちほとんどは違法な金利によるものかもしれません。
そうだとすると、実際の損害額は債権者と称する悪徳金融業者の主張している金額よりはるかに低いかもしれません。
また、ひょっとしたら、この債権者は、倒産直前期のごたごたに外注担当者と結託して、ほぼ背任に近い状態で、ロクな仕事もせずに適当な金額で企画発注しているだけかもしれません。
さらには、一見まともな取引に基づく債権を主張しているような場合でも、納入したものがとんでもない欠陥品でそもそも債権額の半分も主張できないような事情があるのかもしれません。
加えて、果たして、石田鈍一さんがアキ代の暴走を止めなかったことが会社倒産の引き金なんでしょうか? 
よくよく事実を調べると、倒産の引き金は、ジェット機の購入とかそんなつまらないことではなく、マーケット自体がすでに衰退期にあり、どんなに努力をしようがアキオマ社はつぶれる運命にあったのかもしれません。
このように、被告弁護において、損害発生や因果関係とかについて疑ってかかり、これらを争ってみる姿勢、日常的な言葉を使えば
「相手の言っている法的シナリオに徹底してケチや難癖をつける姿勢」
というのが非常に重要になります。
ただ、なんでもかんでもケチ・難癖をつければいいか、というと、裁判所に受け入れられるようなケチ・難癖であることが必要です。
被告代理人としてケチや難癖をつけるのであれば、(すでに解説したしたところですが)裁判所がもっている、日常生活におけるものとはかけはなれた、特殊な経験則とか法律の解釈適用則とかを踏まえなければなりません。
そして、裁判所もお役所である以上、お役所共通の客観的事実の尊重(当事者の主観の排除)や保守的なまでの文書偏重主義に沿った形でのケチ・難癖を構成する必要があります。
とくに、客観的裏付けもなく単に相手の主張に疑問を呈するだけだったり、相手の揚げ足取りをするだけの反論は裁判所は忌み嫌います。
このような点を考えながら、石田鈍一さん側の弁護士としては、相手方の主張がすんなり受け入れられないよう、さまざまな反論を試みることになります。
そして、このような主張の応酬過程を経て、裁判所に本件の争点(ポイントとなる事実についての主張の食い違い)が見えだしたところで、和解交渉がはじまります。

VI 和解交渉戦略
(1)和解の意味
「和解」
というと、何やら弱気で迎合的な印象がぬぐえない言葉ですが、実際には、ほとんどの裁判は
「和解」
で終結しますし、ほとんどの法律家(弁護士のほか、裁判官も、という意味です)は
「和解による解決」
を上策とします。
例えば第1審で勝訴判決を得ても、日本では3審制を取る以上、上級審で逆転敗訴するかもしれませんし、何より、解決が長引くことを好む当事者はいないはずです。
当然のことながら、和解は相互の譲歩が前提となりますが、相手方についても、上級審に移行して追加の弁護士費用がかかったり、時間を要したり、はては逆転敗訴したりする事態は回避したいはずですし、多少の譲歩をしても和解をすることの方がメリットがあるケースがほとんどと思われます。
そもそも民事裁判なんて正義のためでなく、所詮カネや権利のためにやっているわけですから(離婚訴訟とか「カネや権利のためにやっているわけではない」裁判もありますが)、膨大な時間とエネルギーをかければかけるほど、裁判によって得られるべき成果の正味価値は反比例して逓減していくはずです。
当事者はいきり立っているかもしれませんが、以上のとおり冷静に考えればどんな事件でも譲歩により早期に解決するメリットがあるはずです。
さらにいえば、高裁・最高裁を経由して訴訟に勝ったとしても相手が判決内容を任意に履行してくれないと強制執行するという別の手続を遂行するため、これまた膨大な時間とエネルギーを解決のために投入しなければなりませんが、和解の場合、たいてい金銭や権利の移譲が相手の任意で行われることを前提ないし条件とされますので、執行(解決内容の実現)の手間ヒマが省けるというメリットもあります。
「判決は、訴訟上の和解交渉の失敗」
なんて言葉があるくらいで、むやみやたらと判決を求めるのは訴訟戦略としては下策です。
昔、ローマがポエニ戦争でカルタゴに勝った後、カルタゴの地を焼き払って塩を撒いたとの故事があるようですが、これ自体はローマの未熟による愚策と思います。
筆者がローマの指導者であれば、勝敗が決した段階で和解して完全な植民地としてカルタゴを残し、巧みな統治手法によってその経済力を我が物にする方法を考えますから。
勝訴実績を誇示したり後先を考えず好戦的なことを売りにする弁護士さんは業界内に少なからずいらっしゃいますが、頭の弱いお客をひっかけるための営業トークとして言っておられるのであればまだしも、
「どんな事件でも判決獲得が唯一かつ最上のゴールである」
旨本気で信じておられ、これを誇示することが、自分が優秀であることの表明であると考えておられるのであれば、ちょっと知的成熟性や実務経験に問題があるかもしれません。
いずれにせよ、訴訟の最終解決形態として和解が優れたものである以上、ほとんどの訴訟弁護士は自己に有利な和解に導くことをゴールとして法廷の内外で活動することになりますし、
「狙いどおりの、ありうべき形の和解」
に持ち込める弁護士ほど腕のいい弁護士ということになります。

(2)和解に際しては、裁判所を味方につけるべき 
和解とは最後は当事者双方が納得しなければならないものなのですから、裁判所は勧告したり助言したりするだけの立場に過ぎません。
ですが、裁判外の和解と異なり、訴訟手続の和解となると裁判所は極めて重要な役割を果たしますので、相手方を説得する以上に裁判所を味方につけて裁判所を通じて交渉を動かしていくことが重要になってきます。
すなわち、和解は原被告当事者だけの問題ではなく、裁判所も
「和解か判決か」
という事件の帰趨に大きな利害と関心をもっており、このため、裁判所は和解の運営には大きな役割を果たします(平たくいえば、かなり強くお節介を焼いてくれます)。
そもそも裁判官は、民間企業の営業達成ノルマなどと同じように、
「多数の手持ち事件の迅速で適切な解決」
というノルマを上から課され、当事者以上に重圧を抱えています。
ここで
「解決」
と書いたのは意味があります。
すなわち、裁判所にとって、和解であろうが判決であろうが
「事件の解決」
となり、こなした仕事としてカウントされるようなのです。
そうした状況にあって、
「和解をしてくれたら判決を書く手間が省ける」
という意味で、和解は
「大幅な作業負担から解放される解決形態」
としてどの裁判官からも歓迎されます。
加えて、判断が微妙な事件の判決となると、裁判官も神経を使いますし、自分の判断が上級審でひっくり返されると
「判断を誤って当事者に迷惑をかけた」
という意味で、非常にイヤな気分にさせられますし、出世にも響く可能性もあります。
また、裁判官は和解を勧めるに大きな権力をもっています。
すなわち、
「ここで和解に協力しないと、あんたに不利な判断をしちゃうよ」
という隠然たるパワーを匂わすことができるのです。
この空気を読めないと、有利なはずの事件で逆転で負けることだって起こり得ます。
以上のとおり、和解を有利に進めるためには、相手をどう譲歩させるか以上に、裁判官をどう動かすかという点に注力すべきであり、裁判官の態度如何で解決の有り様が大きく変わる場合があります。
石田さんとしては、前々回述べてきたような
「原告の主張に有意なケチ・難癖」
を様々につけて、裁判官に対して
「判決となると微妙な判断になるし、高裁にもってちゃうかもしれないよ」
ということをソフトにアピールしつつ(裁判官は恫喝を嫌いますので、間違っても機嫌を損ねてはなりません。
「こんなもん、払えるか、ボケ」
「裁判なんてナンボのもんじゃい」
「判決上等じゃい上にもっていったるさかい、やれるもんやったら、やってみんかい」
「公僕風情が納税者に向かってエラそうに何いいさらしとんねん」
みたいな態度は絶対禁物です)、
「私としても和解で解決したいんで、強硬な相手を説得してくださいよ」
と裁判官を味方につけるような形で和解手続を進めることが重要になってきます。

(3)和解条件の設計
具体的な和解の条件設計についてです。
和解のおおまかな意味はさておき、どのように和解の条件を設計していけばいいのでしょうか?
和解条件を設計する上で、何か決まりはあるのでしょうか?
ということについて説明して参ります。
そもそも和解とは何か、というと、これは一種の契約であり、契約には
「契約自由の原則」
が働きます。
「契約自由の原則」
とは、契約の内容として、どのような権利や義務を盛り込むかはまったく当事者の自由であり、権利や義務の内容がきちんと特定してあるにもかかわらずこれが守られない場合、裁判所という国家権力がその実現を助けるというルールです(麻薬の売買や殺人の依頼契約や賭博に関わる合意や愛人契約・奴隷契約の類は公序良俗に反するという理由で無効になりますが)。
すなわち、和解が契約である以上、その内容は、当事者間の自由、交渉によって決まったらその内容は何だっていい、ということです。
このように、和解内容を勝手に設計するのは自由です。
しかしながら、契約である以上相手の承諾が必要ですので、相手方がNOといえば和解契約としては成立しません。
また、訴訟の行く末や場の空気を読めず、あまり不当な条件に固執していると裁判所の不興を被り、和解交渉を打ち切られ、そのまま判決に移行されてしまいます。
したがって、
「『裁判所の共感を呼び、相手方が同意してくれる』という範囲において、いかに自分にとって有利な和解条件を設計するか」
が和解の具体的条件を作る上でのポイントになります。
ここで、石田鈍一さんの立場(訴訟の被告となってカネを支払わされる側)に立って、和解条件設計の上でのいくつかのポイントを述べていきます。

(ア) 和解金の支払は分割か、一括の場合は値切交渉を
石田鈍一さんは、和解の内容として一定の金銭の支払に合意させられることになると思います。
ここで、石田さん側としては、支払う金額自体が極力安くなるよう値切り倒すのは当然として、支払方法もなるべく分割にしてもらうよう交渉すべきです。
一旦分割提案をし、その上で相手方がなお一括支払を求める場合、
「知人から借りて支払いますが、限度があるので、全部は無理」
などといってさらに値切ってみるのも1つの戦術です。

(イ) 和解金の支払名目
それと、和解金の支払名目ですが、法律上の損害賠償義務の存在を前提としない、解決金とかの名目にしておいた方がいいでしょう。
石田鈍一さんが負うべき損害賠償義務の相手方は、何も現在原告となっている債権者だけとは限りません。
すなわち、今後、ほかにもうじゃうじゃ損害賠償を求めて提訴してくる連中がいるかもしれません。
そんなときに、石田さんが、今回の裁判で、
「自分の非違や相手に金銭に換算しうる具体的損害を被らせたこと」
を認めたとなると、これが前例として、次回の裁判で相手方に援用されるかもしれません。
ですので、
「お互い大人として、悪いことをしたかどうかは明らかにしないようにして、とりあえずこんな無駄な紛争は止めましょう。そういう大人の解決のためにお金で関係を清算しましょう」
という趣旨のお金のやりとりだけにしておくことには意味があります。

(ウ) 守秘義務
上記と同様の趣旨で、守秘義務契約を和解契約に盛り込んでおくことも考える必要があるでしょう。
すなわち、
「特定の債権者との訴訟において、名目はともあれ、石田鈍一さんが債権者に結構な額のカネを支払った」
という事実が他の債権者に知れると、また損害賠償請求訴訟のターゲットになる危険が出てきます。
ですから、今回和解をする債権者との間で、和解に金銭の授受が伴っていることを秘匿してもらう旨の約束をいただくと、和解することが後に生きてきます。
1番良いのは、
「裁判外で守秘義務を含む和解をし、当該和解に基づき、訴訟手続としては債権者が無条件に訴えを放棄した格好にしてもらう」
という形でしょうか。

(エ) 清算条項
最後に清算条項について。
裁判内外の和解において、
「原告及び被告は、本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
などという条項を入れることがよくあります(債権債務関係の清算を行うことから「清算条項」などといいます)。
ここで注意が必要なのは、
「原告及び被告は、『本件に関し、』本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
タイプの条項と、
「原告及び被告は、本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
タイプの条項
の2つがあるということです。
なんだ、
「2つともたいして変わんないじゃん」
なんて声が聞こえてきそうですが、
「本件に関し、」があるのとないのとで、実は大きく異なるのです。
前者(「本件に関し、」がついている方)だと、本件以外の問題について従前の事実関係に基づき債権者が石田鈍一さんに対して請求すべき事案が生じた場合、原告債権者が、再度、石田さんに対して訴訟を提起する余地を残すことになりますが、これは石田さんにとって脅威となります。
後者(「本件に関し、」がついていない方。「包括清算条項」などということもあります)だと、
「本件も含め、和解時点において石田さんと原告債権者との間には、一切、請求したり・されたりの関係がないこと」
を確認することになりますので、たとえ従前の事実関係に基づき債権者が石田鈍一さんに対して請求すべきようなネタを発見した場合でも、債権者は石田鈍一さんに対して訴訟を提起できなくなります。
今回の事件では想定しがたいのですが、2当事者間に根深い対立があり、こっちの土地の問題、あっちの土地の問題、こっちの建物の問題、あっちの建物の問題、遺産分割の問題、損害賠償の問題等々雑多な事件が複数存在する場合、包括清算条項にするかしないかでは、大きな差異を生じることになります。
以上のような形で和解交渉を進めていくことになります。
こういう感じでうまく和解ができれば、それで訴訟は最終的に終結することとなります(たとえ、どんなに条件的に不服であっても、一旦和解した以上、事件を高裁や最高裁に本件を持ち込むことはできません)。

VII 敗戦対策
天才ナポレオンがロシアで失敗したように、徳川家康が三方原で敗北したように、どんな訴訟においても敗訴という事態が存在します。
ただ、敗訴といっても、剣道や柔道のように勝敗が一瞬にして決まるわけではありません。
これまで述べてきたとおり、裁判は、双方の言い分を整理し、双方の言い分の裏付けを確認し、関係者に対して直接質疑し、和解の条件を出させ、譲歩をし、また和解の条件を出させ、さらに譲歩をさせ・・・という重畳かつ緩慢な過程を経て進んでいきます。
結審前後になっても、裁判所は、なお
「被告ももうちょっとお金出せるでしょ。お金出せないっていうんだったら、敗訴させますよ。本当にいいんですか? 知りませんよ。本当に本当にこれが最後なんですよ。ちゃんと空気読めてますか」
みたいな形で和解を勧め、それでもダメと見極めた上で、判決を下します。
その意味では
「準備ができずパニックになる」
というようなものではありません。
ですが、やはり、不利な結論を見越してある程度の備えはしておくべきだと思います。
まず、敗戦対策のもっとも重要なポイントは、負けた側にどのような不利が発生するか正確に認識することです。
民事の場合、判決に基づいて、収監されたり、首を吊るされたりするわけではなく、判決といっても
「債務者の財産に対して強制執行をしてもかまいません」
ということを宣言した紙切れが裁判所から送られてくるにすぎません。
強制執行というと
「身ぐるみ剥がれる」
みたいな非常に陰惨なイメージがありますが、実際は、それほど厳しいものではありません。
無論、高価な財産があれば差し押さえられオークションされますが、生活に必要な家財(テレビや冷蔵庫も)まで差し押さえられることはありません(「着ている服以外の服は全部差し押さえられるから、執行官がやってきたら、とりあえず十二単のように服という服を全部着ろ」なんてのは迷信です)。
無論、理論上、債権者からの申立により強制破産される可能性はあります。
ですが、強制破産には、債権者側において相当額の予納金を用意する必要があり、どこかのマンション分譲業者のように資産隠しをしてそうな相手にはそれなりの意味はありそうですが、本当にお金がない人に対しては、まったく意味がありません。
予納金(葬儀費用に相当)を負担してまで
「経済人としてのお葬式」
をあげようなどという債権者は、債務者にとって実に奇特な存在に映るはずです。
なお、今回の石田鈍一さんの場合、不倫文化開発社のオーナーとして同社の株式を保有しており、これが差し押さえられる可能性がありますので、上記のようにタカをくくるというわけにはいきません。
そして、こういう場合は、やはり控訴せざるを得ません。
ここで、控訴審のポイントをお伝えしておきます。
みなさんは、小さいころ、社会科で
「日本は3審制であり、1つの事件を、地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所の3つの裁判所で慎重に判断してくれます」
ということを習ったかもしれませんが、これは民事・商事実務では事態を正確にあらわした表現とはいえません。
現在の民事・商事実務においては、最高裁で審理されることはほとんどなく、高等裁判所が事実上の最終審となります。
じゃあ、事実上の最終審である高等裁判所で地方裁判所での一審同様、いろいろ話を聞いてくれるか、という点についても、これもNOです。
1審での判決が極端にひどいものであった場合等を除き、高等裁判所で1審の判断がひっくり返ることはまずありません。
ですが、高等裁判所においては、ほとんどといっていいくらい、和解を勧めてくれますし、高等裁判所における和解は非常に重みがあり、かなりの割合で高裁における和解はまとまるのです。
高等裁判所の裁判官は、いうまでもなく地裁の判事よりも権威がありかつプライドも高く、また、彼ら・彼女たちが勧める和解内容は1審の審理や判決を前提としている点で合理的な提案が多いといえます。
その意味で、高裁判事から勧められた和解を、当事者が不合理な理由で拒否すると、いたく彼ら・彼女たちの権威やプライドを傷つける結果となります。
特に、
「いろいろ主張に問題はあるが、どっちかというとこっちに証拠があるから負けさせるのもどうかと思うので、とりあえず勝たせてあげる」
みたいな判決内容で1審勝訴した当事者が、勝った余勢をバックに、
「和解? うるせーバカ。早く判決出せ、このタコ」
みたいな態度で不合理に提案を拒否すると、逆転判決を食らうことも結構な割合であったりします。
すなわち、我々民事・商事実務弁護士の間では、
「高裁の和解提案は意味なく蹴るな」
という暗黙のルールがあり、そういう点で、高裁での和解提案拒否は勝った方も負けた方もリスクがあるため、高裁で和解が成立する可能性は地裁に比して格段に高いといえるのです。
ですので、石田鈍一さんとしても、1審での和解交渉に失敗し、敗訴判決を食らっても、めげずに高裁に控訴し、高裁判事に再度言い分を切々と訴えると共に、少しでも有利な和解を勧めてもらえるよう粘るべきです。

【紛争法務対応の極意】
一 訴訟の相手方の欲求を見抜け!それによって、自分がどこで妥協すべきか、または全面戦争すべきかが変わるぞ!
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一 和解条件は工夫のし甲斐があるぞ!事件に併せて細かな文言を調整する等、こここそが使える弁護士かどうかの見極め所になるぞ!

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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