フィリップ・ジンバルドという心理学者が、匿名状態にある人間の行動特性を調べる実験を行ったそうです。
その結果、
「匿名性が保証され、責任が分散されているといった状態におかれた人間は、自己を規制する意識が低くなり、衝動的・非合理的行動が現われ、周囲に感化されやすくなる」
という心理学上の理論が導かれたそうです。
これは経験上も理解できる話です。
ある社会において
「ルール違反をしても、皆見て見ぬふりをするし、誰からも咎められることはない」
という環境を作った場合、その社会はどうなるか。
宗教家の方などは、
「善なる本質を有する人間は、外部の強制規範などなくても、自己を律して行動するので、その社会は健全に発展する」
などという話をするかもしれませんが、現実は、前述の心理学の実験のとおりであり、
「皆、やりたい放題、ルール違反をしだし、その結果、秩序を保てなくなり、社会自体が崩壊する」
ということになります。
かつて、
「終身雇用」
を謳い、企業と従業員は、
“擬似家族”の関係
を形成していました。
この時代、
鎌倉幕府における「御恩と奉公」が如く、
「従業員が企業に永遠の忠誠を誓い、企業が死ぬまで従業員の面倒をみる」
という世界的にみても特殊な企業文化が存在していました。
「終身雇用は絶対」
「企業と従業員は家族」
等といわれた牧歌的な時代においては、
「親」
ともいうべき企業を害するような不心得者の従業員は少なく、企業側が口うるさく指導しなくとも、従業員は指揮命令や法令を遵守し、企業という小さな社会は平和で健全でした。
ところが、現代の日本企業社会においては、終身雇用制は崩壊しつつあり、企業と従業員の関係は、労働力とカネを交換するドライな取引関係となってきています。
実際、新人社員は少しでも気に食わないことがあるとすぐに企業を辞めますし、企業側も業績が悪化すれば平然とクビを切ろうとします。
そのような状況において、内部統制・コンプライアンスを推進し、企業という社会を健全に保つためには、
「従業員を監視し、ルール違反をしていないか常に見張る」
「従業員が相互に監視させ、ルール違反をしたら、常に相互にチクられる」
という環境が絶対必要になります。
「違反監視」や「密告」や「チクリ」
というと非常にネガティブな印象をもたれがちですが、前述の心理学の理論のとおり、
「ルール違反をしても、皆見て見ぬふりをするし、誰からも咎められることはない」
という状況を放置することの方が企業という社会にとって危険です。
このような前提の下、企業において内部統制・コンプライアンスを推進するため、現在、多くの企業が、内部監査制度や内部通報制度を整備・運用し、企業内部の各種規則違反や法令違反行為の検知に努めています。
「内部監査を遂行する」
「内部通報制度の整備・運用をする」
という仕事は、企業という社会が健全性を保って発展していくために極めて重要な仕事ですが、他方、
「秘密警察」や「密告」や「チクリ」
に関わる仕事という側面もあり、誰もが忌避したがる仕事です。
こういう仕事を進めていく上では、感情を入れず、機械的に行うことが肝要です。
また、内部の人間が行うとバイアス(偏見)が入り込む場合があるので、外注を効果的に使うことも必要です。
それと、内部監査制度や内部通報制度を用いるにあたっては、その限界も踏まえておく必要があります。
まず、内部監査制度は中間管理職以下の非違行為を定期不定期にモニタリングします。
そして、内部通報制度は中管理職の非違行為を、通常のコミュニケーションラインではなく、(通報窓口を通じて)トップに直接知らしめ、内部の膿をあぶり出するものです。
しかし、トップマネジメント自身が違法行為をする場合、違法の検知・是正することは困難となります。
光学機器メーカーのO社において、歴代トップが長年にわたって粉飾決算を重ねていたことが明るみになりましたが、内部監査制度や内部通報制度がトップマネジメント以外の従業員・中管理職の違法を検知するものである以上、どんなに内部監査制度や内部通報制度を充実させようが、トップマネジメント自身の不祥事は検知できませんし、是正は期待できません。
とくに、内部通報制度は、密告・チクリの類を推奨するものであり、その運用の成果は、密告する側、チクる側の利用モラルに異存します。
すなわち、内部通報制度を整備・運用すると、(特に)人事異動時期が近づくにつれ、嫌がらせの通報が増加する傾向が見られます。
この種の通報は、そもそも通報事由に該当しないような誹謗中傷の場合が多く、この種の
「ナンセンスレポート」
を効果的に排除していく工夫も必要になります。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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