1 裁判における「真の敵」とは裁判官なり
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
とは孫子の兵法でも有名な一節ですが、これは裁判対策にもあてはまります。
当然、裁判対策を練る上では、
「真の敵」
を知る必要があります。
ここで、通常、
「敵」
というと訴訟の相手方、すなわち裁判の相手方を真っ先に思い浮かべる方が多いと思いますが、裁判において
「敵」
として注意しなければならない存在はこれだけではありません。
裁判を進める上では、訴訟の相手方だけでなく、裁判所も
「『場合によっては自分に不利な方向で事件をさばく可能性がある』という文脈において敵である」
ということをしっかり認識しておかなければなりません。
こういう認識の下、漫然と裁判所を信頼することなく、その動きを注視し、手続の方向や心証の動きをきちんとみておくべきであり、そうしないと思わぬところで足をすくわれることにつながります。
すなわち、裁判というゲームにおいて、生殺与奪の鍵をもっている裁判所であり、しかも裁判所は
「憲法上、自由放埒で独善的な判断が保障されている」
という意味で、何をしでかすかわからず、訴訟の相手方以上に危険かつ厄介な存在であり、裁判においてもっともケアしなければならない存在なのです。
2 裁判所が自分にとって「敵」になる場合
かなり前の話になりますが、某大学教授とその教授がかつて所属していた企業との発明の対価をめぐる高裁での紛争がありましたが、報道によると、一審で200億円もの額が認められた職務発明対価が、控訴審で6億円あまりに減額され、強硬に和解を受諾させられた、ということでした。
和解直後、当該教授は記者会見において
「日本の司法は腐っている!」
などとかなり激しく怒っておられました。
この教授は、おそらく、
「裁判所が敵となる場合」
という状況を想像せず、
「自分たちの言い分を、常にきちんと聞いてくれる味方である」
という勝手で強固な思い込みをしておられたのであり、だからこそ
「裏切られた!」
という感情が強く出たのでしょう。
プロの訴訟弁護士からすれば、司法の判断が裁判所毎に変わったり、世間の常識とまったく逆の経験則でありえない事実を認定したり、明らかに条文の解釈や法的安定性を無視した判断を裁判所が平然とすることなど日常茶飯事です。
ですから、裁判所が常に正しい訴訟運営と事実認定をするとは限らず、むしろ逆の事態を発生しうるリスクとして頭に入れておくべきだったのです。
「国政選挙における定数問題において、島根県や鳥取県の人たちは1人5票有し、東京都民には1人1票しかもてなくて、地域によって投票の価値が不平等で、『多数決』ではない『少数決』で政治運営されていても、民主主義や平等原則に反しない」
なんていう異常なことを平気でのたまう権力機関からすれば、発明の価値を200億から6億円程度に減じることなど
「たいしたこと」
のうちに入りません。
その意味では、例の大学教授は、こういう事情を弁護士からきちんと説明を受け、訴訟の帰趨に対する期待値を適切な水準にまで下げていれば、あのように取り乱すこともなかったと思われます。
裁判所や裁判官というと、今でこそ、なんとなく上品で紳士的なイメージがありますが、これまでみてきたとおり、法を解釈したり事実の存否を認定できる権力って、実はこの社会においてもっとも強大で危険なものです。
裁判所は違憲立法審査権という権力をもっていますが、これは、
「不透明な選任過程で選ばれた、見たことも聞いたこともない15人の地味な老人」
が、選挙で選んだ議員が侃々諤々の議論の末決めた法律や、民主的基盤を持ち営々と行ってきた行政府の行為を、
「独自の憲法観に合わない」
という理由だけで、吹っ飛ばせるパワーですから、十分ラディカルな権力といえます。
3 裁判では、まず「敵」を知ること
裁判を進める上で、訴訟の相手方も厄介なものですが、
「裁判所」
こそが最大のジョーカーになるということはすでに述べたとおりです。
「世間一般のイメージと実体が異なる」
というのは、世の中においてよくみられる現象ですが、これまで縷々述べてきたとおり、裁判所なり裁判官もその1つです。
裁判所というのは、常に真実を発見できる目をもった超能力集団ではなく、当然ながら、機能的限界が内在します。
行政機関とはやや違うとはいえ、裁判所も当然ながら、お役所という法運用機関には変わりありませんので、役所内部のルールに沿って言い分を申し述べないとまったく動いてくれませんし(このような裁判所というお役所に話すときに用いる特殊なルールないし体系を「要件事実論」なんて呼んだりします)、お役所が動きやすい環境を作るのは、お役所から何らかのアクションをもらう側としては当然の義務です。
役所に出向いて、プラカードやメガフォンをもって、旗立てて、ワーワーキーキー叫んでも役所は何にも協力してくれませんが、一定の方式に則って完全な文書を準備して提出し、役所が好むロジックを使って説得すると、お役所は様々な便宜を図ってくれます。
われわれ弁護士の活動というのは、片手に依頼者というお客、もう片手に裁判所というお客様(「判決」というわれわれのもっとも欲するものを出してくれるという点で、依頼者よりも大事な「お客さん」といえます)を抱え、その両者の認識を整合させるようにすることにあります。
バカもハサミも役人も使いようです。
裁判を進める上では、このような機能的限界を十分ふまえた上で活用しなければなりませんし、逆にこういうことをふまえず
「機能的限界のない常にかつ当然に真実が発見できる完全無欠の神様」
と考えるとたいてい訴訟運営に失敗することとなるのです。
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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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