官舎にひっそりと住み、飲みに行くときも周囲に気を使い、ストレス解消で気ままにハジケルことすら自粛する。
そんなおカタい公務員かと思えば、憲法上
「自分の良心にさえしたがっていれば、仕事の上で何をやらかしてもよろしい」
と絶対的覇権的権力を完全な自由裁量で行使する自由が保障された独裁者で、たまに社会常識に反する無茶苦茶なことを平気でやる。
選挙が行われるわけでもなく、採用基準も不明瞭で、業務の方針はおろか、出世の基準すら曖昧。
実体も運営もまったくよくワカンナイ集団ながら、日本という国家の中で、行政決定はいうに及ばず、選良のなした立法判断すらぶっ飛ばしてしまう最強権力を掌握する寡頭集団。
そんな裁判所との付き合いもかれこれ二十数年になりますが、
「一出入り業者風情」
である弁護士の私からみても、この
「閉ざされた秘境」
ともいうべき国家機関は、目指す方向性が不明で、不可解で謎に満ちた集団にしか映りません。
裁判所は、おそらく今後も、
「市民の健全な常識」
とはまったく隔絶した状態で、取引社会や市民社会の
「ジョーカー」
として、独自の価値観と強大な権力をもって、揉め事を適当に裁いていくことでしょう。
「裁判所」
を知らない一般の方々にとっての
「裁判官像」
というと、
「超人的な明晰さを以て常に真実を見通し、姿勢としても一切ブレない、神様」
の如き存在なのかもしれません。
しかしながら、
「神様」
にもいろいろあります。
つまるところ、裁判所は、
「謹厳実直で、常に正しく、適当なことは絶対言わない、一神教における神様」
のような存在ではなく、多神教社会であったギリシャやローマの神話に出てくるような
「適当で、気まぐれで、割と間違いが多く、一貫性がなく、ある意味人間的と言えば人間的な神様」
と思っていた方が実体に近いのだと思います。
こんな裁判所ないし裁判官との付き合い方としては、礼を尽くし、気を使い、顔色を伺いながら、卑屈に、神妙に行動し、
「神様の気まぐれ」
が少しでも自分の有利に働くよう、誠意を尽くして、
「捧げ物」
ならぬ
「書面」
や
「証拠」
を準備し、提供することが肝要なのです。
そして、こういう地道な努力を厭わない
「知的な男芸者」(女性弁護士の場合は、「知的な芸者」)
が、われわれ法廷弁護士の実体なのです。
こんな面倒な法廷活動、すなわち
「気まぐれな権力者の前で、自己に有利な決定欲しさに、卑屈に振る舞う」
というのが嫌であれば、裁判所などというところに近づかないのが一番です。
そんなこともあって、最近では、
「契約や取決めを事前にしっかりしておき、裁判所に近づかなくても、世の中を渡っていけるようにするための法的技術」、
すなわち、
「(裁判法務・治療法務ではない)予防法務」
というのが企業等で積極的に採用されるようになっています。
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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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