===========================
XX様の現在の感覚・認識ですが、
1 自分はホニャララ大学チョメチョメ部卒のインテリだ
2 しかもN年以上もきちんと人生を生きてきた
3 だから、世間のことを知っているし、世事に長けている
4 だいたいのことは、自分の感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)で処理できるし、そうしてきてなんの問題もなかった
5 自分の観察や俯瞰は公正で公平だ
6 世の中、特定の課題について唯一無二の絶対的な解答があり、それにしたがって世間は動いていくはずだ(し、そのように動くべきだ)
7 見解や対立や意見の相違は、すぐに裁判になる。相手を怒らせてもすぐに裁判に持ち込まれる
8 裁判がはじまると、自分自身が呼び出され、傍聴人が押しかけ、「陪審員」が並ぶ法廷に出て、多大な時間とエネルギーが吸い取られる
9 膨大な訴訟記録を読んだり、証人尋問で吊るし上げられ、不愉快な思いをする
10 数週間で白黒はっきりつけられてしまうし、証言に失敗したりあせったら、「陪審員」次第で、相手のウソがまかり通ってしまう
11 敗訴したら、周りで石を投げられ、世間に顔向けできなくなり、地域で生きていけなくなる
12 相手を怒らせたら、そんな目に遭うので、怒らせたり、決定的な対立状況に陥ることは避けなければならない
13 だからこんなひどい裁判は避けるべきだし、リスクは一切負えないので、相手のいいなりになるべきだ
こんな脳内バイアスが巣食ってるようです。
そして、小職は、この状況を所与として、次回打ち合わせを予定しております。
ただ、これらはすべて放置すべき状況ではなく、啓蒙を要する喫緊の矯正課題だと認識しています。
ここまで酷い状況を放置しますと、課題や方法論を議論する以前の状況であり、ゴールの共有はおろか、状況認識の共有、情勢解釈・評価の共有すら困難な事態に陥り、膨大な時間とエネルギーの無駄を招きかねません。
他に、矯正課題があれば、事前に知っておきたいので、この際、
「N年以上も矯正されないまま、脳内に巣食ってきた「感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)」
なるものがあれば、次回打ち合わせまでにすべて小職にご教示ください。
「聞くは一時の恥、聞かぬ(知らぬ)は末代までの恥」
とも言います。
「60の手習い」
などと申しますが、何事も始めるのに遅い、ということはありませんし、老人になっても、脳内のバイアスを除去しておくことは必要です。
どんなに、XX様の
「感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)」
なるものが、どれほど愚劣で失笑に値するような誤ったものものであれ、矯正の労は厭いませんので、この際、すべて、吐き出していただければ、と思います。
なお、小職が、XX様を啓蒙ないし矯正する資格と能力があるか、という点について確信を持てませんが、小職も
「平均以上にアタマがいい方かな」
くらいには思っております(私の奥ゆかしい性格もあり、もちろん、かなり謙虚に申しております)ので、相対的にその任にあたる資格があると思います。
すなわち、小職としては、基本スペックにおいて、演繹能力や展開予測能力やロジック把握能力も、日本人の平均を上回っていますが、加えて、帰納的考察で自律的に知識と体系を吸収する力も持っています。
無論、日本人の平均以上、という程度において、相対的なものですが。
私が後者(帰納的考察で自律的に知識と体系を吸収する力)を獲得できた経緯については、
「天動説」的頭脳(唯我独尊的メンタリティ)
ではなく、
「地動説」的な頭脳
の働きがあるから、と思っています。
ポリシーと現実的課題が対立したらどうするか?
「天動説」的頭脳
をもつアホは、ポリシーにしたがって、現実的課題を克服しようとします。
これは、アホの中のアホです。
東大卒であれ、京大卒であれ、この種のアホが結構な割合います。
この種のアホに限って、
「自分はホニャララ大卒のインテリだ」
「しかもN年以上もきちんと人生を生きてきた」
「だから、世間のことを知っているし、世事に長けている」
「だいたいのことは、自分の感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)で処理できる」
などとほざいてくれます。
しかしながら、このような自己評価にもかかわらず、
「平時課題(ビジネスマナー)ではない、常識(という陳腐な偏見なコレクション)が通用しない有事課題(リーガルマター)」
に遭遇すると、天動説的な頭脳の歪みが災いして、 混乱の中、致命的な失敗を犯し続け、最悪の結果を招きます。
では、
「地動説的な、自律的な帰納型思考ができる、柔軟性と冗長性に満ちた知性」
の持ち主は、 ポリシーと現実的課題が対立したらどうするか?
「ポリシーを以て現実を変える」
などという愚劣極まりないことはしません。
ポリシーと現実的課題が対立したら、
「ポリシーを以て現実を変える」
のではなく
「現実にあわせて、ポリシーを変える」
のが賢い人間のやることです。
現実に適合するように、自分の中の思考軸や体系を変化させ、あるいは新たな思考軸や体系を創出するのです。
新たな状況に対しては、
「自分の感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)によって、脳内で妄想として構築した仮説で一発勝負をする」
のではなく、
「試行錯誤を繰り返しつつ、最善解・現実解を得られるまで、柔軟に対応をする」
ことでしか対応できません。
この種のことがやってのけられるのは、
・ほどほどに地頭がよく(東大や京大に現役合格する程度の頭脳の基本スペックを指します)があり、
・想像力が傑出して、立場の交換シミュレーションが容易に出来
・思考軸や思考体系(試行錯誤のプラン)のモデルを豊富に有していて
・試行錯誤を厭わない程度に柔軟性がある
というタイプです。
もちろん、小職もまだまだです。
50を超えても、なお、勉強中・修行中です。
「50の手習い」真っ最中
です。
とはいえ、嘆くことではありませんし、小職も自らの非才を嘆いていません。
前記のようなスペックをもつ社会的天才(ないし政治的天才)は、ほんの一握りです。
ちなみに、凡才の私は
「一握り」
に入っておりません。
読書等を通じた出会いを含めて、この種の天才に出会った数としては、古今東西で1000人未満ですから。
ただ、
「この種の知性をもつ天才の存在を認め、かつ自己の足らざるを(悔しく不愉快ながら)認め、当該知性に対して謙虚に対処して、謦咳に接し、自分もこれに近づくよう、努力する」
という姿勢をもつことは、どんなバカでもできますし、小職もこのような
「努力する姿勢をもつ、謙虚なバカ」
に入っているものと自負しております。
小職が、
「知性とは、外向性、情緒の安定性、思考の柔軟性、経験の開放性ないし新規探索性、自己評価の下方柔軟性あるいは外罰傾向の欠如(=伸びしろそのもの)」
と定義する所以は、こういうことです。
「自分はホニャララ大卒のインテリだ」
「しかもN年以上もきちんと人生を生きてきた」
「だから、世間のことを知っているし、世事に長けている」
「だいたいのことは、自分の感覚や哲学や価値観や正義感や常識(という偏見のコレクション)で処理できる」
という前提認識は、XX様の知的成長にとって有害でしかありませんし、蒙を啓く障害となり、現下の状況ないし課題に
「知的」
に対応する営みを妨害します。
加えて、この啓蒙課題や矯正課題を放置したまま、
「言葉は通じるが、話はまったく通じない」
という協議を重ねたところで、小職の貴重な時間を奪い、タイムチャージという貴我間の取引基盤を通じて、XX様の財布を痛めつける結果になるだけで、利敵の最たる結果を招来します。
端的に申せば、
「口を閉ざし、耳を開け、心を広くし、素直に人の話を聞き、俯瞰的に物事をみて、たとえ心底腹が立ち、耳に逆らう事態や状況や方針であっても、虚心坦懐に捉えてください」
ということになります。
意のあるところを汲んでいただければ幸いです。
畑中鐵丸拝
===========================
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
✓当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ:
✓当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ:
✓当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ:
企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所