「インフレ経済を前提とした高度成長時代」
から
「デフレ経済を前提としたモノ余り、低成長時代」
に突入した日本においては、競争のルールが、より苛酷に、よりシビアに、より冷徹な方向で、劇的に変化しました。
2015年に、
「デフレ脱却のため、異次元とも言えるレベルで金融の量的緩和(通貨供給量の増加)で、経済が再び成長する」
という社会実験(アベノミクス)が行われはじめましたが、とはいえ、高度経済成長時代のような継続する右肩上がりの成長が再来する、ということは想定困難です。
バブル崩壊後、
「モノ余り、低成長時代」
を迎えた成熟した日本の経済社会においては、すでに、監督官庁の保護育成も、業界同士の横のつながりも、今までの大量消費(販売)を前提とした大量生産もまったく機能しなくなっています。
金融緩和云々は別にして、産業社会は、
「品質と価格に基づく、シビアな能率競争」
を前提に、縮小しつつあるパイを苛烈に奪い合う競争社会に突入したのです。
上品な言い方をすれば
「アングロサクソン型の競争時代に突入した」
ということになりますし、平たい言い方に変えれば
「義理も人情も仁義も品もない、ガチンコ勝負の時代に変わった」
ということになります。
時代や環境が変化した以上、企業あるいは経営者の考え方もそれに合わせて変え、昭和の時代の美徳であった義理や人情や仁義や品など捨ててしまえばいいだけです。
しかしながら、
「真面目で、誠実で、清く正しく美しく生きることに至上の価値を置く、育ちがよく、世間体を気にするタイプの経営者」
は、これができないばかりに、危機を深めてしまいがちです。
そうしているうちに、
「にっちもさっちもいかない、本当の危機」
に陥ってしまいます。
そして、危機に遭遇したらしたで、こういう経営者はたちまち余裕をなくしパニックに陥ります。
現実的な思考のできない(あるいは物事をドライに割り切れない)経営者は、事態を過激な方向で打開しようとしてどんどん深みにはまっていきます。
経営は、結果が全てであり、徹頭徹尾、現実的な思考・行動が要求されます。
正義が大好きな熱血漢タイプの経営者は、ときに情緒的な判断をしてしまいがちで、
「ブレーキの利かない暴走列車」
がごとく、破滅に向かってまっしぐらに突っ込んでいきかねない危うさがあります。
プライドやら品性やら、個人の生活において個人の考え方として大事にしたいというのであれば、それはそれでかまいません。
ですが、少なくなりつつあるパイを奪い合うために徹底的に現実的思考・行動を追求すべき経営判断において、その種の有害な考え方を取り込もうとする企業は、今のご時世相当危うい傾向にあるといえます。
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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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