01771_11歳からの企業法務入門_4_法律も、契約も、「書いていないことは何をやっても自由」と考えてよく、ワルとズルの味方

法であれ、契約であれ、小難しい言葉で書かれた文書ですが、
「あれをしろ、これをしろ、と窮屈に人をしばりつける厄介で面倒なモノ」
と思うかもしれません。

しかし、
「本当に法律をわかっている、知恵のある人間」
は、そうは考えません。

法であれ、契約であれ、
「あることを守るように約束させられた」
というものですから、
これを逆に捉えれば、
「明確に約束していないことは、何をやろうが文句を言われる筋合いはなく、やりたい放題」
「法律に書いていないことは、何をやっても許される」
「契約に明確に書かれていなければ、どんなに相手に迷惑がかかろうが、お構いなし。こちらにメリットがあるなら、とことん好き勝手やる」
ということが容認されているとも考えられます。

「本当に法律をわかっている、知恵のある人間」
は、実際、そう考え、行動します。

もちろん、
「明確に約束していないことは、何をやろうが文句を言われる筋合いはなく、やりたい放題」
「法律に書いていないことは、何をやっても許される」
「契約に明確に書かれていなければ、どんなに相手に迷惑がかかろうが、お構いなし。こちらにメリットがあるなら、とことん好き勝手やる」
ということを考え、口に出し、実践すると、
堅苦しくて退屈で鯱張(しゃちほこば)った世間一般のつまんなそうなオジサンやオバサンから
「常識の通用しない、面倒くさいヤツ」
と思われるかもしれません。

ですが、無用に遠慮して相手のことを考えてやりたいことを我慢した場合と、遠慮せずに好き勝手やった場合で、もし、手にするお金や、損するお金が数億円の違いが出てくるとすれば、どうでしょう。

少なくとも企業経営者は、そういう考え方で、
「法の穴」
「契約の穴」
を探し出し、それが自分に有利に働くのであれば、徹底して、これを逆手にとって、自分の権利を主張し、相手を不利な状況に追い詰めます。

それができるのも、法律や契約は、
「書いてある約束事については効力がある」が、
「書いていないことには効力が及ばない」
という前提があるからです。

このような発想にたてば、法は、
「杓子定規に人を縛り付け自由を奪い去るもの」
ではなく、
「禁止の限界を画し、人に自由と安全を保障してくれる便利で役に立つもの」
とも考えられます。

実際、人にシビアな罰を与える刑法は、適用・発動の条件が厳格に規定されています(罪刑法定主義といいます)。

当然ながら、
「非常識だから、刑法に触れた」
「倫理や道徳に反する行為をしたから、刑法犯」
になるとは限りません。

今なお世界に存在する下品な独裁国家・全体主義国家や、戦前の我が国のような人権が尊重されない非文明的な国家であれば別ですが、少なくとも、現代の日本において、
「お前の行いは非常識だ」
「お前の言動は秩序に反する」
「お前の言い方は不愉快に過ぎ、社会に脅威を与える」
「お前の本は反倫理的で秩序を乱す」
「お前の作品は健全な価値観に対して挑戦的だ」
「お前の思想は堕落した帝国主義の影響を受けており反体制的であり危険だ」
などといった理由で、逮捕され、投獄されることはありません。

いや、今なお、田舎のあんまりイケていない公立学校とか、偏差値的におよろしくない学校等では、
「リベラルに振る舞う生徒」
に対して、 意味不明な校則を理解不能に解釈したり、校則とかすら関係なく、常識や感覚だけで、教師が生徒にヤキを入れたりするようなケースがあると仄聞します。

とはいえ、そういう
「法律的に説明不能な教師の生徒に対するヤキ入れ」
は、出るところに出たら、すなわち裁判になれば、教師側が法的責任を問われることになりかねません。

いずれにせよ、常識や倫理や道徳を持ち出して処罰されたりしないのは、
倫理とか社会道徳とか秩序とか常識とかに違反しても、明確な法令に明確に違反しておらず、
しかも、
罪刑法定主義というリベラルな考え方が根底にある
からです。

我が国民が、どこぞの独裁国家の国民と違って、突然の牢屋送りに怯えることなく、自由で楽しく暮らせるのは、(一見、権威的で、堅苦しく、厄介で窮屈な印象を与える)法律というものが、前述のとおり
「明確に書いてないことは、何をやってもいい」
というリベラルな効能を発揮しているからにほかなりません。

さらにいいますと、
「道義的責任がある」=「(裏を返せば)法的責任までは追及できるかどうか不明」
ということすらいえます。

また、
「企業倫理に反した行動」=「法に触れない範囲での経済合理性を徹底した行動」
とも考えられます。

「社会人としてあるまじき卑劣な行為」も、
法的に観察すれば、
「健全な欲望を持った人間による、本能に忠実な行為であって、非常識とはいえ、法的には問題にできない行い」
と考えられることもあります。

たとえ、
「社会人としてあるまじき卑劣な行為」

「企業倫理に反した行動」
を仕出かし、その結果、新聞やマスコミから、
「道義的責任がある」
「社会的責任を取るべきだ」
とバッシングの嵐があろうが、法に触れていない限り、
「法的には」
まったく責任を取る必要など、ビタ1ミリないのです。

法は、
「法に書いてなければ何をやってもお咎めなし」
という形で、新聞やマスコミや世間のバッシングから、我々を守ってくれる。

そんな意外な一面をもっています。

実際、民法解釈の世界では、
「強欲や狡っ辛さは善」
であり、
「謙虚や慎ましさや奥ゆかしさは怠惰の象徴であり、唾棄すべき悪」
とされています。

すなわち、
「強欲で自己中心的な人間」=「自らの権利実現に勤勉な者」
という形で、民法の世界では保護・救済されます。

「自らの権利や財産を守るために、人目をはばからず、他に先駆けて保全や実現にシビアに動いた者」
は、権利が錯綜する過酷な紛争状況での最終勝者判定の場面で、
「自らの権利実現に勤勉な者」
として、保護されます。

他方で、
「おしとやかで、雅で、控えめな人間」は、
「権利の上に眠れる者」として、消滅時効の場面等で全く保護されず、その権利を奪い去られてしまいます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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