01778_11歳からの企業法務入門_11_トラブったとき(約束に違反しちゃったとき、約束を破られたとき)の対処(3)_裁判でケリをつける方法

裁判になる前に、お互い、冷静になって、話し合って、譲り合って、あきらめ合って、ギブアップし合って、解決出来るならいいのですが、和解や示談といっても、しょせん、相手が同意しなければ成立しない話ですし、やっぱり、そう簡単に同意してくれません。

人間の本質として、冷静に話し合って、譲り合って、あきらめ合って、ギブアップし合って、解決できるくらいなら、中東紛争も、宗教の争いも、百年戦争も、世界大戦も、起こりっこありません。

特に、カネや権利や財産や立場や沽券(こけん。プライドや体面やメンツ)がかかっていますから、当然ながら、話し合いがつかず、そのまま未解決のまま、時間がだけがズルズルということが結構多いです。

大人って、意地っ張りでバカなんですね。

ま、子供もそうですが。

意地っ張りで妥協できない、ということもありますが、立場上無理、妥協した瞬間、他から
「てめえ、何、簡単に妥協してんだよ」
と後ろや横や上から矢が飛んでくる、ということもあります。

すなわち、
「こんな無茶な話、通るわけねえじゃん」
「このくらい妥協してやっていいじゃん」
と個人で思うことがあっても、安易に妥協すると、株主総会で突き上げをくらったり、紛争の原因を作った先輩経営者から文句を言われたり、株主代表訴訟で自分個人で賠償しろとか言われたり、としがらみの関係や立場の関係で、妥協できない場合があります。

そうやって、解決できないまま放置されたり、話し合いが出来ない状態で関係が破壊されたり(手切れや、不調、破談という状態です)した場合、未解決状況に我慢できなくなった方が裁判所に訴え出て、解決を求めることになります。

裁判というと
・原告=正義
・被告=悪者
というイメージがあるかもしれませんが、それは刑事事件の
「被告“人 ”」
のイメージがあるからです。

刑事裁判では、原告側(攻撃側)が
「日本国家専属代理人弁護士(公益の代表者)」
ともいうべき検察官であり、被告側(防御側)が
「犯罪をやらかした」
と疑われている側の指定席になっています。

その関係で、どうしても
「被告人」=「犯罪をやったんだろ、と疑われている側」
というイメージが強烈で、これにつられるように、
「被告人≒被告≒悪者」
というイメージがつきまといます。

ですが、民事裁判においては、特に、そういう関係性はなく、
・原告=先攻
・被告=後攻
程度の意味しかありません。

「被告人」と「被告」
とは
「被告」
という言葉は同じですが、まったく別物です。

「西城秀樹」と「東条英機」
とは、言葉が似ていますが、まったく別人で、血縁関係もありません。

「民事裁判の被告」
と聞いて、
「あいつは犯罪をやったと疑われている、多分悪いやつだ」
という印象をもつのは、
「西城秀樹」をA級戦犯とか第二次世界大戦とか日中戦争とかの戦争指導者とかそれに関係する歴史上の人物と想像するのと同じくらいアホでそそっかしい話です。

※細かく突っ込んでくる方もいますので、補足しますと、刑事裁判の被告人のことも
「あいつは犯罪をやったと疑われている、多分悪いやつだ」
という印象を持つのもイケナイこととされています。
これは
「無罪推定の原則」
というものがあるからです。
といっても、「無罪推定の原則」という高尚な理屈の話は、精神年齢21歳程度(私が東大法学部に在学していたころの水準で考えていますので、人によって前後はありえます)でないと理解できません。
日本人の大半は、
「逮捕されたから、あいつは犯罪者」
「起訴されたから、有罪で決まり」
「被告人=凶悪犯」
という単純な図式でしかとらえられない程度の知能しかありません。
テレビをはじめとする殆どのマスメディアもそのような図式に乗っかって話をすすめる傾向があります。
したがって、理解できないからといって、別に「理解できない人間が極端にバカ」というわけでもなく、「平均的日本人程度に劣化した知能水準であることを示唆している」という程度の話ですので、悲しむことはありません。※

裁判をはじめるには、たいてい弁護士という国家資格をもった専門家にお願いすることになります。

「たいてい」というのは、別に「弁護士でなきゃ裁判が起こせない」という決まりがあるわけでもなく、本人で裁判を起こすことも可能であり、弁護士をつけるかどうかは自由だからです。

言いたいことを「訴状」という書類にまとめて、これに証拠をくっつけて、印紙(裁判所利用料を支払うための特殊な金券)を貼っつけて、裁判所に持ち込んで、相手に訴状を送りつけて届けば裁判開始です。

実際の民事裁判ですが、テレビドラマとかのイメージとは、全く違います。

まず、傍聴人がほとんどいません。というか、傍聴人ゼロ、というのがデフォルトの状況です。

次に、弁護士は、ほとんどしゃべりません。というのは、主張内容は、すべて事前に文書で出すことが通常だからです。
したがって、民事訴訟は、筆談戦です。
「筆談でのディベート合戦」という、ややシュールな光景が展開します。
当然ながら、傍聴席にいるギャラリーは、何が何だかまったくわかりません。
傍聴人のことは、ほったらかしで、置いてけぼりにして、当事者・関係者だけでさっさと進めるのが、日本の民事裁判です。

それと、判決が出ないことが多いです。

え?裁判って判決出すためにやってんじゃないのって?

甘い、甘い。

裁判は、判決のためにやってんじゃありません。

裁判のゴールは「解決すること」であって、「判決」が絶対唯一のゴールということではありません。

じゃあ、「判決」ではない「解決」ってなんだ?となりますが、これは「和解」と呼ばれる解決形態です。

和解は、「原告も被告も納得する」ことが前提となっているため、当事者は満足している(はず)です。
何より、裁判官が和解を歓迎します。歓迎どころではありません、大歓迎です。

その理由は、
1、判決を書かなくて済む(夏休みの自由作文の宿題がなくなった、くらいメデタイことなのです)
2、控訴や上告されることがなくなる(判決を出すと負けた側が高裁や最高裁に申し出てイチャモンつけてきますし、逆の判決出されて赤っ恥をかくことが想定されますが、和解ですと控訴や上告が一切ありません)
3、ノルマ1件達成されたと評価される(裁判官は、エゲツないまでのノルマ至上主義のアパレル店舗やマルチ販売組織のように、ノルマ、ノルマで追われる毎日なのです)
という、何とも志の低いものですが、とにかく、裁判官は、「判決を書くのはマジ勘弁、和解で終わるのはウレピーぴょん」という状況なのです。

裁判を起こす場合のデメリットは、カネと時間と労力がかかることです。特に時間については、最低半年、下手すりゃ数年かかります。
弁護士費用もかかりますが、会社の中で裁判遂行のための協力体制を構築することが必要であり、この費用も馬鹿になりません。

裁判を起こす場合のメリットは、最終的にケリがつけられる、ということです。もちろん判決でケリがつくこともあるでしょうが、和解もかなりの確率で成立が見込めます。
というのは、裁判官という国家権力を振り回す独裁者が、強力なお節介を焼いてくれるからです。
お節介を焼く理由は、面倒な判決を書きたくない、判決を書かなくてもノルマ1件クリアという評価が得られる、おまけに判決を書いた後で高裁等からケチをつけられてディスられる不名誉も回避出来る、という、何とも志の低いものですが、いずれにせよ、裁判官として、自らのメリットに突き動かされて、和解に努めてくれます。

もちろん、和解に応じようが、応じまいが、すべて当事者の自由です。

ですが、裁判外交渉と話が違うのが、和解を推し進めるのが、独裁的国家権力をもった裁判官であり、下手にお節介を「余慶なお節介だよ、知るかボケ」と反発かますと、「江戸の仇を長崎で討つ」とばかりに、エゲツないまでの敗訴判決を食らわされる可能性がある、という点です。

よほど空気の読めないアホでもない限り、裁判官を激怒させて報復の敗訴判決を食らわされることを警戒して、借りてきたマンチカンの如く、平身低頭、和解に協力することになるので、和解で解決することが大いに期待できるのです。

ただ、どうしても承服できない和解の話の場合、敗訴判決を覚悟の上で和解を蹴り飛ばして、上級審でリベンジマッチを行うことになります。

とはいえ、控訴審では、ほとんど話を聞いてもらえず、第一審と同様の判決が出されることがほとんどで、復讐戦に燃えてもたいてい再度敗訴を食らって万事休すとなるのがオチです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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