営業現場や経営会議では、スピードを重視するあまり、
「とりあえず口頭で合意」
する場面がよくあります。
けれども、その
「言ったつもり」
「聞いてない」
が、あとになって高額な損害賠償リスクへと化けることがあります。
たとえば、ある中堅メーカーでの話です。
営業部長が、ある取引先の要望に応えるかたちで、
「価格は従来どおりで、納期は特別に前倒しします」
と、その場で返答しました。
取引先との長年の信頼関係もあり、議事録や確認書の作成は省略されました。
ところが、製造部門ではその取り決めが共有されておらず、通常のスケジュールで生産を進めていました。
当然、前倒し納品などできるはずもなく、約束の日に納品されなかった製品をめぐって、取引先から厳しいクレームが入りました。
取引先は、
「御社の部長がはっきり約束した」
と主張し、納期遅れによる営業損失の補償を求めてきたのです。
社内では
「そんな正式な合意ではなかった」
と否定されましたが、メールやメモといった文書の裏づけが一切残っていなかったため、言った言わないの泥仕合になってしまいました。
しかも、当の部長は、都合で退職してしまっていたのです。
引継はなされたはずでしたが、納期を前倒しするという話までは伝わっていなかったようです。
こうした事態は、実はどの会社でも起こりうるリスクです。
特に、
「信頼関係があるから、確認は不要」
「社内の話だから、メモはいらない」
という油断が、あとから大きなトラブルの火種になります。
「口約束も契約のうち」
とはいうものの、企業法務の視点から見ると、口頭合意や軽いチャットでのやりとりを、正式な契約と同じように扱うのは極めて危険です。
確かに、契約法上、口頭でも
「合意」
が成立することはあります。
しかし、それが証明できなければ、契約そのものがなかったことと同じです。
口頭合意は、証拠がない限り、法的には
「合意の存在が不確か」
とされてしまうのです。
では、どうすればよいのでしょうか。
1 合意の記録化
最初に意識すべきは、
「合意の記録化」
です。
たとえば、打ち合わせの後にメールで
「本日の合意内容は以下の通りで間違いないでしょうか」
と送るだけでも、合意の証拠として大きな意味を持ちます。
2 記録の種類とレベルを使い分ける
2つめのポイントは、
「記録の種類とレベルを使い分ける」
ことです。
単なるチャットのログでは、合意の有無があいまいなまま残りますが、きちんと整った議事録や確認書であれば、社内的にも社外的にも、説明責任の根拠になります。
3 「誰が何を言ったか」を明確にする
そして3つめは、
「誰が何を言ったか」
を明確にすることです。
社内での会議記録やメールも、担当者名がない、主語が抜けているなど、曖昧な表現が多いまま残されていると、いざというときに
「誰の責任だったのか」
が見えなくなります。
これではまさに
「設計図を一緒に見たのに、寸法や素材をメモしていないまま工事に入るようなもの」
です。
その場では理解した気になっていても、いざ現場に立ったときに、何をすればいいか分からなくなる。
だからこそ、
「型=記録」
を残すことが必要なのです。
たとえちょっと面倒に感じても、“ミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化”の“5化”は、法的トラブルを未然に防ぐための、企業経営における重要な
「防具」
となります。
スピードと柔軟性を求められる現場だからこそ、合意や指示は、その場で終わらせず、あとから振り返っても確認できるよう、確かなかたちに残しておく必要があるのです。
そのひと手間が、未来の訴訟リスクを防ぎ、組織の信頼と信用を守る力になるのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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