ある会社での話です。
経営会議の場で、役員のひとりがこう言いました。
「この案件、正式な契約はまだだけど、先に動いてしまおう」
「一昨日、ゴルフに行ったんだけど、先方のトップ以下3名が了解してたから、大丈夫でしょ」
その場では、誰も強く反対せず、話は流れていきました。
法務担当者も出席していましたが、何も言いませんでした。
そのやり取りは、議事録にも残されませんでした。
ところが数か月後、その取引をめぐってトラブルが起きました。
取引先は、
「正式契約前に勝手に着手され、手付金まで請求された」
と主張し、損害賠償の話にまで発展したのです。
社内での検証では、当時の会議で
「誰が何を言い、誰が了承したのか」
が問われましたが、議事録には何も書かれておらず、会社として説明責任を果たせないまま、対応が後手に回ってしまいました。
法務担当者はこう言いました。
「会議では特に意見を求められなかったので、発言しませんでした」
「議事録についても、事務局から確認依頼はなかったので、見ていません」
このように、
「求められない限り、黙っている」
という姿勢は、結果として、
「経営判断を誤らせる沈黙のリスク」
を生みます。
法務の仕事とは、ただ契約書を見るだけではありません。
会議でどのような議論が交わされ、どのような決定がなされ、それがきちんと形になっているか。
その一連のプロセスを、
「見て」
「気づいて」
「整える」
ことが求められます。
法務とは、判断に対するブレーキ役であると同時に、合意形成を支える舵取り役でもあります。
その法務が、
・議事録に関与しない
・会議にもコメントしない
・議論の流れにリスクを感じても、指摘しない
そうやって
「沈黙」
が続くうちに、組織の中に
「見えないリスク」
が静かに積み重なり、やがて大きなリスクとして表面化するのです。
たとえば、以下のような議事録は、法的にはきわめて危ういものになります。
・発言者が明記されていない
・誰が了承したかが不明
・リスクに関するコメントが記載されていない
・反対意見や留保意見が「なかったこと」になっている
こうした議事録は、後から見れば
「誰も反対していなかった」
「全員が合意していた」
という“決まったこと風の記録”になります。
何も問題提起されないまま、“全員が納得して進んだ”ように見える議事録が残るのです。
しかしそれは、実際の議論とは異なる
「記録上だけの合意」
にすぎません。
これでは、仮に社外から指摘が入ったときに、会社として
「検討の痕跡」
や
「留意点」
を示すことができません。
結果的に、
「リスクを放置した」
「なぜ誰も止めなかったのか」
という追及を受けることになります。
議事録は、会議の内容を記録するためだけのものではありません。
企業法務の視点から見れば、
「経営判断の軌跡」
「意思決定の根拠」
「責任の所在」
を残す、きわめて重要な文書(証拠)です。
法務の役割は、
「問題が起きてから対応する」
のではなく、
「問題が起きないように、手を打つ」
ことにあります。
そして、リスクへの先回りは、
「ミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化」
によって実現されます。
1 ミエル化:どこにリスクがあるかを見抜く
2 カタチ化・言語化:それを、他の部門にも伝わるかたちで表現する
3 文書化・フォーマル化:議事録や会議資料として明記し、説明可能なかたちにする
つまり、会議の中に埋もれているリスクを、記録というかたちで
「ミエル化」
するのです。
それが、法務が経営に貢献できる最大の力です。
とりわけ、次のような局面では、法務がきちんと
「見て」
「指摘して」
「残す」
ことが求められます。
1 契約リスクが含まれる発言があったとき
2 未確定事項が“了承されたこと”になっているとき
3 決定に対する根拠や異論が省略されているとき
4 議事録の内容と、実際の議論に齟齬があるとき
だからこそ、法務は議事録に関与しなければなりません。
・会議で気になる表現があれば、その場で確認する。
・会議の後には、法務部門が議事録にきちんと目を通す。
・議事録にあいまいな記述があれば、レビューを入れる。
・決まっていないことが、あたかも決まったように記されている場合には、必ず差し戻す。
こうした“ひと手間”が、未来のコンプライアンス違反や訴訟リスク、株主・監査対応の火種を防ぎます。
反対に、その“ひと手間”を惜しめば、
「記録に残っていない=存在しなかったことになる」
という事態になりかねません。
黙っていても、誰も気づきません。
しかし、黙っていたことで、後から全体が責任を問われます。
だからこそ、法務は黙っていてはいけないのです。
会議体にもしっかり関与する。
議事録にも目を光らせる。
記録は、経営の実務を支える土台です。
その小さな積み重ねが、組織を動かし、経営を守る力になるのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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