02160_社員の不祥事にどう向き合うか_その5_痴漢で逮捕されても解雇はできない?_懲戒も休職も難しい時、どう動くか

痴漢で逮捕された――懲戒は可能か?

社員が刑事事件の嫌疑をかけられたとき――企業は、どのように対応すべきでしょうか。

たとえば、通勤電車内で痴漢行為をしたとして社員が逮捕された場合。

企業としては
「即刻クビにしたい」
と思うかもしれません。

けれども、ここでもやはり
「感情より構造」
「処分より静かな出口」
「冷静な見きわめ」
が必要です。

逮捕=クロ”ではない――無罪推定という大原則

まず、絶対に忘れてはならないのは、憲法31条が保障する
「適正手続」

「無罪推定」
の原則です。

起訴されたからといって、その社員が
「犯罪者」
と確定したわけではありません。

たとえ目撃証言があり、警察が身柄を押さえ、報道がなされたとしても、判決が確定するまでは
「法律上は白」
なのです。

要するに、
「逮捕=クロ」
ではありません。

企業がこの段階で懲戒処分に踏み切れば、後に
「懲戒権の濫用」
として無効とされるおそれがあります。

つまり、企業が処分を検討する際には、この法的前提をしっかりと踏まえておかねばなりません。 

起訴された社員を“ただちに”休職にはできない

では、企業は、逮捕された社員に対して、一切関与できないのでしょうか。

実際には、そうではありません。

制度の設計上、一定の対応は可能です。

多くの企業では、就業規則に「起訴休職」条項が定められています。

たとえば、

「社員が刑事事件で起訴されたときは、裁判終了まで休職とする」

このような規定によって、起訴後に社員を一時的に職場から外すことは可能です。

しかし、この起訴休職は“自動的”に適用できるものではありません。

企業秩序への影響が客観的に認められてはじめて、有効となるのです。

企業秩序への影響”がカギとなる

次のような事情が認められる場合、企業秩序の毀損という観点から、一定の処分が法的に許容される可能性が出てきます。 

・通勤時の痴漢であっても、企業名が報道された場合
・当該社員が営業職など、社外との接点が多い立場にある場合 
・職場内に動揺が広がり、就業環境が著しく阻害されている場合 

処分の有効性は、社員の職務内容、企業の業種・規模、事件の報道範囲などを踏まえて、客観的かつ厳格に判断されるのです。 

また、休職が
「無給」
となる場合には、
「その社員に与える不利益」

「企業側の合理的理由」
とのバランスが求められます。

要するに、
「逮捕されたから」
というだけでは、休職の要件は満たされません。

「その行為が、企業秩序にどのような影響を与えるか」
が、判断の中心軸となるのです。

裁判所のスタンス――“慎重な限定解釈”

裁判所は、次のように判断しています。

「起訴休職を正当化するには、以下のいずれかの要件を満たさねばならない」

・起訴された事実や事件の内容が、企業の信用を著しく傷つけるおそれがあること
・その社員が職場に居続けることで、職場秩序が大きく乱されるおそれがあること
・社員が継続的に働くこと自体が難しく、業務の円滑な遂行に支障を来すおそれがあること

要するに、処分の適否は、社員の職務内容、企業の規模や社会的信用、報道の影響範囲など、諸要素をふまえて、客観的な視点で判断されるのです。

起訴前”には何ができるのか? 

逮捕された場合、最大で23日間、身柄を拘束される可能性があります。 

この間、社員が勾留されていても、起訴されていない以上、企業は
「起訴休職」
を発動できません。

現実には、有給休暇や欠勤扱いとするしかなく、企業としては極めて動きづらい“空白の時間”が生じます。

とはいえ、この段階で拙速に動けば、企業自身が法の網にかかるおそれもあります。

だからこそ、企業としては、起訴されるかどうかを冷静に見きわめながら、社内での対応方針を共有し、備えを整えておく必要があります。

静かな出口”という現実的な選択肢

このように、解雇には高度な要件、休職にも慎重な判断が必要――。

そこで現実的な選択肢となるのが、
「自主退職の促し」
です。

本人が
「自らの意思で辞める」
のであれば、企業側に求められる法的根拠はありません。

もちろん、強引な誘導は禁物です。

「退職を強制された」
と主張されれば、裁判で無効とされるおそれがあります。

だからこそ、退職勧奨は冷静に、丁寧に。

「会社のため」
ではなく、
「本人の今後のため」
という姿勢で、説得の言葉を選ぶ。

この“逆転の発想”こそが、もっとも安全で現実的な“静かな出口”につながるのです。

処分に進む前に、“距離感”を定めること

社員が刑事事件に関与したとき、企業は何らかの判断を迫られます。

経験の浅い企業ほど、
「早く決着を」
と焦りがちです。

しかし、拙速な判断は、企業側のリスクとなります。

だからこそ、企業としては、企業と社員との距離感を正しく見きわめることが大切なのです。

・企業秩序との関係があるか?
・企業評価の毀損につながるか?
・処分と行為とのバランスは取れているか?

この3つの軸で判断基準を
「ミエル化」
し、就業規則というカタチで
「フォーマル化」
しておくこと。

これが、事前の備えとなり、後日の紛争を未然に防ぐ実務なのです。

まとめ――“痴漢だから解雇”ではない

「痴漢で逮捕された」
と聞けば、企業は感情的になりがちです。

しかし、
「痴漢だから即解雇できる」
というわけではありません。

法の現場は、それほど単純ではないからです。

とくに、私生活や刑事事件に関する懲戒処分こそ、冷静な見きわめと構造的な判断が求められます。

裁判所は一貫して
「労働者保護」
に軸足を置いています。

これは、戦後以来の法政策の延長線上にあるものであり、現時点でも大きな転換は見られません。

そのような環境の中で、企業に求められるのは、ルールの整備とその誠実な運用、そして状況に応じた静かな出口戦略の検討です。

“企業と社員の距離感”を見失わないこと。

それが、今の時代の企業法務において、もっとも重要な視点といえるでしょう。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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