なぜ書かれないのか
ある管理部門で、予算修正に関する会議が開かれました。
議論は白熱し、最終的には
「部内で再検討のうえ、来週もう一度提案を出す」
という流れで着地しました。
ところが、次の週になって再びその話題が上がった際、出席者のあいだで意見が食い違っていました。
「そんな話だったでしょうか?」
「了承されたと思っていましたが・・・」
「再提出の結論だったはずです」
このように、記録が残っていなければ、前提そのものが揺らいでしまいます。
誰かが書いておけばよかった。
しかし実際には、誰も
「書くこと」
を役割として担っていなかったのです。
その結果、同じ議論をもう一度、振り出しからやり直すはめになりました。
このような場面は、日々の企業活動のなかで、決して珍しくありません。
属人化から、設計へ
なぜ記録が残っていなかったのか。
会議自体は正式な稟議ではなく、部内の打ち合わせにすぎませんでした。
議事録係がいるわけでもなく、メモはあっても個人が断片的に持っているだけでした。
つまり、
「必要だとは思っていたけれども、“書く”ことが業務の流れに組み込まれていなかった」
ということです。
組織の中に、記録を残す設計がなかったのです。
こうした事態を防ぐには、個人の責任や努力に頼っていてはいけません。
「書ける人」
がいるかどうかではなく、誰でも自然に“書くようになる”仕組みを整えることが大切です。
たとえば、次のような発想が必要です。
・会議の招集メールに、記録担当者の欄を設けておく
・業務報告テンプレートに「協議内容の要点」を記載する項目を加える
・打ち合わせのあとは、要点を簡潔にまとめたメールを送ることを業務フローに組み込む
・稟議の差し戻し理由を、必ず文面で記録しなければ再申請できない設計にする
このように、書く・残す・送る・共有する、それ自体が業務の流れの一部になるように設計するのです。
「あとで余裕があれば書こう」
ではなく、
「書くまでが一連の業務である」
という考え方です。
確認メールが未来を守る
ある企業では、幹部の人事異動の打診をめぐって、
「言った・言わない」
のトラブルが起きました。
役員会で伝えたつもりの内容が、人事部側には
「まだ決定ではない」
として処理が止まっていたのです。
関係者の信頼関係にヒビが入ったのは、言うまでもありません。
この件を受けて、その企業では
「確認メールを必ず送る」
というルールが生まれました。
内容は、
「本日〇月〇日の役員会において、次のコメントがありました」
という一文に、要点を2〜3行添える程度の簡易なものです。
しかし、それだけで誤解や責任のすれ違いが大幅に減ったのです。
記録が残っているかどうか。
それだけで、後日の立場や判断がまったく違ってきます。
あとから見返せる言葉があるだけで、過去の空気を再現できるのです。
“文化”はつくれる
「記録文化がない」
と嘆く前に、見直すべきは業務の設計です。
記録する習慣が育たないのは、意識や教育の問題だけではありません。
書かなくても済んでしまう構造になっているからです。
たとえば、
「報告が口頭だけで済んでしまう」
職場では、記録は定着しません。
逆に、
「報告するには、必ず一行でも文字にしなければならない」
仕組みになっていれば、自然と“書く”という行動が根づいていきます。
要するに、文化をつくるのは“人”ではなく、“設計”なのです。
仕組みが行動をつくり、行動の反復が文化になります。
記録は防波堤になる
書いておく。
残しておく。
共有しておく。
これだけで、トラブルを未然に防げることがたくさんあります。
「言っていなかったこと」
が言ったことにされる。
あるいは、
「言ったはずのこと」
が、言っていなかったことにされる。
こうした場面で、たった数行の記録が意思決定の根拠として機能するのです。
“記録”というのは、ただの保存ではありません。
それは、未来の自分たちを守る手段でもあります。
“書いておく”を、設計する
記録の仕組みを設計し、
「書くこと」
が個人の工夫ではなく業務の一部になるようにする。
そのうえで、残された文書が、次の意思決定へとスムーズにつながるように設計する。
こうして初めて、“書いておく文化”が根づいていきます。
個人に頼らない。
感覚に任せない。
「書ける人」
をつくるのではなく、
「書ける組織」
をつくる。
これが、“記録の仕組み化”という発想の出発点です。
そしてそれは、個人のリスク回避ではなく、組織の意思決定インフラになるのです。
企業活動において、地味だけれども決定的に重要な下支えなのです。
「意思決定インフラ」とは
端的にいえば、意思決定を正しく進める・守る・再現できるようにするための“情報の基盤”です。
たとえば、組織で何かを決めるときには、必ず
「背景」
「判断材料」
「検討プロセス」
「合意内容」
といった要素があります。
それらを記録せずに進めてしまうと、判断は記憶や感覚に頼ることになり、意思決定がブラックボックス化してしまいます。
あとから検証もできず、トラブルが起きても
「なぜそうなったのか」
が、たどれません。
だからこそ、次のような
「文書や情報が整備された状態」
が、組織の土台として機能するのです。
・会議の議事録(発言内容と合意点の記録)
・稟議や承認フローの履歴(誰がどこで判断したか)
・否決理由の記録(なぜ却下されたのか)
・メールやチャットでのやりとりの整理(言った・言わないの防止)
・プロジェクトや契約の経緯をまとめた報告やログ
・覚書や契約書のバージョン管理と保管
このような情報が整っていれば、
「過去にどう判断したか」
がすぐにわかります。
「前例」
に照らして、今の判断が妥当かどうかも見えてきます。
「なぜこう結論づけたのか」
を社内に説明でき、社外への説明責任にも応えられます。
これが、単なる
「記録」
ではなく、
「意思決定のインフラ(基盤)」
であるという理由です。
まとめにかえて
シリーズを通じてお伝えしてきたのは、
「記録」
とは、
「書いておく」
こと以上に、
「未来の自分や組織が、どう語れるか」
の準備であるということです。
ミエル化は、力です。
カタチにしておくことが、次の判断を生みます。
記録は、組織の思考と判断の積み重ねになります。
そして、その記録を
「仕組みとして根づかせる」
ことは、企業活動における設計思想の一つなのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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