02194_裁判官ってどんな人_神様にも好き嫌いがある

民事裁判に関わっていると、つくづく感じるのは、
「裁判というものは人間くさい制度だな」
ということです。

とりわけ控訴審ともなると、そこに立ちはだかるのは、
「神様のような存在」
としての裁判官です。

神様といっても、雲の上から何もかもお見通し、というわけではありません。

むしろ、好き嫌いやこだわり、嗜好のはっきりした、一人のエリート職人としての側面が強いのです。

その裁判官が、ある控訴審でこう述べました。

「できれば、ご遠慮ください」

これは、当事者による意見陳述を申し出たときの反応でした。

遠回しな言い方ではありますが、事実上の拒否です。

裁判官が何を嫌がるかが、よく表れたやり取りでした。

裁判官は、弁護士というフィルターを通して整理された文書以外の
「ノイズ」
を嫌います。

要するに、当事者の
「生の声」

「ノイズ」
として扱うのです。

当事者の熱のこもった語り、感情のこもった言葉、それらはすべて
「秩序を乱すもの」
として、裁判官は歓迎しません。

法廷で当事者が思いのたけを語る、という場面は、テレビドラマの中だけの話なのです。

こうした態度は、裁判官という存在が、ある種の
「偏食家」
であることを物語っています。

たとえるならば、裁判官は
「食の細い美食家」
です。

美食家が好むのは、プロのシェフが丁寧に盛りつけたコース料理。

素材の意味や順番、味の強弱まで緻密に設計された一皿です。

そこに、
「手作り感満載の大衆食堂の野菜炒め」
のような、素朴で荒々しい料理をいきなりドンと出しても、手をつけてもらえないどころか、怒って退席されかねません。

だからこそ、弁護士たちは、裁判官の嗜好を徹底的にプロファイリングします。

たとえば、ある案件の裁判官は、いわば超エリート型。

効率と整然さを重視し、文書だけで淡々と判断するタイプでした。

証人尋問や当事者の語りは
「無駄なセレモニー」
として嫌う傾向にありました。

そういう裁判官に向けて、どんな
「料理(主張)」
を、どんな
「盛り付け(構成)」
で出すか。

これが、控訴審という戦場における、最大の戦略となりました。

要するに、控訴答弁書にすべてを込める必要があったのです。

ここで、あらためて原則に立ち返ってみましょう。

裁判は、あくまで当事者が
「事実」
だけを提示し、裁判官が
「法」
を適用して結論を導く、という原則のもとに動いている、ということです。

「汝、事実を語れ。我、法を適用せん」

この古代ローマの法格言が示すように、裁判という制度は、当事者が自分の正しさや思いを語るのではなく、起きた事実だけを積み重ねていく。

それを基に、裁判官が法的判断を下します。

逆に言えば、当事者が感情や評価を語りすぎると、
「でしゃばり」
「分をわきまえない者」
として敬遠され、逆効果になります。

そして、裁判官にも、
「好きな味」

「苦手な味」
があります。

繰り返しますが、その味覚に合わせて、どんな料理(主張)を、どんな盛り付け(構成)で出すかが、裁判に勝つための不可欠な戦略なのです。

裁判とは、正しさをぶつけ合う劇場ではなく、事実を淡々と語る筆談の場です。

神様(=裁判官)の嗜好を読み、事実をそのままではなく、受け入れてもらえる形で差し出す。

そういう知的で繊細なコミュニケーションの場です。

そして何より忘れてはならないのは、
「神様にも、好き嫌いがある」
という事実です。

どんなに言いたいことがあっても、それをストレートにぶつけても、神様の心には届かない。

その嗜好を理解し、 伝えるべきことを、最適な形で、最適な順番で、最適な味付けで整えて出す。

このような、食の細い神様への礼儀作法こそが、弁護士に求められる最大の技術なのかもしれません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

弁護士法人畑中鐵丸法律事務所
弁護士法人畑中鐵丸法律事務所が提供する、企業法務の実務現場のニーズにマッチしたリテラシー・ノウハウ・テンプレート等の総合情報サイトです