<事例/質問>
あるITベンダーとの交渉がうまくすすみません。
当方が
「そちらが販売しているシステムを我が社でカスタマイズして使いたい。ただ、我が社で使えるかどうかわからないので、 提案書・機能一覧・SLA〔Service Level Agreement〕案・セキュリティ資料・評価(デモ)環境(以下、『システム詳細情報』)を見せてほしい。見ないままでは、お金を払えない」
と極めて常識的な要求をしているにも関わらず、ベンダーはこう返してくるのです。
ベンダー「たぶん使えると思いますよ。同業さんで使っておられますから」
当方「たぶんじゃ困る。ちゃんとどんなものなのか確認しないと、買ってから使えなかったら大問題だ」
ベンダー「それは、買ってからじゃないと、つまり 契約・入金する前には、詳細資料の持出しや内部仕様の開示はできない(NDAを結んでも閲覧限定) 」
・・・こんな調子です。
ほかにも、懸念があります。
うちの社長は、7月1日から本格運用開始をイメージしているのに、ベンダーの最短スケジュールでは、5月1日に開発開始で、 開発には最低3ヶ月必要だから納品は7月末と。
実務上はここから受入(SIT/UAT)・データ移行・教育・本番切替(カットオーバー)・初期安定化(Hypercare)が必要ですので、「7月末の完成見込み」=「7月1日本番」は成立しません。 会長のイメージとベンダーの提示する納期には、1ヶ月のズレがあるんです。
そして、肝心の
「システム詳細情報」
について、ベンダーは
「契約締結日の4月30日に合意事項を持参し、その場で確認・押印(=要件定義もその場で確定)」
という提案です。
しかし、要件定義は本来、契約後に共同で作成する成果物であり、契約当日の一括提示・即時確定は高リスクです 。
ベンダーは、ぎりぎりまで値引きに応じた代償として、スケジュールでは譲歩できないと強硬姿勢です。
ITプロジェクトの交渉とは、このようなものなのでしょうか?
<鐵丸先生の回答/コメント/助言/指南>
法務がヘラヘラと
「どうしましょうか」
などと悩んでいる時点で、もう負け戦は確定しています。
なぜなら、これは
「価格交渉」
でも
「納期調整」
でもなく、貴社の経営ジャッジと知性を試す、究極のリスク選択だからです。
まず大前提を整理します。
・要件定義とは単なる「資料」ではなく、契約後の前段フェーズで発注者とベンダーが共同で確定させる“成果物”です。
契約前に確認すべきは、提案書・機能一覧・SLA案・セキュリティ白書・再委託方針・体制表・見積内訳・評価(デモ)環境などの適合性評価資料です。
・契約形態は、受託開発(ウォーターフォール)/準委任・アジャイル(MSA+SOW)/SaaS導入で異なります。
用語の「納品」はスクラッチ開発向けの概念であり、SaaSでは「サービス提供開始/設定・移行完了」が正確です。
・スケジュールは、要件定義→基本設計→SIT→UAT→移行リハ→カットオーバー→Hypercareというゲート付きで考えるべきです。
「7月1日本番」を厳守するなら、MVP化(スコープ縮減)や段階リリースを交渉テーブルに載せます。
要件定義書とは、単なる
「資料」
ではありません。
それは、
「納品されるべき商品そのものの設計図であり、発注者である貴社の意思を反映した、この契約の魂」
です。
この
「魂」
を見ずに契約書に判を押す行為は、白紙の小切手に金額を書き込ませるようなものです。
【悪魔の推論】ベンダーの強硬姿勢が示す「火の車」状態
「金を払ったら見せる」
という常識外れな交渉姿勢、そして契約当日まで要件定義書を見せないというのは、ITプロジェクトが高確率で炎上し、最終的に頓挫するために組まれた、悪魔的なスケジュールと言えましょう。
あるいは、ベンダー内部の火の車状態を隠蔽するための、稚拙なブラフである可能性が高い、と推論します。
仮説1:
ベンダーは、貴社の要件に適合した要件定義書を、期日までに用意できていない。
仮説2: ベンダーの体制表・アサイン計画・再委託先の確定度が低く、要件合意まで具体化できていない。
用意はしたが、あまりに杜撰な内容で「とても契約前に見せられるレベルではない」とベンダー内部で判断している。
だからこそ、情報開示を拒否し、値引きをエサにスケジュールで譲歩を求めないという、典型的な
「逃げの手」
を打っていると言えるかもしれません。
「確認」ではなく、「追認」を求められているだけ
要件定義書は、契約前に貴社が内容を深く検討し、社内の全部署(法務、経理、営業、ⅠT部門)が横断的に承認すべき、最も重要な成果物です。
それを
「契約締結の当日」
に、しかも
「押印時に提示」
などと言うベンダーは、貴社に
「確認」
ではなく、
「追認」
を求めているだけです。
そして、判を押した貴社は、納品直前の7月になって
「こんなものは使えない!」
と騒いでも、手遅れです。
ベンダーは
「4月30日に確認・押印されています」
と言い放ち、貴社の責任にして逃げ切るでしょう。
要するに、これは
「契約書の条文解釈」
ではなく、
「経営判断と戦略選択」
の話だということです。
対応の選択肢としては、以下のとおりです。
1)こんなわけのわからない連中とは契約しない(撤退)
2)要件定義書を見るのにいくらか支払い、その内容次第で本契約を考える(手付金)
3)言われるがままの条件で契約する(丸呑み)
繰り返しますが、これは法律問題というより、経営ジャッジの問題であり、思考整理の問題です。
何を選ぶかは、契約相手の信頼性や市場優位性、あるいはそのプロジェクトの重要性によって変わってきます。
法律的な
「正解」
はありません。
あるのは、御社の状況に照らした、最適な選択肢だけです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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