企業が弁護士に求めるものは、危機の局面で実直に動いてくれる“プロフェッショナル”との信頼関係でしょう。
ところが、ときに、その信頼関係を自ら破壊してしまう企業は少なくありません。
今回は、教科書には載らない、しかし企業にとっては死活的に重要な
「契約と信頼のリアル」
について、実例をお話ししましょう。
信頼の上に成り立つ「特別扱い」
かつて、私(以下、弁護士)は、ある企業と、数年来の法律顧問契約を結んでいました。
クライアント企業の訴訟対応を受任し、第一審で成果を出し、第二審では不利な状況下で全力を尽くしました。
報酬は当然、契約に明記されており、クライアント企業には全額の支払義務が発生している状況でした。
言葉をかえせば、弁護士側は、約定どおりの報酬を全額請求できる立場にあったのです。
請求する段になって、弁護士は、
「今後も信頼関係が継続する」
との前提で、本来の請求可能な金額を下げた“好意的な精算案”を提示しました。
これは、一種の
「優しさ(恩恵)」
であり、
「将来のビジネスを見越した投資」
だったわけです。
しかし、クライアント企業はこの
「優しさ(恩恵)」
を拒否しました。
「ご提示額については再検討させていただきたい」
と言いながら、報酬交渉を長引かせ、さらに
「応じていただけないなら、辞任やむなし」
「顧問契約解除」
をちらつかせたのです。
要するに、値引き交渉のフリをしながら、
「契約打ち切り」
という事実上の脅しをかけてきたのです。
「信頼前提」の好意は、一度きり
弁護士は、そもそも“信頼関係がある”という前提で値下げ提案をしていたのです。
企業側がその前提を自ら蹴り飛ばした以上、報酬
「ディスカウント」
の話は打ち切りです。
状況を緊迫させたのが、上告という
「時間との闘い」
でした。
弁護士側からすれば、報酬精算がはっきりしない状況では、上告理由書という
「時間との闘いのなか、時間を食う、頭のいる仕事」
に着手できるはずもありません。
そこで、弁護士はいたしかたなく、明確なデッドラインを設定しました。
にもかかわらず、クライアント企業は、のらりくらりと値下げ交渉を続けます。
信頼を失った者に、プロは付き合わない
「信頼関係の崩壊」
に対して、結局、弁護士はクライアント企業に対し、
「『契約を破ってまで値切る』という態度を貫くのですね? では、こちらとしては『辞任と満額請求』でいかざるを得ません」
と、宣戦布告を伝えるしかありませんでした。
・特別な報酬案は撤回し、契約どおり満額請求
・顧問契約はご要望どおり終了
・上告は、信頼関係がないため受任を拝辞する
・訴訟資料の整理や引継ぎには、別途人件費・実費を申し受ける
これは、腹いせでも報復でもありません。
最も合理的な対処です。
信頼がない以上、下手に継続すると、双方にとって不幸が待っているだけですから。
この結果、クライアント企業は、
「契約どおりの満額支払い」
と
「上告代理人辞任」
という、最悪のセットを、自ら手に入れる羽目になりました。
上告の期限が刻一刻と迫るなか、新たな弁護士に高い着手金を支払って訴訟の戦略を一から再設計しなければならなくなったのは、言うまでもありません。
“値引き交渉”の末路
クライアント企業は、自分たちの
「優位性」
をちらつかせた
「値引き交渉」
の延長戦をやろうとしたのでしょうが、弁護士から見れば、
「信頼を失った相手に、これ以上のおまけをする義理はない」
という話に尽きるのです。
顧問先が蹴ったのは、
「ディスカウント」
ではありません。
「信頼関係」
そのものでした。
その代償として、彼らは現実を突きつけられたのです。
契約と信頼は、ワンセット
この実例から学べる、実務家が心に刻むべき3つの教訓をまとめます。
1) 信頼が消えれば、特典も消える
弁護士が提供する「有利な提案」は、単なる善意ではなく、「将来の信頼関係」という極めて現実的な前提の上に成り立っています。
その前提が崩れれば、特典は即座に消滅します。
ディスカウントは、信頼という「見えない対価」の代償なのです。
2) “ごね得”は通用しない
信頼関係を失えば、弁護士は躊躇なく「約定どおり」を盾に満額請求します。
これは彼らの権利です。
企業法務の実務において、「ごね得」は許されません。
最悪、「弁護士会での紛議調停を経て、最終的には支払いを求めて訴訟」という泥沼に引きずり込まれることになります。
3) 値引き交渉のつもりが、信頼切り捨て
危機対応後の弁護士に対して、契約解除をちらつかせて報酬交渉を長引かせる行為は、「優良顧客」というタグを自ら引き剥がしたことになります。
その瞬間から、クライアント企業は「特別扱い」の対象外となるのです。
プロと結ぶ、もうひとつの契約
プロフェッショナルは、原則、
「信用」
では動きません。
動くのは、
「信頼」
があるときだけです。
・実際に支払う
・約束の期日を守る
・相手の時間を尊重する
・依頼者としての礼節を持つ
こうした具体的な行動の積み重ねがあってはじめて、プロフェッショナルは
「この会社のためなら動こう」
と思うわけです。
「信頼関係」
は、契約書には書かれていない、互いに譲歩し合うための余白です。
同時に、それは緊急時に助けてもらえる保険でもあります。
安っぽい値引き交渉で
「信頼関係」
という最大の資産を食い潰している企業は、目も当てられません。
このことに自覚のない経営層や法務部員がいるようでは、言わずもがなです。
逆に言えば、信頼関係さえ築けていれば、プロフェッショナルは驚くほど柔軟に、こちらの事情をくんでくれるでしょう。
「契約どおり」
にしか動かないプロは、
「信頼」
という裏契約を結んでいないだけです。
貴社は、自社のプロフェッショナルと
「裏契約」
を結べていますか?
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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