相談者プロフィール:
株式会社サイバー・ディメンション 代表取締役社長 未来 翔(みらい かける、35歳) (※本ケーススタディは、実在の事例を参考に構成したフィクションです。)
相談内容:
先生、ちょっと聞いてくださいよ!
3年前に社運を賭けてオープンした
「次世代型eスポーツカフェ」、
残念ながら撤退することにしました。
ただね、内装にはめちゃくちゃこだわったんですよ。
全席防音の個室ブースに、床下には最新のLAN配線、天井には近未来的なLED照明。
工事費だけで5000万円もかけました。
これ、壊して更地(スケルトン)にして返せって、大家は言うんです。
「原状回復義務だ」
って。
でもね、これだけの設備、次のテナントだって絶対使いたいじゃないですか?
建物の価値、爆上がりですよ。
だから、大家に
「この素晴らしい設備を買い取ってくれ、それが無理でも、せめてそのまま残していかせてくれ」
と交渉したんですが、
「いらん。全部壊して金払え」
の一点張りです。
民法か借地借家法か忘れましたが、
「造作買取請求権」
っていう、店子が大家に内装を買い取らせる権利がありますよね?
これを使って、大家に5000万円…いや、減価償却して2000万円くらいで買い取らせたいんですが、行けますよね?
だって、もったいないじゃないですか!
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:「契約書」という名の絶対王政
未来社長の
「もったいない」
というお気持ち、痛いほどわかります。
しかし、結論から申し上げますと、その5000万円の内装は、大家さんにとっては
「撤去費用のかかる巨大な粗大ゴミ」
でしかありません。
まず、契約書の確認です。
お手元の賃貸借契約書第20条をご覧ください。
ここには明確に、
「明渡の際の原状回復義務」
と
「造作買取請求権の放棄」
が記載されています。
借地借家法は、立場の弱い借主を守るための法律ですが、この
「造作買取請求権」
については、
「特約で排除(放棄)しても有効」
と解されています。
つまり、契約書で
「買取請求はなしね」
とサインした時点で、法律上、未来社長の
「買い取ってくれ」
という要求は、門前払いされる運命にあるのです。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「客観的価値」と「主観的価値」の埋めがたい溝
「でも、原状回復(破壊)する方が社会的損失だ!」
と食い下がる未来社長のお気持ちもわかります。
しかし、法律上の
「造作(ぞうさく)」
として買取請求が認められるためには、
「建物の客観的価値を上げるもの」
でなければなりません。
ここでいう
「客観的価値」
とは、誰が借りても便利、という意味です。
例えば、雨戸や畳、一般的なエアコンなどは、次のテナントが誰であれ役に立ちます。
しかし、御社の
「全席防音のゲーミングブース」
や
「サイバーなLED照明」
はどうでしょうか?
もし次のテナントが
「落ち着いた和食店」
や
「調剤薬局」
だった場合、それらは単なる
「撤去しなければならない障害物」
に過ぎません。
特定の事業用(この場合はeスポーツカフェ)のためだけに施した設備は、原則として
「建物の価値を減じてしまう」
と理解されており、造作買取請求権の対象にはならないのです。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点3:例外は「シンデレラの靴」並みに狭き門
もちろん、例外的に買取が認められるケースもあります。
それは、
「その建物が最初から特定の用途(例えば飲食店)に使われることを予定して建てられ、かつ、その設備がその用途なら必ず必要とされる」
といった、建物と設備が
「シンデレラの靴」
のようにピタリと一致する場合です。
しかし、今回のビルは一般的な雑居ビルであり、御社が後からこだわりの内装を施したに過ぎません。
この
「かなり限定的」
な例外要件をクリアするのは、極めて困難と言わざるを得ません。
モデル助言:「居抜き」というラストチャンスに賭けるか、潔く散るか
未来社長、法的に大家と戦って買取を迫るのは、
「竹槍で戦車に挑む」
ようなものです。
勝ち目はありません。
選択肢は1つです。
「大家ではなく、『次のテナント』を見つけること」
大家に対して
「買い取れ」
と言う権利はありませんが、大家にお願いして、
「次のテナントがこの内装を気に入ってくれれば、原状回復を免除してもらう(いわゆる居抜き退去)」
という交渉の余地は残されています。
同業他社や、似たような設備を必要とするネットカフェ業者などを自力で探し出し、
「内装をタダで譲るから、スケルトン戻し費用を浮かせたい」
と大家に懇願するのです。
もし、それが叶わなければ、残念ながら5000万円の夢の跡は、追加の解体費用を払って、きれいさっぱり
「無」
に帰すほかありません。
結論
ビジネスにおける
「こだわり」
や
「世界観」
への投資は、事業が継続している間は
「資産」
ですが、撤退が決まった瞬間、それは
「負債(撤去コスト)」
へと変貌します。
「自分の宝物は、他人にとっても宝物であるはずだ」
という思い込みは、不動産の世界では通用しません。
今回は、高い勉強代となりましたが、原状回復費用を予算に組み込んだ上で、粛々と撤退戦を進めましょう。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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