「内装に5000万円もかけたのに、退去時に全部壊せだなんて!」
「この豪華な設備、次のテナントも絶対に使いたいはず。大家に買い取らせることはできないのか?」
店舗やオフィスの撤退時、経営者を悩ませるのが
「原状回復義務」
の壁です。
自慢のこだわり内装や最新設備も、大家さんから見れば単なる
「残置物」扱い。
多額の解体費用まで請求され、泣きっ面に蜂となるケースは少なくありません。
ここで多くの借主が思い浮かべるのが、法律で認められた権利
「造作買取請求権(ぞうさくかいとりせいきゅうけん)」
です。
「そうだ、大家に買い取らせればいいんだ!」
と意気込む気持ちはわかりますが、この権利を振りかざせば、本当にお金を取り戻せるのでしょうか?
本記事では、多額の投資を行った最新鋭エンタメ施設の撤退事例をもとに、経営者が陥りがちな
「自分の宝物は、他人の宝物」
という痛い誤解と、契約書に隠された不動産法務の現実について解説します。
この記事でわかること:
• 造作買取請求権の罠: 法律にあっても、実際の契約書で「無効」にされている理由
• 価値のギャップ: あなたの「こだわり(資産)」が、大家にとっては「産業廃棄物(負債)」になる法的ロジック
• 客観的価値とは:「特殊な防音室」が買取対象にならず、「普通の雨戸」なら対象になり得る境界線
• 撤退戦の戦術: 唯一の勝ち筋である「居抜き退去」を成功させるための交渉術
「もったいない」
という感情論が通用しない不動産法務の世界。
無駄なコストを抑え、賢く撤退するために知っておくべきルールを紐解きます。
相談者プロフィール:
株式会社 イリュージョン・ダイブ 代表取締役社長 夢見 創(ゆめみ つくる)
業種: 完全没入型VRアミューズメント施設の運営
状況: 3年前に社運を賭けて都内雑居ビルにオープンした旗艦店を撤退することに。特殊な防音・配線・照明に5000万円かけた内装を、大家に買い取らせるか、最低でもそのまま残置させたいと考えている。
相談内容:
先生、ちょっと聞いてくださいよ!
3年前にオープンした
「次世代型VRサバイバル施設」、
残念ながら撤退することにしました。
ただね、内装にはめちゃくちゃこだわったんですよ。
全フロア完全防音の特殊パネルに、床下には最新の極太LAN配線、天井には近未来的なブラックライト照明。
工事費だけで5000万円もかけました。
これを、すべてぶっ 壊して
「スケルトン」
にして返せって、大家は言うんです。
「原状回復義務だ」
って。
でもね、これだけの設備、次のテナントだって絶対使いたいじゃないですか?
建物の価値、爆上がりですよ。
だから、大家に
「この素晴らしい設備を買い取ってくれ。無理ならせめてそのまま残していかせてくれ 」
と交渉したんですが、
「いらん。全部壊して金払え」
の一点張りです。
たしか、法律に
「造作買取請求権」
っていう、店子が大家に内装を買い取らせる権利がありましたよね?
これを使って、大家に5000万円・・・いや、減価償却して2000万円くらいで買い取らせたいんですが、行けますよね?
だって、もったいないじゃないですか!
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:「契約書」という名の絶対王政
夢見社長の
「もったいない」
というお気持ち、クリエーターとしては痛いほどわかります。
しかし、結論から申し上げますと、その5000万円の内装は、大家さんにとっては
「撤去費用がバカにならない、巨大な粗大ゴミ」
でしかありません。
まず、契約書の確認です。
お手元の賃貸借契約書の特約事項をご覧ください。
ここには明確に、
「明渡の際の原状回復義務」
と
「造作買取請求権の放棄」
が記載されています。
「借地借家法は、立場の弱い借主を守るための法律では?」
と思うかもしれませんが、 この
「造作買取請求権」
については、
「当事者間の特約で排除(放棄)しても有効」
と解釈されています。
つまり、契約書ハンコを押して
「買取請求はなしね」
とサインした時点で、法律上、夢見社長の
「買い取ってくれ」
という要求は、門前払いされる運命にあったのです。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「客観的価値」と「主観的価値」の埋めがたい溝
「でも、こんなに凄い設備を破壊するなんて社会的損失だ!」
と食い下がる未来社長のお気持ちもわかります。
しかし、仮に特約がなかったとしても、 法律上の
「造作(ぞうさく)」
として買取請求が認められるためには、
「建物の客観的価値を上げるもの」
でなければなりません。
ここでいう
「客観的価値」
とは、
「誰が借りても便利に使える」
という意味です。
例えば、雨戸や畳、一般的なエアコンなどは、次のテナントが誰であれ役に立ちます。
しかし、御社の
「完全防音の特殊パネル」
や
「ブラックライト照明」
はどうでしょうか?
もし次のテナントが
「落ち着いた和食店」
や
「調剤薬局」
だった場合、それらは単なる
「カネをかけて撤去しなければならない障害物」
に過ぎません。
特定の事業(今回の場合はVR施設) のためだけに施した設備は、原則として
「建物の価値を減じてしまう(マイナスにする)」
と理解されており、そもそも買取請求の対象にはならないのです。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点3:例外は「シンデレラの靴」並みに狭き門
もちろん、例外的に買取が認められるケースもゼロではありません。
それは、
「その建物が最初から特定の用途に使われることを予定して建てられ、かつ、その設備がその用途なら必ず必要とされる」
といった、建物と設備が
「シンデレラの靴」
のようにピタリと一致する場合です。
しかし、今回のビルは一般的な雑居ビルであり、御社が後から自分の商売のためにこだわりの内装を施したに過ぎません。
この
「かなり限定的」
な例外要件をクリアするのは、極めて困難と言わざるを得ません。
モデル助言:「居抜き」というラストチャンスに賭けるか、潔く散るか
夢見社長、法的に大家と戦って買取を迫るのは、
「竹槍で戦車に挑む」
ようなものです。
勝ち目はありません。
選択肢は1つです。
「大家ではなく、『次のテナント』を見つけること」
です。
大家に対して
「買い取れ」
と言う権利はありませんが、大家に平身低頭お願いして、
「次のテナントがこの内装を気に入ってくれれば、原状回復を免除してもらう(いわゆる居抜き退去)」
という交渉の余地は残されています。
同業他社や、似たような防音設備を必要とする音楽スタジオ業者などを自力で探し出し、
「内装をタダで譲るから、スケルトン戻し費用を浮かせたい」
と大家に懇願するのです。
もし、それが叶わなければ、残念ながら5000万円の夢の跡は、追加の解体費用を払って、きれいさっぱり
「無」
に帰すほかありません。
結論:
ビジネスにおける
「こだわり」
や
「世界観」
への投資は、事業が継続している間は
「資産」
ですが、撤退が決まった瞬間、それは
「負債(撤去コスト)」
へと変貌します。
「自分の宝物は、他人にとっても宝物であるはずだ」
という思い込みは、不動産の世界では通用しません。
今回は、高い勉強代となりましたが、店舗展開においては
「撤退時の原状回復費用」
をあらかじめ予算に組み込んだ上で、 粛々と撤退戦を進めるのが経営者の務めです。
※本記事は、架空の事例をもとに、不動産賃貸借トラブルにおける原状回復義務および造作買取請求権に関する一般論を解説したものです。
実際の契約解釈や法的手段の選択にあたっては、個別の契約内容や建物の状況等に基づき判断が異なりますので、個別の事案については必ず弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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