「今回の代金は『借りたこと』にしておきます。その代わり、次は値引きでお返ししますから!」
営業担当者が、目先の受注欲しさに独断で口走った
「禁断の約束」。
経営者はこれを
「担当者の勝手な暴走」
と切り捨てようとしますが、少し待ってください。
なぜ彼はそんな無理な約束をしたのか?
なぜ後任の担当者は数週間で次々と辞めていくのか?
顧客が
「会社が悪い」
と頑なに支払いを拒む背景には、法律論以前の、もっと深刻な
「組織の病理」
が潜んでいます。
本記事では、離職率の高い職場が生み出す
「現場の歪み」
が、いかにして法的リスクとなって会社に跳ね返ってくるか、そのメカニズムを解説します。
【この記事でわかること】
• 「借ります」という言葉の裏にある、過酷なノルマと現場の疲弊
• 「担当者がコロコロ変わる会社」が、顧客からの信用(と抗弁権)を失うプロセス
• 社員個人の責任を追及する前に、経営者が直視すべき「使用者責任」の本質
【相談者プロフィール】
相談者: 株式会社 アド・バンス・クリエイション 代表取締役 広尾 告(ひろお つげる)
業種 : 広告代理店・メディアプランニング
相手方: エステティックサロン「ビューティーA」 A社長
元社員: 伊野(いの)(独断でA社長と変則的な約束を交わした元営業担当)
【相談内容】
先生、売掛金の回収についての相談です。
元社員の伊野が、在職中、顧客のA社長から20万円の広告受注をとるために、独断で
「今回の代金は『お借りした』ことにします。今後1年間かけて料金を値引きすることで、お返しします」
などと約束していました。
実は、そのあと、すぐに、伊野はやめてしまいました。
伊野が退職した後、A社長は
「あの時の20万円分を引いてくれ」
と言い出し、次の広告料25万円のうち、差額の5万円しか支払ってきません。
A社長は
「伊野君は有能だったが、御社の体制がなっていないから辞めたんだ」
「後任もすぐ辞めたし、フォローもない」
などと会社の悪口を言い、残金の支払いを拒絶しています。
伊野を呼び出して問い詰めると
「責任は感じている」
と言いますが、具体的な弁済はしません。
伊野に損害賠償を請求したいのですが、いけますよね?
「借ります」と言わせたのは誰か?
広尾社長、まず現実を直視しましょう。
伊野氏が使った
「借ります」
という言葉。
これは、個人的な遊興費のためではありません。
「御社の売上(受注)を作るため」
の方便です。
おそらく、正規の料金では契約が取れない、しかしノルマは達成しなければならない。
その板挟みの中で彼がひねり出した苦肉の策が、
「個人的に借りたことにして、実質的な値引き(キャッシュバック)を行う」
というスキームだったのでしょう。
「人が居着かない」こと自体が最大のリスク
さらに深刻なのは、伊野氏が辞めた後の状況です。
後任の担当者は2週間で退職し、その次の担当者も数週間で退職しています。
顧客のA社長から見れば、
「担当者がコロコロ変わり、引き継ぎもされず、誰もフォローしてくれない無責任な会社」
に映っています。
A社長が
「伊野君は有能だった。悪いのは御社の体制だ」
と主張するのは、単なる支払拒絶の言い訳ではありません。
「組織として機能していない御社に、契約どおりの支払いを求める資格があるのか?」
という、痛烈な経営批判なのです。
「使用者責任」からは逃げられない
法的に見ても、御社の分は悪すぎます。
伊野氏の行為は、会社の業務執行(広告受注)に関連して行われたものであり、状況次第では、
「使用者責任(民法715条)」
や
「表見代理」
が成立し得ます。
「担当者が勝手にやった」
という理屈は、管理体制が崩壊している(担当者が次々辞めていく)現状では、裁判所に対して何の説得力も持ちません。
むしろ、
「そのような無理な営業をさせ、管理もできていなかった会社の過失」
が厳しく問われるでしょう。
元社員を訴えるのは「天に唾する」行為
元社員の伊野氏を訴えたいとのことですが、お勧めしません。
彼を法廷に引きずり出せば、彼はきっとこう証言するでしょう。
「過酷なノルマがあった」
「上司は数字さえ上がればやり方は黙認していた」
「会社は慢性的な人手不足で、まともな教育も管理もなかった」
これらが公になれば、御社の
「ブラックな体質」
が白日の下に晒され、さらなる人材流出と評判の低下を招きます。
まさに
「ミイラ取りがミイラになる」
結末です。
【今回の相談者・広尾社長への処方箋】
広尾社長、これは、売掛金回収の話ではありません。
「元従業員への貸し」
の話でもありません。
今回の20万円は、御社が支払うべき
「組織改革のための手付金」
です。
1 A社長への請求放棄と関係修復
A社長の主張を受け入れ、20万円の請求は断念(事実上の債務免除)します。
その上で、5万円を支払ってくれたことに感謝し、今後は社長直轄または信頼できるベテランが担当することで、信頼回復に努めましょう。
2 元社員への法的措置の断念
伊野氏への責任追及は、時間とコストの無駄であるばかりか、会社の恥部を晒すリスクがあります。
「責任を感じている」
という言葉を鵜呑みにせず、静かに幕を引くのが賢明です。
3 「人が辞めない組織」への転換
これが本質的な解決策です。
なぜ担当者が数週間で辞めていくのか。
その原因(過度なノルマ、パワハラ、教育不足など)を解消しない限り、第2、第3の伊野氏は必ず現れます。
契約書やルールの整備も大切ですが、まずは
「社員が定着する(まともな引き継ぎができる)環境」
を作ることが、最強の予防法務です。
※本記事は、架空の事例をもとに、従業員の不正行為と企業の使用者責任、および組織管理の法的リスクに関する一般論を解説したものです。
実際の法的責任については、具体的な事実関係や就業規則の規定等により異なります。
個別の事案については必ず弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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