「今回の代金は『借りたこと』にしておきます。その代わり、次は値引きでお返ししますから!」
営業担当者が、目先の受注欲しさに独断で口走った
「禁断の約束」。
経営者はこれを
「担当者の勝手な暴走」
と切り捨てようとしますが、少し待ってください。
なぜ彼はそんな無理な約束をしたのか?
なぜ後任の担当者は数週間で次々と辞めていくのか?
顧客が
「会社が悪い」
と頑なに支払いを拒む背景には、法律論以前の、もっと深刻な
「組織の病理」
が潜んでいます。
本記事では、離職率の高い職場が生み出す
「現場の歪み」
が、いかにして法的リスクとなって会社に跳ね返ってくるか、そのメカニズムを解説します。
この記事でわかること:
・「借ります」という言葉の裏にある、過酷なノルマと現場の疲弊
・「担当者がコロコロ変わる会社」が、顧客からの信用(と抗弁権)を失うプロセス
・社員個人の責任を追及する前に、経営者が直視すべき「使用者責任」の本質
相談者プロフィール:
株式会社 ネクスト・プロモーション・デザイン 代表取締役 広瀬 翔(ひろせ しょう)
業種:広告代理店・メディアプランニング
相手方:エステティックサロン「ビューティ・ルナ」B社長、および自社の元社員・月丘
相談内容:
先生、元社員の月丘がやらかした不始末について相談です。
彼は当社のトップ営業でしたが、顧客であるエステティックサロンのB社長に対して、独断で
「今回の代金は一旦月丘が借りたことにしておきます。その代わり、次回の発注時に値引きでお返しします」
という裏約束をしていたことが発覚しました。
月丘はすでに退職しており、B社長は
「おたくの会社に非がある」
と頑なに支払いを拒否しています。
しかも、月丘の後任となった担当者たちも、B社長のクレーム対応に疲弊したのか、数週間で次々と辞めていく始末です。
当社としては、B社長から残金を回収するのはもちろんですが、何より、上司への報告を怠り、勝手に裏値引きの約束をした元凶である月丘に対し、不法行為責任を追及して損害賠償を請求してやりたいと考えています。
退職後であっても、彼を訴えることはできるでしょうか?
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:「上司への報告懈怠」を不法行為として訴えることの無謀さ
広瀬社長、お怒りはごもっともですが、元社員の月丘氏に対して
「上司への報告を怠った」
という理由で不法行為責任を追及するのは、法的に見て非常に無理筋(無謀)です。
企業は従業員の活動によって利益を上げている以上、その活動に伴うリスク(ミスや不始末)も負担すべきという
「報償責任の原理」
があります。
単なる業務上の報告漏れや、営業マンがノルマに追われてやってしまった苦し紛れのイレギュラーな約束を
「会社に対する不法行為だ」
と法廷で主張しても、裁判所は容易には認めてくれません。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「裏値引き」を誘発した真の原因と「表見代理」リスク
むしろ法廷で問われるのは、
「なぜ月丘氏はそんな無理な約束をしたのか」
という背景です。
過度なノルマや、ミスを報告できないパワハラ体質など、
「会社の管理体制」
の欠陥を相手方弁護士から徹底的に突かれるリスクがあります。
さらに、顧客であるB社長からすれば、月丘氏の言葉は
「会社を代表した営業マンの言葉」
です。
たとえ社内規定に反する裏約束であっても、顧客がそれを信じたことについて会社側に落ち度があれば、
「表見代理」
等が成立し、会社がその約束(値引き)の責任を負わされる可能性すらあります。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点3:「人が次々辞める組織」は法廷で勝てない
後任の担当者が次々と辞めているという事実も、企業にとって極めて不利な材料です。
担当者がコロコロ変わる会社は、引き継ぎが不十分になりがちで、
「言った・言わない」
のトラブルにおいて
「会社の記録や記憶が途切れている」
と見なされます。
裁判所は
「定着率が悪く、管理がずさんな会社」
の主張よりも、
「一貫して『値引きの約束があった』と主張する顧客」
の言い分を信用しやすくなります。
モデル助言:
広瀬社長、元社員への怒りに任せて矛先を向けるのは、時間と費用の無駄であり、逆に会社のブラックな体質を法廷で露呈するだけの
「自爆行為」
になりかねません。
以下の対応を推奨します。
1 元社員への請求は諦める
「上司への報告懈怠」を理由とした退職者への損害賠償請求は、法的に無理があるため断念します。
2 顧客とは穏便に解決する
B社長への請求については、深追いは禁物です。
取引を再開して債権額を増やすようなことはせず、回収可能な残額のみを請求し、相手が強く反発してくるようであれば、しつこいクレーマーとの縁切り代と考えて静かに幕を引くのが賢明です。
3 「人が辞めない組織」への転換
これが本質的な解決策です。
なぜ担当者が数週間で辞めていくのか。
その原因(過度なノルマ、パワハラ、教育不足など)を直視し解消しない限り、第2、第3の月丘氏が必ず現れます。
契約書やルールの整備も大切ですが、まずは「社員が定着する(まともな引き継ぎができる)環境」を作ることが、最強の予防法務なのです。
結論:
社員個人の責任を追及する前に、経営者が直視すべきは自社の
「組織の病理」
です。
「人が次々と辞めていく」
という現場の歪みは、確実に法的リスク(回収不能や敗訴)となって会社に跳ね返ってきます。
社員が定着する健全な環境を整えることこそが、最も効果的で根本的な企業防衛(予防法務)なのです。
※本記事は、架空の事例をもとに、従業員の不正行為と企業の使用者責任、および組織管理の法的リスクに関する一般論を解説したものです。
実際の法的責任については、具体的な事実関係や就業規則の規定等により異なります。
個別の事案については必ず弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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