企業では、
「理解しました」
という言葉がよく交わされます。
それがそのまま
「同意があった」
と受け取られてしまうことも、少なくありません。
しかし、法務の立場から見ると、
「理解=同意」
とは限りません。
たとえば、
「Aという事実があったことは理解している。でも私はそれに納得していないし、同意もしていない」。
こう言われてしまえば、
「理解していたはず」
と反論しても、もはや意味をなしません。
なぜなら
「理解」
とは、知識や認識の確認であり、
「同意」
とは、意思や判断の表明だからです。
似ているようで、まったく別もの。
根本がちがうのです。
にもかかわらず、
「署名したからOK」
「押印したから問題ない」
「無言だったから納得していた」
というのは、都合のいい解釈にすぎません。
中小企業の株主総会において
たとえば、上場していない中小企業で、株主が親族や旧知の関係者に限られている場合――株主総会も、どうしても
「形式より空気」
で進んでしまう傾向があります。
けれども、株主総会の議事録は、会社法にもとづく正式な文書。
つまり、そこで何が行われたかを記録する
「法的な事実」
です。
中小企業では、以下のような流れが、実務上よく見られます。
・議案があらかじめ決まっており、議事進行が形式的に進む
・あらかじめ用意された「議事録案」を、出席株主に配布
・「異議なし」という無言の承認の後、その場で押印
・押印済み議事録を保存し、コピーを後日郵送する
こうした進め方は、
・株主が一堂に会するのは年に一度きりという事情や
・その場で押印をとっておくことで、後日の異議申立てを防ぎたいという意図から
実質的に
「議事録を読む → 異議なし → 押印」
という流れが、半ば儀式化しているのです。
そこに署名・押印があれば、
「総会の内容に異論がなかった」
と見えるかもしれません。
しかし、それはあくまで“体裁”にすぎません。
「異論が出なかった=同意があった」
と見なすのは、法的にみれば、少し乱暴な解釈と言わざるを得ません。
実際、あとになって次のような声が上がることは、決して珍しくありません。
「議事録の内容が読み上げられていなかった」
「説明がよくわからなかったが、場の空気で印を押しただけ」
「押印はしたが、話の流れに納得していたわけではない」
「読み込む時間が与えられていなかった」
「確認の余地がないまま、署名を求められた」
こうした事情が明らかになれば、たとえ形式が整っていても、
「正当な意思確認があった」
とは言いきれなくなるのです。
押印がそろっていても、無効になることがある
実際、議事録に署名・押印があっても、意思表示のプロセスが不透明であれば、あとから
「決議は無効だ」
と訴えられることがあります。
ある事件では、株主総会が開催されたとされる当日の議事録に、出席者全員の署名と押印がそろっていました。
被告側は
「総会は適法に開催され、押印もある。したがって手続は正当である」
と主張しました。
しかし、裁判所の判断は異なりました。
当日の招集通知が送られた事実を示す記録はなく、議事の詳細な説明もありません。
さらに、署名・押印をしたはずの株主が
「その内容について十分な説明を受けた覚えはない」
「後日、印を押した」
と証言したのです。
裁判所は、
「たとえ署名・押印がなされていても、それだけで総会の手続が適正に実施されたとはいえない」
とし、株主総会の決議の取消を認めました。
この判決が示しているのは、署名や押印はあくまでも“形式”であり、それだけでは同意の真正性を裏づける証拠にはならないということです。
ひとことでいえば、関係性に甘えないこと
では、企業はどう備えるべきでしょうか。
ひとことでいえば、関係性に甘えないことです。
要するに、確認の“プロセス”をきちんと見えるカタチで残しておくことです。
誰が、いつ、何を理解し、どう同意したのか、そのプロセスに“納得の跡”があったかをミエル化することです。
たとえば、
・議事録案は事前に配布し、「内容を確認しましたか?」と口頭で問いかける
・「具体的に、どこか違和感や不明点はありますか」と聞く
・「特に異議がないということで、よろしいですね」と念押しする
・そのうえで、署名・押印をしてもらう
・そのやりとりも、議事録や備忘録に記載しておく
・署名・押印は「理解の上での同意である」と明示して行う
こうして、
「確認して同意を得た」
というプロセスをミエル化しておく。
これが、のちに
「意思の真正性」
を説明するための下支えになります。
トラブルの多くは“過程”のあいまいさに潜む
トラブルの多くは、ほんの小さな行き違いから生まれます。
「そんなつもりではなかった」
が火種になる前に、その過程を“ミエル化”しておくこと。
これが、法務の役割です。
多くの現場では、時間の制約があります。
空気を読んで、そのまま書類にサインすることもあるでしょう。
承認も予定調和で進むことが少なくありません。
しかし、そうした流れの中で押されたひとつの印が、後になって
「同意していなかった」
と否定される。
これは、実際に現場で起きていることです。
過程がミエル化されていなければ、手続きは
「整っていたはず」
と言えたとしても、リスクの芽は残ります。
形式は整っていても、過程が問われる――そのことを忘れてはいけません。
企業は“意思の記録”を、プロセスの中に残しておく必要があるのです。
形式ではなく、過程が問われる
議事録に署名や押印がそろっていても、それだけで
「同意があった」
とは言いきれません。
形式が整っていれば問題ない――そう思いたくなる気持ちはわかります。
けれども、企業の現場で起きているトラブルの多くは、
「確認の過程」
が曖昧だったことに根があります。
意思を示した“瞬間”をきちんと残しておく。
誰が、いつ、何を理解し、どう同意したのか。
その
「納得のプロセス」
を、あとから見えるかたちで確認できるようにしておくこと。
これは、何も特別な対策ではありません。
法務の視点から見れば、企業を支えるための、ごく基本的な“心がけ”なのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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