「あの弁護士、嘘をついていないか?」――その疑いこそが危うい
法務の現場で、ある依頼者が言いました。
「最近の弁護士の発言、前と矛盾している気がするんです」
「もしかして、あの人、何か隠していませんか?」
もちろん、疑念を持つこと自体は自由です。
しかし、そこには、依頼者として決定的な認識のズレがあります。
弁護士の“言葉”は、状況に応じて常に変わります。
裁判所に対しても、交渉相手に対しても、そして依頼者自身に対しても。
なぜなら、弁護士は常に、
「誰に、何を、どう伝えるか」
を戦略的に設計しているからです。
この変化を、
「二枚舌だ」
「前と言ってることが違う」
と読み違えることは、“演技”を“裏切り”と誤読しているにすぎません。
弁護士が方便を使うのは、依頼者の目的を達成するための戦術です。
にもかかわらず、それを“嘘”や“裏切り”と受け取った依頼者は、自らの判断を放棄することになります。
判断の責任も、交渉の方向性も、意図せず弁護士に預けたままとなり、結果として、
「自らの目的」
のために弁護士を使うのではなく、
「弁護士の行動」
にただ振り回されるだけの存在になってしまうのです。
嘘ではなく、「方便」
弁護士が変化する発言や態度を取るとき、そこには一貫した目的があります。
それは、依頼者の利益を最大化することです。
そのために、時には強く出て、時には沈黙し、相手の視点を見越して、言葉を“設計”する。
それは
「演技」
であっても、
「嘘」
ではありません。
方便――すなわち、目的のための表現技法なのです。
ところが、それを依頼者が
「本音じゃない」
「嘘をつかれた」
「信じられない」
と解釈してしまえば、交渉の主体は、依頼者から外れていきます。
弁護士に
「信頼」
という名の白紙委任をしたかと思えば、今度は
「裏切り」
という名のもとに、弁護士を敵視し始める。
こうして依頼者の判断軸は、自らの目的から完全に逸脱していくのです。
本来問うべきは、戦術の妥当性と目的との整合性
依頼者がその自覚を失い、弁護士との境界が曖昧になった瞬間、交渉の軸がぶれ、判断の精度が低下し、結果として、本来の目的から逸脱していきます。
そうした依頼者は、
「それは本音か」
「さっきと違う」
「前の弁護士はそう言わなかった」
など、弁護士の言葉の表層ばかりを問題にしはじめます。
本来問うべきは、戦術の妥当性と、目的との整合性であるはずです。
しかし、それを“感情的な印象”で評価しはじめると、
・結果ではなく語調に反応し、
・判断基準よりも印象に振り回され、
・全体構造ではなく表現のズレにばかり注目する、
というように、交渉全体を見る力を失っていきます。
やがて、判断の背景を問う前に
「嘘ではないか」
と決めつけ、判断の責任までも弁護士になすりつけるようになります。
依頼者が本来果たすべき
「判断」
と
「方向づけ」
の責務は、このようにして形骸化していくのです。
弁護士を「信じる」かどうかではなく、「読み解ける」かどうか
ここで問うべきなのは、弁護士を信頼できるかどうかではありません。
ましてや、
「方便だから信じろ」
と言いたいわけでもありません。
重要なのは、
「この方便は、どの文脈で、何を目的として使われているのか」
という視点を持てるかどうかです。
弁護士の言動を、単なる“真偽”の問題に還元してしまえば、その瞬間、依頼者は論点の検討を止め、弁護士の助言や戦術の意図を受け取らなくなります。
方便を読み違えた依頼者の末路
弁護士の方便を、演技ではなく“裏切り”と読み違えたとき、依頼者は、
「自分で判断しないという態度を、自分の意思で(無自覚であっても)選び」
結果として、
「交渉の方向性も判断も、すべて弁護士任せにする選択をした」
ということになります。
この状態では、交渉における自律性を失い、弁護士の判断を吟味することなく、ただ受け入れるだけの存在になってしまいます。
それは、交渉の舵を預けた
「依頼」
ではなく、判断を放棄した
「依存」
へと変質したことを意味します。
そしてその依存は、最も高くつく
「代償」
となるでしょう。
方便読解力なき依頼者に、交渉の未来はない――それが、法務の現場の現実です。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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