システム開発やIT導入を外部ベンダーに委託する際、契約書のレビューに注力する企業は多いでしょう。
しかし、契約書の文言を整えるだけでは、プロジェクトの失敗は防げません。
とくに、取引モデルが曖昧なまま契約書を交わしてしまうケースでは、導入後のトラブルや損失が深刻化するリスクがあります。
本稿では、よくある失敗事例をもとに、契約実務で見落とされがちな
「取引構造の確定」
という視点の重要性を解説します。
原契約を場当たり的な繕いで済ませようとしていないか
法務担当者の皆さん、今日も赤ペンを握りしめて、契約書と格闘していますか?
「管轄条項がおかしい」
「著作権の帰属が曖昧だ」
「契約期間が長すぎる」
そんなことに血道を上げて、条文を弄り回す。
その姿は、まるで沈没寸前の船のデッキを磨いているようなものです。
悪いことは言いません。
今すぐ、その赤ペンを置いてください。
なぜか?
あなたが修正しようとしているその契約書、そもそもの前提が破綻している可能性があるからです。
契約書は「器」に過ぎない—— 取引モデルが未確定では意味がない
契約書というものは、取引モデル・スキームをカタチ化したものに過ぎません。
ところが、そのカタチばかりを先に整えようとして、肝心の取引構造が曖昧なまま、形式面だけが妙に整っている——このような契約書は、枚挙にいとまがありません。
前提が破綻していれば、どんなに優秀な法務が契約書を磨き上げても、それは事業を縛る足枷にしかなりません。
事業の地盤が定まらないまま契約を結ぶというのは、地盤がゆるい土地に超高層ビルを建てるようなものです。
どれだけ立派なビルを建てても、下が崩れてしまえばすべてが瓦解します。
問いかけてほしいのです。
「このプロジェクト、そもそも何がしたいんでしたっけ?」
答えられないなら、その契約書は白紙の紙と大差ない。
いや、白紙の方がマシです。
少なくとも、事業の足を引っ張ることはありませんから。
「契約書さえ直せばなんとかなる」という致命的な錯誤
このようなケースがありました。
ある企業が、基幹システムを導入することになりました。
外部ベンダーに委託する契約(期間2年、4ヶ月後にカスタマー料金の見直し条項付き)を急ぎで結ぼうとしていました。
社長直轄プロジェクトのため急いでおり、
「提示された契約書について不備があれば指摘してほしい」
と弁護士に依頼してきたのです。
弁護士は、以下の構造的な欠陥を指摘しました。
(1)会社の要望が明確に定義されていない
(2)システムが本当に機能するかの検証プロセスがない
(3)トライアル期間という概念そのものが欠落している
すると、法務担当者は、弁護士の指摘の一部分を受け、
「トライアル期間」
の条項を挿入した修正案を作成してきました。
一見、問題は解決したように見えます。
しかし、これは
「弥縫策(びほうさく)」
でしかありません。
「弥縫」
という言葉をご存じですか?
弥縫——破れた服に布切れを当てて、
「とりあえず穴は塞いだ」
と自己満足する、その場しのぎの繕いのことです。
見た目は整っても、構造的欠陥は何ひとつ解決していない。
それどころか、問題を先送りにして、傷口を広げているだけです。
なぜなら、トライアル期間を設けるということは、契約の根本的な性質が変わるということだからです。
・原契約:2年間の業務請負契約(本番運用前提)
・あるべき契約:トライアル期間付き検証契約(評価・判断前提)
この2つは、似て非なるものです。
前者は
「システムが機能することを前提に、2年間お願いします」
という契約。
後者は
「まず機能するか検証させてください。ダメなら撤退します」
という契約。
原契約に
「トライアル条項」
を追加したところで、契約の骨格は変わりません。
「トライアルは難しい」——交渉現場で露呈した取引構造の欠陥
ここで、さらに悲劇が起きます。
プロジェクトリーダーである専務から、こんな言葉が返ってきました。
「トライアル期間の設定について、相手に飲ませるのはビジネス問題として難しい」
この一言が出た瞬間、弁護士は察しました。
ああ、この取引、すでに詰んでいる。
なぜ、そう言い切れるのか。
依頼する側は既に大幅な値引きを飲ませていたため、ベンダー側は
「これ以上は譲れない」
と強気の姿勢に出たのです。
要するに、力関係が逆転しているのです。
・ベンダー側は本格契約を前提にしている
・依頼する側は実は検証したい
・でも、それを言い出せない力関係にある
値引き交渉で主導権を失い、ベンダーに首根っこを掴まれている。
「安く買えた」
と喜んでいるうちに、高くつく契約を押し付けられたわけです。
そして会社側はベンダーの言い分に折れ、次善の策として
「契約期間は6ケ月、その後1年毎の更新」
という妥協案を選択しました。
これも
「弥縫」
です。
問題を半年先送りにしているだけです。
システムがうまく機能しなかった場合、
「2年間縛り」
から
「半年間お試し縛り」
に変わったに過ぎません。
もしうまく機能したとしても、4か月後にはベンダーから
「値上げ」
という名の
「脅し」
が待っています。
この時点で、取引の主導権は完全にベンダー側にあります。
契約期間を短くしても、
「検証してから判断する」
という取引モデルの根本は、何も変わっていません。
「要件定義は契約時」——ありえない提案の裏にあるリスク
そして、話は最悪の方向に転がります。
弁護士が指摘した(1)の要件定義書については、外部ベンダーがこう言い出した、というのです。
「本契約押印時に提示する。それ以前は、見せられない」
おわかりでしょうか。
要件定義書というのは、
「何を作るのか」
を定義した、システム開発における最重要文書です。
契約前に要件定義書を見せない——これが何を意味するか。
答えは明白です。
「何を作るかは教えない。でも契約書にハンコを押せ。押したら教えてやる」
想像してみてください。
料理店に入って、メニューも見せてもらえず、
「とりあえず3,000円払ってください。何が出るかは払ってからのお楽しみです」
と言われている状況を。
出てきた料理が腐っていても、量が足りなくても、アレルギー食材が入っていても、
「契約書に書いてありますから」
の一言で片づけられる。
これは取引ではない。
ロシアンルーレットです。
しかも、基幹システムの契約は、事業の命運を左右します。
福袋なら
「外れても数千円の損」
で済みますが、こちらは会社が傾きかねないリスクを背負わされているのです。
依頼する会社が既に値引き交渉をしていたため、ベンダー側は強気に出たのでしょう。
「これ以上は譲れない」
と。
典型的な、
「安く買って、高くつく」
ビジネスの敗北パターンです。
あなたは答えられますか?取引モデルに欠かせない5つの要素
事業の根幹に関わる基幹システムについて、トライアルを拒否するベンダーは、自分のプロダクトによほど自信がないか、揉めることを前提にしているかのどちらかです。
契約書の条項をいじる前に、
「なぜベンダーがトライアルを拒否できるのか」
という、取引モデルの構造的な欠陥を直視すべきでしょう。
直視できないのであれば、それは経営責任の放棄に等しい行為をした、ということになります。
多くの法務担当者が、
「契約書さえ直せばなんとかなる」
という錯誤に陥りがちです。
法務担当者が契約書に血道を上げる前に、確定すべきだった
「取引モデル」
の要素は、以下の5点です。
1 求めるシステム要件は何か?(要件定義の明確化)
2 そのシステムは本当に機能するのか?(検証プロセスの設計)
3 どのくらいの期間で評価するのか?(トライアル期間の設定)
4 評価が不合格だった場合、どうするのか?(撤退条件の明確化)
5 本格運用に移行する判断基準は何か?(移行条件の定義)
契約書は、あくまで
「合意内容を文書化したもの」
に過ぎません。
その前段階にある
「何を合意するのか」
という取引モデルが腐っていたら、どんなに美しい契約書を作っても、それはただの紙切れ——いや、事業を縛る足枷にしかなりません。
結末:白紙撤回という、最も高くつく「授業料」
結局、この案件は要件定義書非開示という致命傷が重なり、最終的に白紙撤回となりました。
一見、
「正しい判断」
に見えます。
でも、考えてみてください。
・専務、本部長、担当者が何度も面談を重ねた時間
・法務担当者が契約書を修正し続けた時間
・弁護士が何度も説明した時間
・関係者が外部ベンダー本社に出張した時間とコスト
これら全てが、無駄になりました。
なぜか?
最初から、取引モデルを確定させていなかったからです。
契約書は“副産物”である——本当に見るべきは取引の中身
契約書は、交渉や合意形成の
「副産物」
です。
契約書自体が、問題を解決する手段ではありません。
契約書だけを見て
「これで大丈夫でしょうか?」
と尋ねる前に、こう問い直してほしいのです。
「そもそも、うちと相手が握っている話は何なのか?」
「この契約書は、それをきちんと表現しているのか?」
契約書をチェックするとは、
「文言を直す」
ことではなく、
「取引の骨格を確認し、表現とのズレを見抜く」
ことに他なりません。
その視点を欠いたまま、
「契約書を整えれば大丈夫」
という幻想に頼ってしまうと、気づけば、あなたのビジネスを縛るのは、あなた自身が整えたその契約書——という皮肉な構図が生まれることになります。
最も危険なのは、
「契約書を見たけど問題なさそう」
と言いながら、その契約書が
「何を根拠に作られたのか」
を誰も説明できない状態です。
それは、地雷原を目隠しして歩くような行為。
いや、地雷原だと気づかずに、スキップしながら歩いているようなものです。
爆発してから気づいても、遅い。
あなたの会社は、大丈夫ですか?
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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