「長年の付き合いだから、契約書なんて水臭いものは作っていなかった」
「合計でこれだけ未払いがあるんだから、裁判所もわかってくれるだろう」
ビジネスの現場、特に古くからの商習慣が残る業界では、こうした
「阿吽の呼吸」
で取引が進むことが珍しくありません。
しかし、いざ相手が支払いを渋り、法的手段に訴えようとした瞬間、その
「信頼」
は
「立証の欠如」
という絶壁となって立ちはだかります。
本記事では、契約書が存在しない状態で、1800万円もの売掛金を回収しようとする企業の事例をもとに、
「ざっくりとした請求」
を
「裁判に勝てる主張」
へと昇華させるための、泥臭くも確実な準備作業(5W2Hの再構築)について解説します。
【クライアント・カルテ】
• 相談者: 株式会社 建材サプライ・ロジスティクス 営業本部長 石垣 堅太(いしがき けんた)• 業種 : 建設資材卸売業
• 相手方: 株式会社 グランド・ハウジング(住宅リフォームチェーン)
【相談】
先生、先日ご相談した取引先
「グランド・ハウジング」
への債権回収の件です。
相手の経営状態が怪しいので、先生のアドバイス通り、訴訟の前に
「仮差押え(相手の資産を凍結すること)」
を急ぎたいと思います。
未払い金は、合計で約1810万円あります。
毎月、合計金額の請求書は送っています。
ところが、担当者に確認したところ、元々同じグループ会社だった時期もあり、
「基本取引契約書」
などの契約書を交わしていなかったことが判明しました。
契約書がないと、裁判所は相手にしてくれないのでしょうか?
あと、先生からのメールに
「仮差押えをするなら銀行の支店情報が必要」
とありましたが、相手がどこの支店を使っているかなんて、いちいち把握していません。
合計金額の請求書はあるので、これでなんとかなりませんか?
【9546リーガル・チェックポイント】
1 裁判所は「ざっくり」を最も嫌う
石垣さん、お気持ちはわかりますが、司法という国家作用を動かすには、
「だいたいこんなもの」
という感覚は通用しません。
裁判所は、
「いつ、誰が、誰と、何を、いくらで売る約束をして、いつ納品し、いつが支払期限で、どの部分が未払いなのか(5W2H)」
という事実が、ミクロのレベルで特定されていないと、1円たりとも認めてくれません。
合計1810万円の請求書1枚だけでは、
「内訳は? その根拠は?」
と突っ込まれて終了です。
契約書がない以上、
「過去の個別の取引の積み重ね」
こそが、契約の存在を証明する唯一の武器になります。
2 「5W2H」で過去を復元せよ
契約書がない場合、諦める必要はありませんが、その分、汗をかく必要があります。
お手元の納品書、発注メール、受領証などを総動員して、以下の項目をリスト化してください。
• 取引日(いつ注文を受けたか)
• 商品名・種類(何を売ったか。今回のケースなら「〇〇邸用木材一式」「型番××」など詳細に)
• 価格(いくらで)
• お届け日(いつ義務を果たしたか)
• 請求日と支払期限(いつ払う約束だったか)
これらをエクセルなどで一覧表にすること。
これが、
「存在しなかった契約書」
の代わりとなります。
面倒だと思われるかもしれませんが、これをやらない限り、裁判所というリングには上がれません。
3 「銀行支店」という宝の地図
「仮差押え」
は、相手に知られずに銀行口座を凍結する奇襲攻撃です。
しかし、裁判所に対しては
「××銀行の〇〇支店にある預金」
とピンポイントで指定しなければ、差押え命令を出してくれません。
「どこかの支店にあるはずだ」
では、空振りに終わります。
これは、宝探しにおいて
「この島のどこかに宝がある」
と言うのと、
「この島の北緯〇度、東経〇度の木の根元にある」と
言うのとの違いです。
過去の入金履歴や、相手の振込通知書、あるいは営業担当者が聞き出した情報などから、相手が使っている
「メインバンクの支店」
を特定する必要があります。
【戦略的アドバイザリー】
石垣部長、契約書がないことを嘆いてもお金は戻ってきません。
今やるべきは、
「事実の再構築」
です。
1 「請求の解像度」を極限まで上げる
1810万円という
「塊」
を、一つ一つの具体的な取引(細胞)にまで分解してください。
「3月1日現在、資材代金1816万3234円」
という請求書があるとのことですが、これを、
「○月○日、A現場用木材、50万円、納期○月○日」
といった具合に、すべての取引についてリスト化します。
裁判官に
「なるほど、これだけ具体的な仕事をしたのだから、代金が発生するのは当然だ」
と思わせるだけの、圧倒的な事実の羅列が必要です。
これが
「事実による立証」
です。
2 「支店特定」は探偵になったつもりで
銀行支店の特定については、経理担当者に過去の通帳をすべてひっくり返させてください。
一度でも相手から入金があれば、そこに支店名が記載されている可能性があります。
もしなければ、営業担当者が
「集金」
の名目で相手を訪問し、それとなく取引銀行の話題を出すなど、あらゆる手段で情報を収集してください。
仮差押えはスピード勝負ですが、
「的(まと)」
が見えていなければ矢は放てません。
結論:
契約書という
「紙」
がないなら、
「事実と記録」
という
「レンガ」
を積み上げて城壁を作るしかありません。
「細かいことはいいじゃないか」
はビジネスの現場では通じても、法廷では命取りになります。
今すぐ、総力を挙げて
「リスト作成」
と
「支店特定」
に取り掛かってください。
それが完了したら、我々は反撃の狼煙(のろし)を上げることができます。
※本記事は、架空の事例をもとに、債権回収における事実の特定(要件事実)および民事保全手続(仮差押え)の実務的ポイントを解説したものです。
個別の事案における証拠の評価や手続の可否については、具体的な事情により異なりますので、必ず弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
✓当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ:
✓当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ:
✓当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ:
企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
