「契約書には、合意したすべての事項を詳細に記載しなければならない」。
真面目な法務担当者ほど、この強迫観念に囚われがちです。
しかし、百戦錬磨のビジネス弁護士に言わせれば、契約書に書き込むべきは
「権利義務の基本構造(憲法)」
であり、すぐに消えてなくなる
「事務手続き(マニュアル)」
ではありません。
特に、上場企業同士の提携発表において、
「〇月〇日〇時発表」
と契約書に刻み込むことは、リスク管理として正しいようでいて、実は自らの首を絞める
「愚策」
になり得ます。
本記事では、契約書を汚さずにリスクを制御する、プロフェッショナルな
「寸止め」
の美学と、その裏にある実務的な保全術について解説します。
【この記事でわかること】
• なぜ、「スケジュールの詳細」を契約書に書くと「自爆」するのか
• 「契約書を汚す」という表現に込められた、法務実務の哲学
• 「口頭合意」を「鉄の結束」に変える、たった一本のメール活用術
【相談者プロフィール】
相談者: 株式会社 サイバー・ネクサス 経営企画室長 石橋
渡(いしばし わたる)
業種 : Webサービス・システム開発(東証上場)
相手方: 株式会社 メディア・ネクサス(同業の上場企業)
【相談内容】
先生、メディア・ネクサス社との資本業務提携、いよいよ大詰めです。
契約書の条文はほぼ固まりましたが、最後に一点、揉めているわけではないのですが、悩んでいます。
「適時開示(プレスリリース)」
のタイミングです。
双方が上場企業ですから、株価に影響を与える重要事実の公表は、一分の隙もなく同調して行わなければなりません。
私は「〇月〇日午後3時に同時発表する」
と契約書に明記すべきだと思うのですが、顧問弁護士は
「そんなことは書かなくていい。口頭で十分だ」
と言います。
本当に口約束で大丈夫なのでしょうか?
万が一、相手がフライング発表したら大事故になります。
契約書に「賞味期限切れのゴミ」を混ぜるな
石橋室長、その不安はごもっともです。
しかし、今回は顧問弁護士の感覚が
「プロの正解」
です。
契約書とは、両社の関係が続く限り、数年、数十年と参照される
「憲法」
のような文書です。
そこに、
「〇月〇日の〇時」
という、一度発表してしまえば意味をなさなくなる
「瞬間的な事務連絡」
を書き込むことは、契約書の品格を下げる行為、法曹用語的なニュアンスで言えば
「契約書を汚す」行為
にあたります。
「厳格さ」が「あだ」になるメカニズム
もし、契約書に
「午後3時」
と書いたとしましょう。
当日、東証のシステムトラブルや、緊急のシステムメンテナンスで、発表を
「3時30分」
にずらさざるを得なくなったらどうしますか?
厳密に言えば、
「契約違反」
になります。
あるいは、変更のために
「契約変更覚書」
を大急ぎで締結しますか?
ナンセンスですよね。
ビジネスの現場は流動的です。
確定的な権利義務以外の手続き事項をガチガチに固めることは、リスク管理ではなく、
「自らの機動力を殺す拘束衣」
を着るようなものです。
「口頭」+「証拠化」のハイブリッド戦略
では、どうすればいいか。
答えは、
「契約書(本丸)はシンプルに、実務(現場)で証拠を残す」
です。
1 契約書は聖域として守る
契約書には
「公表の時期・方法については、両社協議の上、決定する」
とだけ書き、詳細は書きません。
これで契約書は美しく保たれます。
2 実務で「事実上の契約」を結ぶ
その代わり、担当者レベルで、以下のようなメールを一本送るのです。
「本日の打ち合わせ通り、プレスのタイミングは〇月〇日 15:00で進めます。
変更がある場合は、前日までに相互に連絡し合いましょう」
このメールへの返信(「承知しました」)があれば、それは立派な
「合意の証拠」
です。
これなら、時間が変更になってもメール一本で修正でき、かつ
「言った言わない」
のリスクも完全に排除できます。
「運命共同体」に裏切りはない
そもそも、今回の提携は、双方が上場企業であり、成功させることがお互いの利益です。
相手が勝手にフライング発表をして、市場を混乱させ、自社の評判も落とすような
「自爆テロ」
を行うメリットがどこにあるでしょうか?
「相手を裏切るメリットがない」関係性
においては、性悪説に基づく重厚な契約条項よりも、性善説と経済合理性に基づく
「紳士協定(と確認メール)」
の方が、はるかにスマートに機能するのです。
【今回の相談者・石橋室長への処方箋】
石橋室長、契約書は
「不安を埋めるための落書き帳」
ではありません。
1 契約書への記載見送り
リリースの日時など、一過性の事務事項は契約書から削除し、スリム化します。
2 「確認メール」による保全
口頭合意の後、必ず
「決定事項の確認」
としてメールを送り、相手の同意(返信)を取り付けてください。
これで法的な保全は完璧です。
3 担当者間のホットライン確立
契約書の条文をいじるよりも、IR担当者同士が携帯電話で
「今からアップします」
「OKです」
と連絡を取り合う関係を作ることの方が、事故防止には100倍有効です。
真の法務力とは、すべてを契約書に書くことではなく、
「契約書に書くべきこと」
と
「運用でカバーすべきこと」
を切り分ける判断力にあるのです。
※本記事は、架空の事例をもとに、企業間の契約実務およびリスク管理の手法に関する一般論を解説したものです。
実際の契約締結や適時開示においては、金融商品取引法、取引所規則、および個別の事情に応じた法的検討が必要です。
個別の事案については必ず弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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