01545_取締役の悲劇(1)_取締役なるためには、学校も、試験も、資格も、能力も、条件も何にもない。したがって、「取締役」というだけで、一定の知的水準や専門能力の裏付けとはみなせない

新聞やニュースをみれば明らかなように、日本の企業社会においては、会社や会社経営者をめぐるさまざまなトラブルは常にどこかで発生しており、これらが絶えてなくなることはありません。

本稿から6稿の連載で、
「取締役の悲劇」
と題し、会社や会社経営者をめぐるさまざまなトラブルが恒常的に発生する原因について、いつものように、私なりの偏見と決めつけに満ちた雑感を述べてみたいと思います。

さて、一般的に、日本社会において
「ステータス」
といわれるものを有している人種については、
当該「ステータス」
といわれるものを獲得する過程で、一定の厳しい条件を達成あるいはクリアすることが要求されます。

たとえば、
「医者」というステータス
を獲得するためには大学医学部を卒業して医師国家試験に合格することが必要ですし、
「弁護士」というステータス
をもつためにはロースクールを卒業するか予備試験に合格した上で司法試験及び考試(司法研修所卒業試験。通常「二回試験」)に合格することが必要になります。

政治家になるには選挙という通過儀礼を経由することが必須ですし、大学教授や博士になるには論文や学術上の実績が必要になります。

教員には教員試験、公務員になるには公務員試験の合格がそれぞれ必要になります。

以上みてきた
「ステータス」保持者
は、各試験や通過儀礼を経由する過程でそれなりの時間とエネルギーとコストを費やすことを余儀なくされます。

そして、その
「ステータス」取得プロセス
での艱難辛苦を通じて、自分が目指すべきキャリアのことを真剣に考えさせられ、また当該キャリアを手にした後のビジョンをいろいろと描くこととなります。

憧れのキャリアを手に入れる過程で、悩み、苦しみ、考えたせいか、
「キャリアを手にしたものの、どうしたらいいかわからず、途方に暮れる」
というような人間は基本的にいないように思われます。

しかしながら、
日本社会における社会的「ステータス」
の中でも、取締役(代表取締役であるいわゆる「社長さん」を含む)と言われる方々は、以上みてきた方々とはかなり事情が違うようです。

「取締役」というステータス
を取得するためには、試験とか資格とか能力とか条件とか一切ありません。

病人であろうと、知的水準や社会的常識に問題があろうと、あるいは破産者であろうとOKです。

前科前歴が華麗な、凶悪犯だって
「取締役」
になることができます。

老若男女問わず、誰でも
「取締役」というステータス
を得ることができます。

この
「取締役」というステータス
を手にする上では、お金もそれほどかかりません。

会社法が改正され、資本金が1円でも株式会社の設立が可能となりましたので、登録免許税等の実費を考えなければ、1円だけもっていれば、誰でも
「取締役」
になれるのです。

ゲゲゲの鬼太郎、といっても、昭和時代に放映された第一次テレビアニメ版の主題歌(OPソング)で、
「おばけにゃ、学校も、試験も何にもない」
という著名(といっても昭和生まれにとってですが)な一節がありますが、
取締役も同様であり、
「取締役にゃ、学校も、試験も、資格も、能力も、条件も何にもない」
と言い得る現実が厳然と存在します。

無論、上場企業の取締役になるには、会社で何十年もがんばって働いて認められ、また
「株主総会での選任」
という緊張を強いられる通過儀礼を経由することが必要となりますが、
「学歴・経歴・資格・試験等一切関係なくなれる」
ということには変わりありません。

実際、上場企業において入社半年くらいの暴力団関係者が突然取締役に選任されてしまうことだってありますし、同族系の上場企業においては、経営能力が全くない認知症の疑いのある老人が取締役として選任される例などもあります。

「重役」
とか
「社長」
とかいうと、なんだか非常に高いステータスのように思われていますが、実態をよくわかっている人間がみれば、
「資格試験とか一切なく誰でもなれる」
という点で、一定の知的水準や専門能力の裏付けとはみなされません。

このように
「取締役」
というキャリアがいとも簡単に取得できてしまうせいか、
「キャリアを手にしたものの、どうしたらいいかわからず、途方に暮れる」という方
が多いのも、
「取締役」
というステータスを有する集団の特徴です。

そして、
「試験等一切なく誰でも入れる」
公立の初等教育機関において学級崩壊が起こり、トラブルが多発する(実際、開成や麻布や筑駒では「学級崩壊」が起こった、などという事例は寡聞にして知りません)のと同様、
「試験等一切なく誰でもなれる取締役」
やこのような
「『取締役』が強大な権限を有して動かす会社」
にトラブルが多発することになるのです。

次稿では、さらに分析を深め、取締役や会社をめぐるトラブルが生じる背景に迫ります。

(つづく)

運営管理コード:HPER033

初出:『筆鋒鋭利』No.033、「ポリスマガジン」誌、2010年5月号(2010年5月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01544_「コンプライアンス」への視点──攻めのリスク管理戦略

相次ぐ企業不祥事のなかで
「コンプライアンス」(法令遵守)
が経営のキーワードになっている。

しかし私が違和感を覚えるのは、
「コンプライアンス経営」が「倫理綱領の策定」と同義となっている点
であり、
「性善説に立ってみんないい子になりましょう、と道徳教育・修身教育をするような、倫理の問題」
だと思っている企業が実に多いことだ。

倫理の問題であれば、何も我々弁護士をはじめとする法律専門家の出番ではない。

極端な話、神父さんや牧師さんを呼んできて説教を聞かせれば済む話だ。

私のアプローチは全く違う。

企業におけるコンプライアンスとは、
「性悪説」
に立脚し、企業内プレーヤー(役員・従業員等)の属人的なモラルに依存することのない、不祥事予防のシステム構築である。経済活動を行う上で、何らかの不祥事は不可避だという前提に立つ。

有能な人の中には、みんなが1取ってくるなかで、7取って4抜いてしまうような、モラルのない人間が少なからずいる。

元気のいいベンチャーや売上が急増している企業など、会社の勢いが増してくると、優秀でかつ善意とは言えない人間が出てくるし、逆にこういうタイプのプレーヤーが企業成長のキーマンとなる。

コンプライアンス経営とは、この
「有能だがモラルのかけらもない人間こそが、企業成長の原動力である」
という前提に立ちつつ、
「そういうプレーヤーが手を染めがちな企業不祥事をいかに少なくするか」
という観点から、合理的に構築された経営体制でなければならない。

そこでは倫理綱領や倫理規定はあまり意味がない。

道徳教育・修身教育は簡単だからどの企業もやろうとするが、だからといって、不祥事はなくならない。

最近某信販会社の総会屋との関わりが話題になったが、当該会社は
「コンプライアンス委員会」
のような一種の道徳・倫理を企業に浸透させるような組織が存在していたものの、全く機能していなかった。

リコール隠しで問題になった某自動車メーカーは、当該事件が発覚する数年前に総会屋との交際が発覚し、
「総懺悔」の上「確実に機能するコンプライアンス体制」なるものを構築した、
と胸を張っていたが、結局「再犯」の形でリコール隠しという別の不祥事が発生した。

結局、この種の
「倫理」的アプローチ
は、利益を極限にまで追及する組織である株式会社には全く無力である。

コンプライアンスが
「法律問題」でなく「倫理・道徳問題」
として考えられている限り、企業体質は永遠に変わらず、同種同類の不祥事が何度も発生し、当該不祥事が個人の問題ではなく企業そのものに内在する問題として捉えられ、どんどん企業価値を損ねることになる。

不祥事を効果的に予防し、企業の永続性を保障するような真のコンプライアンス経営を行いたいのであるなら、
「法的強制力を持つルール」
をつくるべきである。現状では、ほとんどの企業が法的効果を伴わない倫理規程やマニュアル(手順書)を作り、これを配るだけである。

そもそもこれらの法的意義は不明であるし、定期・不定期の教育・研修や監査も行うこともなく、違反の場合の制裁も不明確である。

何か起きても、単に
「マニュアルがあったのですが、この違反がありました」
というだけでは、実効性がない。

無論、この程度のおざなりの対応では担当取締役としては善管注意義務を尽くしたことにはならず、免責もされない。

きちんと法的強制力を持つものをつくることが1点。

2点目に、どんなに倫理教育をしても不祥事は必ず起きるという前提に立てば、会社として必要なものは、
「どんな不祥事が起こっても、予防に最善を尽くした旨きっちり弁解して免責されるような材料」
である。

ルール化されたコンプライアンスプログラムがあり、かつ教育の履歴があり監査もしていたことをドキュメントの形で揃えておく。

そうやって、
「ルールないしマニュアル」

「オペレーション」
の乖離がないこと(あるいは会社として乖離がないように、合理的努力を尽くしていたこと)をいつでも示せるようにしておけば、万一、不祥事が起きたとき、会社としては弁解が容易。

どこまでが会社の責任で、どこからが個人の責任かを言いやすくなる。

3点目は
「有事対策」。

整備された法令遵守体制をかいくぐり、守られるべきルールが特定個人の暴走によって侵された場合の対策を考えておく。

企業を取り巻くステークホルダーは、株主、取引先、顧客、行政、マスコミ、社会一般まで幅広い。

不祥事が発生した場合、想像以上に多角的な対応を求められるが、ただ単に謝ればいいというものではない。

万全のコンプライアンス体制を整備しており、当該不祥事が会社の管理を離れた個人としての責に帰すべきものであれば、その事情をきちんと説明すべきだし、調査中の不確定事項を不用意に口にすると決定事項のように扱われ、後の訴訟戦略や官庁対応において手足を縛られることになる。

その意味では、法務と広報の連携は不可欠である。

とりわけ広報は会社の都合だけでなく社会的視点も含め情報発信すべきだ。

放っておくとどんどん増殖する
「噂話」
を収拾させ、かつ会社として主張すべき事実なり考えを積極的に伝達させるという情報管理もしないといけない。

また調査にしても、方向性もないまま素人判断で探偵もどきの調査を長時間かけてやることは無意味だ。

専門家の協力を得て、法務戦略あるいは広報戦略を策定する上で求められる調査のゴールと範囲を決めてから、当該目的達成に必要最小限かつ合理的な調査を短時間で遂行していかなければならない。

国家レベルで有事立法がいまだ成立をみないように、日本は何につけても有事のシステムづくりは下手くその極みである。

企業経営でも、有事対策を効果的・組織的に整備している日本企業はほとんどない。

こういう状況があるから、
「不祥事が起きてもまともに対応できない」
という形で危機管理無能力が露呈し、当初の不祥事に加えて二次トラブルが発生し、企業価値はさらなる低下を余儀なくされる。

実際、腐ったミルクを販売したことに加え、社長が
「俺も寝ていないんだ」
などと逆ギレして当該不祥事対応能力の欠落をも曝け出し、
「不祥事の発生」+「危機管理能力の欠如」
という二段階で企業価値を下げてしまった企業も記憶に新しい。

日本企業のリスク認識・リスク管理の甘さは今に始まったことではない。

今まで日本は終身雇用制をとっていたので、会社と個人は
「一体感のあるインフォーマルな村社会的関係」
であったし、遵法経営の中身も、
「法三章」

「モーゼの十戒」程度
の簡単な倫理綱領でも良かった。

しかし、雇用が流動化して、企業組織内において牧歌的な村社会が消滅した状況では、社内ルールの構築のあり方も、もっとドライな雇用関係を前提としたものでなければならない。

それを怠ってきたツケが、昨今の不祥事の多さに現れている。しかも90年代の不祥事は総会屋絡み、いわば株主を騙すことだったが、今の不祥事は消費者を騙すという危機的状況にある。

貧すれば鈍す。

「不況下で生き残るには、多少のルール違反はやむを得ない」
という雰囲気もあるが、それだからこそ、遵法経営は生き残りにとって不可欠となる。

今こそ不祥事は不可避だという前提で、法的強制力を持つルールにより不祥事を予防することが必要である。

さらに、仮に不祥事が起きても、
「対岸の火事」
といって済まされるように
「企業の不祥事予防のための合理的努力の痕跡」
を明確に示せるような体制整備を平時から整備する必要がある。

もちろんすぐに完璧なものをつくるのは難しい。

グローバル企業が確立しているようなハイレベルのコンプライアンス体制をいきなり構築せよというのは、偏差値40の人にいきなり東大に入れというようなものであり、徐々に進めていかなければならない。

Step1として、法務は経営の重要ファクターという認識を持つ。

顧問弁護士などもを事後処理でなく予防で使うよう発想を変える。

基本的にビジネスパーソンはうまくいっているシナリオを考えがちだけが、むしろリスクシミュレーションが重要であり、この発想を企業活動のあらゆる側面に浸透させる必要がある。

Step2は予防のためのルール作りである。

これはルールの保護法益たる
「リスクの発見・特定」
から始める。

会社経営で修羅場をくぐっていれば、誰しも危ない経験を持っている。

そういう
「負の遺産」
を検証・蓄積することで、会社固有のリスクを発見し、特定し、具体化する。

発見されず、特定されず、具体化されないリスクを机の上で抽象的に議論しても何も始まらない。

逆に、発見され、特定され、具体化されたリスクはもはやリスクではない。

最悪、
「ベネフィットをはるかに上回るリスク」
が発見され、特定され、具体化されたら、ビジネスモデルを大幅に変更するか、最悪、その営み自体をやめてしまえばいいのだから。

アメリカで独禁法に違反するような
「日本のムラ社会で美徳されるような協調的なビジネス」
をやるのは、リスクが見えていないか、軽く、甘く、抽象的にみているからである。

逆に、アメリカで独禁法違反を犯した場合に、
「捜査がはじまり、関係役職員が片っ端から逮捕され、実刑をくらって収監される」
という具体的なリスクが発見され、特定されていれば、
「日本のムラ社会で美徳されるような協調的なビジネス」
をベースにしたビジネスモデルを根源的に変更するか、ビジネスをサスペンドすればいいだけである。

リスクの発見・特定作業については、業界によって規制が違うので、そういったものも検証しながらリスクを特定する。

そのうえで、
「リスクの顕在化を防ぐ」
ということを保護法益として、ルール作りを行っていき、また作ったルールも法改正や他社の不祥事の事例を取り込んで不断にチューンアップしていかなくてはいけない。

企業経営においては、リスクとチャンスは表裏一体。コンプライアンスというと経営のブレーキになる印象があるが、必ずしもそうとはいえない。

リスクを恐れて何もしないのではなく、避けるべきリスクをきちんと避け、避けなくてもいいリスクに潜むビジネスチャンスを確実にモノにする。

このように前向きにかつ戦略的にリスクとつきあう経営手法が現に存在するし、実際グローバル企業などはそのような手法を採用して成功している。

無論、何から何まで海外の事例を真似する必要はないが、日本企業も多いに参考にすべき点があるはずであり、こういう経営スタイルを日本流にアレンジして取り込んでいけば、日本企業ももっともっと活力を取り戻すと思われる。

日本企業がリスクに果敢に挑み、戦略的に、賢く、コンプライアンス経営を展開することを期待したい。

以上

2020年12月2日・「Insight」第23号にて掲載

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01543_Hearsayとは

Hearsayとは伝聞証拠のことを指します。

伝聞証拠は、又聞きにすぎないものですから、本当にそういう発言が原供述者によってなされたかどうか確かめることができないため、アメリカの証拠法上の原則として 証拠として採用がされません(伝聞法則あるいは伝聞証拠排除則。日本の刑事訴訟法でも同様の原則が採用されています)。

しかしながら、証拠とする必要性が高い一方で原供述者が死亡しているなど供述不能(Unavailability)という場合には、証拠とすることを例外的に認られますが、これを
「伝聞例外」
といいます。

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01542_The Uniform ●●● Actとは

我が国では、
「The Uniform ●●● Act」
は、
「統一●●●法」等
と訳されることがありますが、定訳とは言えませんし、米国の法制度に関する理解に照らしますと、適切な訳語ではありません。

なぜなら、
「The Uniform ●●● Act」
は、いわゆる
「法律」そのもの
ではなく、
「各州が、州法を制定するにあたって模範あるいは参考とすることを期待されている“モデル(見本)としての規範”」
だからです。

こうした
「モデル規範」
は、米国内において州ごとの法律・制度が大きく異なってしまうことを可及的に防止するために作成されています。

したがって、この種のモデル法に関するレスポンスとしては、
「確か、統一●●●法では、●●●は禁じられていたと思う。詳しくは、現在の当該州の法改正の状況を調べないと何ともいえない」
といったニュアンスのレスポンスとなります。

運営管理コード:DDDS01E02

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01541_depositionについて

「deposition」
は、
「証言録取」
などと訳されますが、 我が国では、完全に一致する制度はありません。

法廷以外の場所(例えば弁護士事務所など)において、宣誓させる権限のある者の前で、質問に対して答えさせる方法で証人から証言を得て、それを書面化したものです。

通常、原告側・被告側の双方の代理人(弁護士)が質問を行います。

運営管理コード:DDDS01E01

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01540_ビジネスにおいて重視すべきは、「現」のつくもの。現場、現物、現金、現実。

生き残る企業の経営者たちは、例外なく徹底したリアリストです。

彼らは、自分の見たいと思う現実、すなわち自分の主観を排除して、物事を客観的に観察し、徹底して現実に即したジャッジをします。

そして、そんな経営者たちが最も大事にするものは、
「現」
のつくものです。

現実、現場、現物、現金。

生き残る企業の経営者たちはこれらを決しておろそかにしません。

他方、倒産するような企業の特徴は、これとまったく逆です。

つまらない現実よりも、根拠のない、壮大な計画が大好きで、いつもこれに振り回されています。

また、遠くて汚くて細かい話ばかりの現場は大嫌いで、綺麗な机の上で遠大で抽象的な話をしたがります。

現物を直接手にして右から左に動かす取引は、たとえそれなりに儲かっていても、手間がかかり、利益も少ないと言っては突然放棄してしまい、ネットビジネスや人工知能や仮想通貨や太陽光やデリバティブや海外進出やM&Aのような、実感のないビジネスで大きく儲けることを夢見ます。

さらに、現金と債権は常に同じと考えており、ろくに信用管理・債権管理をせず、商品やサービスを提供し、請求書を送っただけで、現金を手にしたのと同じと考えています。

言うまでもなく、
「現」
を大事にせず、地に足のつかない話を追いかけるような方々はすべからく失敗し、最後には、時間も労力も無駄にし、財産をなくします。

ビジネスをやったことのない多くの方は、
「お金持ちやリーダーというのは、綺麗なオフィスの高価な机の上で、大所高所の議論をし、適当な指示を伝えるだけだ」
などと勝手な想像をしておられるかもしれません。

しかし、実際には、優秀なリーダーになればなるほど、常に正確な情報を大量に収集し、これらを緻密に整理し、自分の主観を交えず外部の専門家の意見を得て客観的に分析・検証し、現場に出向き、最前線に立ち、末端に至るまで事細かな指示を出し、経過や進捗を頻繁にチェックするものです。

いずれにせよ、地に足のつかない話に踊らされるような知的水準に問題のある経営陣が経営する会社というのは長期的に見て淘汰されます。

本業が痛んでいるにもかかわらず、起死回生の策などと称した、現実味のない話が出てきて、浮ついているような会社などは、その多くが近い将来倒産するか、倒産の危機に陥る可能性が高いものと推定されます。

運営管理コード:YVKSF209TO212

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01539_ビジネスは、一歩先を行け。二歩先は行くな。

「およそ、身の丈にあわない話にクビを突っ込む経営者」
というのは、地味な努力が大嫌いで、
「どこかに、『カンタンに状況が改善できる、皆が驚くような、斬新な方法』があるのではないか」
と夢想しているようです。

しかし、そもそもこういう考えが間違っているものと思われます。

時計で有名なセイコーを創業した服部金太郎氏は、かつてこう言ったそうです。

「すべて商人は、世間より一歩先に進む必要がある」
「ただし、一歩だけでよい。何歩も先に進みすぎると、世間とあまり離れて予言者に近くなってしまう」
「商人が予言者になってはいけない」
と。

一流の商売人は、一流のリアリストであるべき、ということでしょうか。

企業が服部金太郎の戒めとは真逆の方向を歩むとき、すなわち、企業がそのスケールにふさわしくない大きな話をするとき、企業は大きな失敗を犯す危険性を内包している、と考えられます。

運営管理コード:YVKSF207TO209

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01538_国際進出の難しさ

「ご臨終になりそうな企業が一発逆転を狙うと称して手を出して大やけどを負ってしまう」
というストーリーにおいて、登場するお約束のプロジェクトが、国際進出です。

古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵、また、時代が近くなると、満州で一旗上げる話や、ハワイやブラジルへの移民話、さらには、バブル期のロックフェラーセンターやハリウッドの映画会社買収話など、日本人は、国際進出というものを安易に考えすぎる気質があるようで、毎度毎度バカな失敗を繰り返してしまいます。

国際進出は、情報収集も情報分析も国内では考えられないくらい難しく負荷がかかるものです。

これはあくまで感覚ですが、国際進出して成功するには、国内で成功するより20倍難しいといえると思います。

「国内で成功し尽くした会社が、国内での市場開拓より20倍のリスクがあることを想定し、周到で綿密な計画と、十分な予算と人員と、信頼できるアドバイザーを整え、撤退見極めのメルクマール(基準)を明確に設定して、海外進出する」
というのであればまともな事業判断といえます。

しかし、国内で低迷している会社が、
「新聞で読んだが、中国ではチャンスがある」
「週刊ホニャララでやっていたが、今は、ベトナム進出がトレンドらしいぞ」
「BSのビジネスニュースでは、ミャンマーが熱い、と言っていたぞ」
という程度のアバウトな考えで、適当に海外進出して成功する可能性はほぼゼロに近いといえます。

こういう知的水準に問題のある会社が、中途半端に国際進出もどきをおっぱじめても、儲かるのは、現地のコーディネーターやコンサルティング会社や現地士業(会計士や弁護士)や旅行関連企業(航空会社やホテル)だけで、たいていはお金と時間と労力の無駄に終わってしまいます。

フィージビリティスタディ段階で自らの無能を悟り、進出をあきらめれてくれれば、損害は軽微なもので済みます。

しかし、頭の悪い人間ほど自らの無能を知らないもので、実際は、多くの中小企業が、
実に「テキトーなノリ」で、
いきなり、現地法人を作ってしまいます。

現地法人を作るということは、現地の言語に基づき、現地の会計基準と現地の法律にしたがった法的書類と会計書類と税務申告が必要ということを意味しています。

しかも、この煩雑でコストのかかる手続きは、会社を解散して清算するまで、未来永劫続きます。

これだけですでに莫大な費用と手間とエネルギーを消耗しますが、投下した多額の投資を回収するには、相当大きなボリュームの売り上げを立てる必要があります。

無論、ルイ・ヴィトンやエルメスやブルガリなど、すでに世界的ブランドとして知名度を確立している商品であれば、
「進出後短期間に相当大きなボリュームの売り上げを立てる」
ということも合理的に期待できます。

しかしながら、
「『日本国内ですら知名度がなく、誰も買ってくれないような商品』しか作っていないような企業が、言語も文化も違う国の市場でいきなり知名度を獲得し、バカ売れして大成功する」
というのはまず不可能です。

結局、日本ですらロクに知名度がない中小企業が、現地コーディネーターの口車に乗せられて現地法人を作った場合、結構な額をスってしまい、現地法人を~年で解散・清算する、ということが多いようです。

ちなみに、2010年前後には
「大進出ブーム」
だった中国ですが、2015年になってから、もっともホットといわれたビジネステーマは、
「撤退戦略」
すなわち
「いかに、中国から、事業撤退を行うか」
だそうです。

国際的に展開したいのであれば、何も現地法人を作って、いきなり拠点を作って遮二無二進出する必要などありません。

自らは日本国内に拠点を置いた状態で、現地のチャンネルを有する現地企業と販売先や代理店として契約し、そこと緊密に提携しながら、市場にチャレンジすれば、リスクもコストも労力も少なくて済むはずです。

ところが、
「自分が国内において地味で広がりのない事業をやっている」
ということに強いコンプレックスをもっている中小企業の社長の方々は、
「国際事業」
「海外進出」
「現地法人」
というキーワードに弱く、意味なく無駄なことをしがちです。

また、海外事業の経験がない素人ほど、
「海外で事業を行えば、どんなバカでも大成功するはずだ」
という根拠のない妄想を抱き、
「地道な経営改革より見た目な派手なバクチで会社を劇的に改善できるのではないか」
と甘い夢を見がちなのです。

こういう背景もあり、
「マルドメ(丸でドメスティック)な事業を、ド根性と勢いで立ち上げたが、海外経験なく、総じて視野が狭いタイプの社長」
が、国内においてなすべき課題が山のようにあるにもかかわらず、海外に異常な期待を抱き、コーディネーターやコンサルティング会社などの口車に乗せられ、海外進出話にオーバーコミットしてしまい、結果、会社を重篤な危機に陥れてしまうのです。

運営管理コード:YVKSF200TO207

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01537_企業経営においては「起死回生の一発逆転」というのは皆無に等しい

スポーツもののドラマやヒーロー物を見ていると、主人公が起死回生の秘策を編み出し、土壇場で一発逆転を行うシーンが見られます。

しかし、これはあくまで虚構の世界の話であって、ビジネスの世界ではこのような起死回生の一発逆転劇というのはあり得ません。

破綻間近の企業が無理をして行うその種のプロジェクトは、経験値の無さがわざわいし、ほぼすべてて、無残に失敗し、かえって死期を早める結果になります。

というのは、事業というのは、一朝一夕に立ち上がるものではなく、
「発案→企画→試作品の完成→商品化にこぎつけ→営業の成功→取引成約→代金回収」
という長期間の地味のプロセス(しかも各プロセスにおいてそれぞれ相当な試行錯誤があること)によって成立するものだからです。

このような地味で面倒なプロセスを嫌って、楽に結果を求めようとすると、かえって、足元をすくわれ、より損害が広がってしまいます。

事業はゴルフというスポーツに似ており、ボギーやダボ(ダブルボギー)しか出せないプレーヤーが最終ホールでいきなりバーディーやパーを連発することはありえません。

逆に、実力のない者がバーディーを無理に狙うと、逆にダブルパーやそれ以上に悲惨なスコアでホールアウトするのと同様です。

すなわち、パっとしない企業がいきなり
「国際進出だ」
「大型提携だ」
と騒ぐのは、
「それまでボギーすらとれていないゴルファーが、たまたまティーショットがそこそこいいところに飛んだと言ってはしゃぎ、それまでまともに当たったことのないロングアイアンを振り回す」
のと全く同じ状況で、より悲惨な結果が予測されるのです。

運営管理コード:YVKSF197TO199

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01536_企業において「妙な外来語」が飛び交うとき、その企業は危険な兆候に陥っている_4_節税商品、節税スキームあるいは会計スキーム

最後に、妙な外来語や専門用語や突如企業に舞い込むケースとして、節税商品あるいは節税スキームというものも想定されます。

数年前、興行用の映画フィルムを使った節税商品など、民事組合のパススルーシステム(組合の損金を直接自己の損金として計上できる)を利用して、
「損金を買う」仕組の商品
が流行ったことがあります。

映画フィルム以外では、飛行機や船を使ったリース事業を行う組合を作り、やはりパススルー制と組み合わせて損金計上するような商品(レバレッジド・リースと呼ばれます)もありました。

どれも
「机上の」税務理論
としてはよく考えられていて、一見すると、効果的な節税ができそうです。

しかし、こういう
「実体の希薄な商品を使った、税務行政にケンカを売るような強引な損金処理」
を、日本最大の暴力団ともいいうる税務当局が笑って受け入れてくれるほど世間は甘くありません。

案の定、どれも、みかじめ料ならぬ税金を不当に過少に収めてやり過ごそうとする不逞の所為について、税務当局と大モメにモメ、裁判所を巻き込む大喧嘩に発展しています。

結論を言いますと、飛行機や船を用いたレバレッジド・リースは事業実体ありということで損金計上が認められ、最高裁もこれを容認しました。

映画フィルム債の方は、フィルムが事業のために用いられているような実体がないということで、最高裁は税務署の更正処分と過少申告加算税賦課処分を認める判断をしています。

こういう裁判所の判断だけを短絡的に見ると、
「飛行機と船はOKで、節税できたからいいじゃないか」
なんて簡単に考えてしまいそうです。

しかしながら、税務署とのトラブルに巻き込まれた(最高裁までもつれこんだわけですから、事件に投入された時間やエネルギーや弁護士費用などはハンパなものではないでしょう)、という点では、飛行機や船のリース事業に参加した場合であっても相当シビアなリスクにさらされた、と見るべきです。

商品を売る側は、いかにも
「節税プランは完璧です」
ということを、セールストークで謳います。

ですが、売る側の金融機関は、売った後に顧客がどんな税務トラブルを抱えたとしても、
「損金計上できると判断するか、損金計上できると判断するとして、実際損金計上するかどうかなどは、すべて自己責任だから、関知しない」
という態度を取るものです(もちろん、同情はしてくれたり、紛争対策のための税理士や弁護士を紹介してくれることはあっても、決して手数料を返したりはしてくれません)。

「いい話にはウラがある」
という警句は、実に的を得たものです。

たとえ、
「売り込む側が、仕立てのいいスーツを着て、高価なネクタイをぶら下げ、学歴が高く、名の通った金融機関に勤めている」
という事情があっても、セールストークを鵜呑みにするととんでもないトラブルに巻き込まれる可能性があるのです。

外来語や専門用語が散りばめられ、横文字で大層な商品名が書いてあったとしても、会社が購入するのは、シンプルに言えば
「税務当局とのケンカの種」
に過ぎません。

フツーに商売するのですら困難な時代に、税務当局と大喧嘩して、企業がまともに生き残れるほど甘くはありません。

一般的に申し上げて、節税にエネルギーを使う企業は、健全な成長・発展してきちんと納税する企業との比較において、短命と言えます。

企業が節税商品に手を出すのは、方向性としても、実際問題としても大きなリスクがあり、企業生命を危うくするものと考えられます。

運営管理コード:YVKSF192TO197

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