一般の人が裁判でイメージするものといえば、サスペンスドラマでの刑事裁判で、検察官と弁護人がずらっと並んだ傍聴人をギャラリーに丁々発止のやりとりがあり、最後には、弁護人が鋭い反対尋問で証人を切り崩し、真実が明らかになり、正義が勝つ、といった内容です。
しかし、民事の事件の場合、ドラマの刑事裁判とは全く異なった様相を呈します。
まず、傍聴席は関係者が1人か2人いるだけで閑散としてますし、単純なケースの場合、尋問と言ってもせいぜい当事者本人2人を1時間前後で聞く程度。
尋問も丁々発止といった趣はなく、双方の弁護士が地味にダラダラと話を聞き、裁判官も眠気を押さえるのに必死と言った様子です。
というのは、民事では、文書がモノをいうからであり、こういう事件ではすでに勝敗が見えているからです。
民事訴訟法では
「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する」(228条4項)
とされ、この文書を債務者側が
「この確認書に書いてある字は私の字で、押されている判子は私がもっている判子を押したものです」
といった趣旨の事実さえ認めれば、文書外でどんなにひどいやり取りや不公平な実体があっても、債務者側の敗訴は確定してしまいます。
債務者の人柄が良く、同情する余地があり、他方で、債権者が、どんなに非常識で、品性下劣で、社会性がなくても、です。
逆に、相手を追及するのに、文書がなければ、あれこれ事情を話したところで、訴訟実務では基本的に
「寝言」扱い
されるのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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