00525_企業法務ケーススタディ(No.0190):「退職した従業員が、独立して、他の従業員を引き抜き ライバルとして顧客を奪い始めるケース」を想定した予防法務テクニック

1 事例
首都圏を中心に展開する
「小泉ビューティーサロン(以下KBS)」
は、年商20億円の中堅のエステサロン。
特徴ある新しい技法は特にないものの、相場より安価な施術料金で、オープンから10年、着実に業績を上げている。
顧客の悩みに親身に応えることを第一と考えているため、これまで顧客との間でトラブルは皆無、それが口コミでも伝わっている。
そうした好業績を受け、社長小泉一子(以下ピン子)は全国展開を実現すべく、次なる一手を画策していた。
そんな矢先だった。
開業当初から花形エステティシャンとして勤務してきた藤原紀子にこう切り出された。
「社長、これまでお世話になりました」
寝耳に水とはまさにこのこと。
チーフエステティシャンという肩書きの彼女には、今後さらに多大なる貢献をしてもらおうと考えていたのだ。
ピン子 「お世話になりましたってどういうこと!?」
紀子「もちろん辞めるってことですが」
ピン子「辞めてどうするの?」
紀子「新しいサロンをオープンさせます」
ピン子「えっ! そ、そんなお金、どこにあるの?」
紀子「そんなことご心配いただかなくても大丈夫です」
ピン子「ちょ、ちょっと待って。あなたにはこれからうちの看板として活躍してもらわなきゃ困るのよ」
紀子「ありがとうございます。けど、わたしにもわたしの人生がありますから」
ピン子「・・・とりあえず今度話し合いましょう?」
紀子「いえ、話し合うことなんてありません。独立する方向で話は進んでいますから」
ピン子「・・・」
何がいけなかったんだろう?
仕事自体にはやりがいがあったはずだ。
エステのメニューなど技術面に関しては、紀子にかなりの裁量を与えていた。
社長である小泉は、彼女の提案に反対することはほとんどなかった。
給料だって、それなりのものを与えてきたつもりだ。
その2日後だった。
5人のエステティシャンがやって来た。
「わたしたち、今月限りで辞めさせていただきます」
「はっ?」
「新たな第一歩を踏みだそうと思っています」
「まさか・・・、まさか藤原さんと新しいお店を始めるっていうわけ?」
「辞めてからのことについてお話する義務はないと思いますが」
答えは明白だった。
現場のトップである藤原が部下を引き連れて、独立するのだ。
あんたたちをここまで育ててやったのは誰だと思ってるの!
恩を仇で返すような仕打ちだ。
優秀な人間たちが一度に辞められては死活問題だ。
小泉は歯噛みした。
すぐさま藤原を呼んだ。
「ちょっとどういうこと? 自分のやってること、わかってるの? 何が不満なの? お給料? もっと欲しいっていうなら考えるわよ! 仕事だってあなたの好きなようにやらせてるじゃない! どういうことかちゃんと説明してよ!」
思わずヒステリックな物言いになってしまう。
「大きな不満はありません。ただ自分の力を試してみたいと思っただけです」
「じゃあ、自分ひとりでやりなさいよ!」
「そう言いますけど、そもそもこのサロンを開業するときだって、社長はわたしを無理やり引き抜いたじゃないですか」
「それとこれとは話が別よ!」
「いずれにしても引き留めようとしてもムダですから。彼女たちもわたしと同意見です」
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
こんな捨てゼリフを吐くのがやっとだった。
辞めてしまうのは仕方がない。
現存の勢力で立て直すしかない、と一生懸命気持ちを入れ替えようとするのであった。
藤原たちは辞めていった。
辞めてすぐに新しいサロンをオープンさせたこと、オープンに際しての資金はある有力なスポンサーからであることなどが、どこからともなく耳に入ってきた。
聞きたくもないが、なかなか盛況であるともいう。
彼女たちのサロンが業績を伸ばすことに反比例して、KBSの業績は落ちていった。
リピーターがガクンと減っているのだ。
藤原たちに顧客を根こそぎ持っていかれたことは自明だった。
今、小泉は数店あったサロンを次々と閉鎖している。
活気のないサロンに、質の低いエステティシャン・・・、もはや
「斜陽エステサロン」
となってしまった。
このままいけばフェードアウトは確実。
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
と叫んだ本人が、覚悟せざるをえない状況にあった。
果たして彼女、何がいけなかったんだろうか?
何か打つべき手はあったのだろうか?

以上のケースを前提として、どういう点に気をつけてこういうトラブル予防をしておけばよかったのか、その予防法務措置について検討してみます。

2 競業禁止やノウハウ等の保秘についての法的ルールの整備
わが国では
「職業選択の自由」
が保障されています。
したがって、その人がどんな仕事をしようが自由であり、他人はその人の職業を拘束できません。
また、社員の忠誠を維持するための方法については、本稿の趣旨に関係ないので、これについても触れません(私は、顧問弁護士としてのアドバイスをするなかで、経営コンサルティングにかかわるような助言も日々行っており、こちらの話は、法律よりも得意なんですが、これをやりだすと話が永遠に終わらない可能性があるので、あくまで法律問題としてこの問題を扱っていきたいと思います)。
KBSでは、藤原紀子を雇用する際、きちんとした競業禁止やノウハウ等の保秘のルールを整備していなかったことが予想されます。
とくに、エステなど同業他社が多く、引き抜き等が頻繁に行なわれることはその業界で商売しているのであれば当然わかるはずです。
KBSと藤原紀子との間の契約が、労働基準法が適用されるべき労働契約なのか民法上の雇用契約なのかは不明です。
前者(労働契約)の場合であれば、就業規則や就業規則に付随する諸規程に盛り込んだり、採用の際に誓約書を徴収する運用により、競業禁止義務やノウハウ等の保秘義務を労働契約の中に取り入れておくべき必要があります。
なお、労働契約の場合、違約金の定めは法律上禁止されています。
後者(民法上の雇用契約)に該当するような場合、違約金の定めを盛り込むこともできますので、ペナルティとして多額の違約金を定めておき、抑止効果を高める方法もあります。

3 競業禁止条項
競業禁止条項を作る際の注意点として挙げられるのは、地理的範囲や、業態、期間を限定することが重要です。
「どこであろうと、永遠におまえはこの商売に関わってはいけない」
なんて内容は、職業選択の自由を奪うものであり、公序良俗に反して、無効と判断される可能性が大きいからです。
ですから、
「東京都内で向こう1年間はダメ」
とか
「KBSで行なっている独自のノウハウは使わない」
といったように、具体的に禁止される競業の内容を限定する必要があります。

4 守秘義務条項
守秘義務条項については、機密の特定が問題になります。
単に
「秘密の持ち出し禁止」
といっただけではあまりに漠然としていて当該条項の法的有効性に疑義が出てきます。
一例を示すと、

(ア) 事業資料及び財務資料 :
事業計画書、事業提案書、営業計画書、営業企画書、財務諸表及び経理資料、人事等に関する情報(従業員の地位、職責、住所、電話番号等の個人情報を当然に含むがこれに限らない)
(イ) 価格情報 :
製品の原価情報、原価計算情報、販売価格・卸価格情報、リベート(値引き)に関する情報その他価格情報並びに価格決定に関する情報一切
(ウ) コンピュータソフト及びデジタルデータ :
各種コンピュータソフトウェア(カスタマイズあるいは開発されたものやこれらの途上のものも含む)及びこれらの運用によって作成ないし整理されたデータ
(エ) 顧客情報 :
現顧客潜在顧客を問わず、顧客情報、顧客リスト及び顧客に関連する情報一切
(オ) 取引先・協力会社情報 :
貴社仕入先ないし貴社提携先の、存在、呼称・連絡先あるいはこれらの会社との契約内容・取引内容、技術援助、外部委託関係及びこれらに関連する一切の情報
(カ) 製法等 :
事業モデルに関する情報、製品設計に関する情報、製品の原材料、製品製 造手法、製品製造工程、製品コンセプト、製品企画、製法マニュアル・使用マニュアル類、その他製品ないし販売方法に関する全てのノウハウ及び情報一切
(キ) 実験結果 :
貴社在職中に行った実験、分析により得たデータや、他製品(試作品や部品を含む)開発過程で得たデータ
(ク) 以上の他、私が、貴社在職中に知り得た貴社事業に関する情報一切

みたいな感じになりますが、この辺の特定の緻密さが、予防法務の専門家にとっての職人芸みたいなところになってきます。
あと、機密漏洩方法について行為面から特定していくことも重要です。
ここでいう
「行為面からの特定」
とは、機密が格納された媒体(書類や光学メディア等の一切)を許諾なく移動することを禁じたり、雇用契約終了時には機密格納媒体の返還を求めたりといった、具体的な場面を想定して、機密の漏洩を防ぐことを指します。

5 機密管理体制
ノウハウ等の会社の機密をきちんと管理する上で、以上のように従業員に守秘義務を課しただけでは不十分となる可能性があります。
すなわち、営業秘密については、その会社の機密管理体制が問われるため、この条項を盛り込むのを機に、機密管理体制の構築も図るのがいいでしょう。
そもそも機密情報というのは、顧客データであれ何であれ、それが機密と明示されてはじめて法的保護の対象となる営業秘密となります。
たとえ会社にとって重要な情報であっても、機密明示のない情報については、従業員が持ち出しても、法律問題として責任追及できる可能性が低くなります。
つまり、会社の主観として、どんなに高度な機密情報であっても、社内のあちこちに雑然と転がっていたり、ネット上のオープンな環境にさらしていたりして、来社した取引先が普通に見ることができたり、ネット上で自由に閲覧できるようなら、機密情報とはなり得ないわけです。
具体的には、紙ベースであるなら、マル秘スタンプを押印する。
電子データであるなら、パスワード管理などを通じて誰でもアクセスできないようにする。
実に簡単なことですが、大きな企業でもこの種の管理構築に対する投資や労力負担は怠りがちです。
こうして機密管理体制が構築されていれば、万が一外部に持ち出されても、持ち出した者を法律違反として問うことができます。

6 いつ守秘義務や競業禁止を記した誓約書を徴求したり契約書を取り交わすべきか?
契約は原則として双方の同意さえあれば、いつ交わしてもOKです。
ですが、後出しジャンケンみたいに、後から契約内容をこちらに有利に変更させようなんてやりだすと、トラブルのもとになります。
社員が仕事を覚えた後に交わすとなると、契約の内容が常識的なものであっても、トラブルが発生する可能性があることは想像に難くありません。
また、就業規則の不利益変更につながるような場合には、従業員側の意見を聞いたり、監督署に届出けたり、と面倒くさいことも多くなります。
ですので、気がついたときに、信頼できる専門家に頼んで、早めに整備しておくべきでしょう。

7 土壇場で競業禁止や守秘を約束させるコツ
土壇場で競業禁止や守秘を約束させるコツについて、今回のケースを例にとって考えてみましょう。
小泉ピン子さんは、弁護士なんてテレビでみるくらいの存在で、当然ながら顧問弁護士なんていなかったのですが、藤原紀子が辞める直前になって、知人に弁護士を紹介してもらい、
「藤原紀子が辞める前までに競業禁止条項や守秘義務条項を盛り込んだ誓約書にサインさせないと大変なことになる」
と、ようやく理解しました。
その場合、どのような方法を取ったらいいのでしょうか?
退職の際には、給料の精算や退職金の支払いの問題が発生しますので、ここが契約を交わす最後のチャンスになります。
藤原紀子との契約が労働契約の場合、強引に清算を留保すると、労働基準法の全額払原則との問題が生じますが、フェアな形で交渉し、退職後のプランをきちんと述べさせる中で、KBSにとって有害なことをしないよう釘を指す形で、念書等を徴収しておくべきでしょう。
普通、念書で約束したことは当然遵守することが期待されますが、紙片一枚のことですから、念書で約したことを平然と違約するような輩も実に多くいます。
そうした場合、念書違反を理由に損害賠償請求をしていくわけですが、ここで損害額の立証がネックになります。
競業されたことによる損害や、機密を漏洩されたことによる損害の立証は困難を極めます。
一つのアイデアとして、念書に「違約罰」を明記することが考えられます。違約罰の存在は、従業員の裏切りに対しての、強力な抑止力になりますが、他方で、労働基準法第16条では違約金の定めの禁止を定めています。
「すでに労働契約が終了した個人」と法人との間には労基法は適用されない、とも考えられる余地もあり、後日違法無効と判断されたとしても、「牽制として機能するのであればその限りで十分」という割り切った考えもありえるかもしれません。
ただ、コンプライアンスを全うするのであれば、保守的に考え、表現ぶりをトーンダウンすることも考えるべきでしょう。

8 危険で有能な人間は、取締役にしてしまえ!
今回は、子飼いの従業員の裏切りを直前になるまでまったく感じ取ることができなかったケースです。
ただし、うっすらと気配を感じるケースも中にはあります。
有能な人間を自社で囲い込む方法のひとつに、彼(彼女)を取締役に選任してしまうという裏技があります。
取締役になると、会社との関係は、労働基準法でなく、会社法により規律されることになります。
そして、取締役は、会社に対して、
「善管注意義務」
「忠実義務」
という非常に重い責任を負うことになり、これに違反すると会社法違反として損害賠償が発生することになります。
すなわち、従業員の場合、労働基準法が保護してくれるわけですが、取締役になった途端、会社法がプロとして厳しい責任を課してくるのです。
そして、一旦、藤原紀子を取締役に選任した場合、(言葉は悪いですが)会社に縛り付けることとなり、藤原紀子は在任中に独立準備をしているだけでも法的責任に問われることにります。
以上のとおり、有能だが、裏切って独立しそうな人間は、取締役にしてスズをつけておくのも一考に値します。
ただ、裁判例等をみると、取締役が形式に過ぎず、あくまで労働法による要保護実体のある使用人兼務役員の場合、名目ないしレッテルが取締役であっても、労働法による保護が及ぶ、と判断される場合もあります。
給与水準や給与の定め方、経営への関与のさせかた、責任に対応した地位や処遇や権限といった、ことも配慮しておくべき必要があります。
応用ですが、ここから先は、ネタとして聞いて下さい。
ある企業の社長から、酒の席で、
「労働基準法なんて法律があるとやりにくくてしょうがない。先生、アレ、なんとかしてくんない?」
と言われ、
「簡単ですよ。従業員全員取締役にしちゃえばいいんですよ」
と返して、絶句されたことがあります。
で、その社長さんは
「そんなことしたら会社のボードが労働組合みたいになっちゃうよ」
と言われましたが、
「株式は社長が大半握っているんだから、そういう人間がいたら片っ端から解任したっていいんです。
もしVC(ベンチャーキャピタル)とかの小うるさい他人資本が入っていて機動的に総会運営できないんだったら、種類株式を社長単独に発行すればいいんです。
そうすれば取締役の処遇はすべからく一人種類株主総会で決められますよ」
なんて具合に話がすすんでいきました(ま、ネタですが)。

9 まとめ
◆ 起業にあたって、就業規則や雇用契約書は必ず作ること。特に、ヒト・モノ・カネ・情報という経営資源のうち、ヒトが事業のコアを形成するような会社において、これらの契約がないのは、大きな問題です。
すでに起業してしまっている場合は、ただちに専門家に相談して、これらの契約処理を行うこと。
◆ 雇用契約書には、競業禁止条項、守秘義務条項等を盛り込み、貴重な経営資源であるヒトや情報が無秩序に流出していく事態に備えること。
◆ 退職にあたっては、念書等を差し入れさせる形で、競業やノウハウの不当利用をさせないような措置を講じること。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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