00654_“げに恐ろしきは法律かな”その8(終):法律は、サイエンスでもないし、学問でもないし、真面目に学ぼうとしても絶望するだけ

非常識な内容を含み、
「日本語を使いながら、およそ日本語の文章とは言えないほど壊滅的にユーザビリティが欠如し、呪文や暗号のような体裁の奇っ怪で不気味な文書(もんじょ)」であり、
おまけに公権的解釈が複数存在し、何を信じていいか皆目不明で、
しかも、この民主主義の世の中において、極めてレアな
「独裁権力を振り回す覇権的で絶対的な国家機関」
によって、自由気まま、奔放不羈なスタイルで、わりと適当に解釈されちゃい、
加害者や小狡い人間に優しく、被害者や無垢なカタギに過酷な、意外とワルでロックでパンクで反体制的なヒール(悪役)として一般庶民をいじめる、
何とも、クレイジーで、デタラメで、いい加減で、ファジーなくせに、毒々しく、得体の知れない恐ろしさをもつもの、
だからといって、
「こんなシロモノ、知りたくもないし、お近づきにもなりたくないし、認知や感覚を遮断し、一生目を閉じ、耳を塞ぎ、接点や縁をもたずに生きていきたい」
という、無垢で善良な一般庶民のささやかな願いは、「法の不知は害する(法の不知はこれを許さず)」
という古代ローマ以来の法格言によって、無残にも打ち砕かれてしまう、
そんな、実に不気味で恐ろしく、厄介この上ないシロモノである「法律」。

そんな法律を、勉強しようと志したとして、ちゃんと勉強できるものでしょうか?

まず、法律はサイエンスではありません。

一応、社会科学(ソーシャルサイエンス)などと位置づけられていますが、
「サイエンス」
と呼ぶのはあまりにファジーでデタラメで意味不明で適当すぎます。

「法律学」
と呼ばれる世界は、憲法解釈を例にとっても、ある時代には、違憲の疑いとされた組織や暴力行使が、時代が変わると合憲になったり、条文はそのままなのに、公的取り扱いが180度変わってしまったり、善良な科学的知性をもつ生徒を発狂させるような話が普通に展開する異常極まりない空間です。

さらに、学説についても、話の都度都度、A説、B説、折衷説、判例通説、有力説、受験上通説(司法試験に合格するために答案作成戦略上採用することが推奨される学説)といった学説対立があり、純真無垢で一本気な学問の徒の志を、バッキバッキに折りまくる状況です。

といいますか、法律学や会計学は一応
「学問」
とカテゴライズされており、これらを教える教育機関や教育者も整備されていますが、法律や会計は、たんなる制度あるいは取決めに過ぎません。

こんな制度や取り決めなんて、よく考えてみれば、学術性は皆無であり、
法律「学」や会計「学」
という言い方はやや誤解を招く言い方です。

「学」ないし「学問」
というと、なんだか高尚で、一定の知性と教養があって、特定の高等教育機関でないと学べないような、ハイブロウなイメージが持たれそうです。

しかし、会計というシステムについては、
「特定の大学の特定の学部でしか学べない学術分野」
というものではなく、商業高校にいる素行にやや問題のある学生でもフツーに勉強しています。

中学しか出ていない方でも仕事で決算を組むことは可能です。

法律についても同様で、ロースクールに通わなくとも予備校で勉強した学部生が大量に司法試験予備試験(ロースクール卒業資格試験)に合格して、ロースクール卒業資格を得て、ロースクール卒業生よりはるかに高い確率で司法試験に大量に合格しています。

おそらく、単なる制度やシステムにすぎない法律や会計が、
「学問分野として整理され、あたかも特定の高等教育機関でしか教えられない学術性の高い領域」
とされているのは、これらの教育に携わる大学関係者や当該関係者のお立場へ配慮した結果だと思われます。

いずれにせよ、素直かつシンプルに、法律を学んで、使いこなそうとしても、簡単なのか難しいのか皆目不明で、いつ、どのタイミングで、どのあたりから手をつけて、どの辺まで学んでおけばいいのか。

また、机に座って本を読んだり、先生の話を聞いたら、それで法律を理解し、使いこなせることができるのか。

というより、エラそうに法律を教えている先生は、法律を知っているだけでなく、きちんと使いこなせるのか。

勉強して一定程度法律を学んでさえいれば、暴力団や、警察や、検察官や、相手方の弁護士や、役人といった、法律を使いこなして暴力的にケンカや揉め事をふっかけてくる連中に、うまく対処できるか。

あるいは、そのようなトラブルに対処してくれる弁護士に頼むとして、きちんと弁護士の力量を把握したり、効果的にコミュケーションをとって、ボられず、きちんと対処できるようなリテラシーを実装できるのか。

あるいは、その種の実践知性は、本や座学では身につかず、体で覚えていくほかないのか。

このように、
「法」を学ぶ
といっても、その内実や奥行きは全く不透明であり、アウトラインやだいたいのサイズ感すら不明で、何から何まで、腹が立つくらい、視界不良で理解困難です。

かくいう私も、10代で法律と出会い、大学生のときに司法試験に合格し、以来、20年超、実務の現場で法律と付き合っていますが、いまだに知らないことやわからないことに出くわします。

これが、サイエンスでもなく、学問でもなく、えも言われぬ、得体のしれない、法律の難しさであり、楽しさなのかもしれません。

いずれにせよ、一朝一夕では、学べるようなシロモノでないことは確かであり、法律との付き合い方は、
「勉強して知って克服する」のではなく、
常に楽観バイアスや正常性バイアスに陥らず、
「法律は不気味で怖い」という保守的で謙抑的な警戒心をもって正しく恐れ、
なるべく早めに、信頼できる専門家に話せる環境を維持し、
必要に応じて、適宜、効果的に連携して対処する、
ということくらいしか言えません(気軽に、もっと突っ込んで言えば、タダで、カジュアルに相談できる弁護士の友達や知人をもつことも推奨されますね)。

実際、事業家や、資産家といった成功者の方は、本を読んだり、学校やセミナーに通うことなく、そうやって、実践で法というものを知り、理解し、使いこなして、富を築いたり、保全したりしています。

以上のとおり、
非常識な内容を含み、
「日本語を使いながら、およそ日本語の文章とは言えないほど壊滅的にユーザビリティが欠如し、呪文や暗号のような体裁の奇っ怪で不気味な文書(もんじょ)」であり、
おまけに公権的解釈が複数存在し、何を信じていいか皆目不明で、
しかも、この民主主義の世の中において、極めてレアな
「独裁権力を振り回す覇権的で絶対的な国家機関」
によって、自由気まま、奔放不羈なスタイルで、わりと適当に解釈されちゃい、
加害者や小狡い人間に優しく、被害者や無垢なカタギに過酷な、意外とワルでロックでパンクで反体制的なヒール(悪役)として一般庶民をいじめる、
何とも、クレイジーで、デタラメで、いい加減で、ファジーなくせに、毒々しく、得体の知れない恐ろしさをもつもの、
だからといって、
「こんなシロモノ、知りたくもないし、お近づきにもなりたくないし、認知や感覚を遮断し、一生目を閉じ、耳を塞ぎ、接点や縁をもたずに生きていきたい」
という、無垢で善良な一般庶民のささやかな願いは、
「法の不知は害する(法の不知はこれを許さず)」
という古代ローマ以来の法格言によって、無残にも打ち砕かれてしまう、
そんな、実に不気味で恐ろしく、厄介この上ないシロモノである
「法律」
ですが、
サイエンスでも学問でもなく、とはいえ、奥が深く、理論や仕組みも複雑怪奇であることに加え、理論や仕組みとは無関係に蓄積され非認知・非公開のブラックボックス的なスキルやナレジの集積として
「実践知や経験知」
といった暗黙知の塊も別途存在する。

そんな
「法律」
は、勉強して、知性によって克服しようとしても、不可能に近く、どうしようもなく、立ちすくむほかない。

まさに、「げに恐ろしきは法律かな」という、残酷な結論をもって、この一連のお話を終わりたいと思います。
(了)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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