「ITに強い弁護士を探している」
「仮想通貨やブロックチェーンが関係するトラブルに強い弁護士を紹介してほしい」
「先端医療分野で勝てる弁護士を教えてくれ」
「遺伝子組み換えが問題になる事件で負けるわけにはいかないので、先端科学分野に詳しい弁護士はいないか」
という話が舞い込むことがあります。
20年を超える程度の私の拙い実務経験が教えてくれるのは、
「ホニャララに強い」
「チョメチョメに強い」
というのは、弁護士の営業文句としてのファンタジーである可能性が高く、
「訴訟の帰趨が特定の弁護士の選任によって決定づけられるような『一般の弁護士には知られていない、特定の専門的な弁護士にだけ知られている、訴訟に勝利をもたらすような高い価値と決定的な意味を有する、 特定の知識や専門性や秘密の情報』」
といった類のものは、ひょっとしたらあるかもしれませんが、あるにしても極めて少ないもの(か、もっと端的には、実はまるっきり存在しない駄法螺やデマカセの類の可能性が高いシロモノ)だと思います。
訴訟を経験したことのない、ド素人の一般ピーポーの方が、
「ホニャララに強い」
「チョメチョメに強い」という弁護士の仕事っぷり
として、どんなことをイメージ(妄想)されるのでしょうか?
「『一般の弁護士には知られていない、特定の専門的な弁護士にだけ知られている、訴訟に勝利をもたらすような高い価値と決定的な意味を有する、この、類まれなる高度で貴重で価値あるこの、秘伝の奥義ともいうべき理論』を、これを知る日本でも数少ない弁護士である当職が、法廷で披瀝したところ、裁判官が刮目して仰天し、それまでの裁判の流れが一挙に変わり、9回裏で逆転満塁ホームランを放ったかのように、窮地に陥ったこの難事件を、鮮やかな完全勝利で終えることができました(爆)」
みたいなことをイメージされるているのかもしれませんが、ツッコミどころが多すぎ、コメントしようがないくらいの与太話です。
訴訟や紛争事案対処というプロジェクトの特徴は、
・正解が存在しない
・独裁的かつ絶対的権力を握る裁判官がすべてを決定しその感受性が左右する
・しかも当該裁判官の感受性自体は不透明でボラティリティーが高く、制御不可能
というものです。
「正解が存在しないプロジェクト」
で、もし、
「私は正解を知っている」
「私は正解を知っている専門家を紹介できる」
「私のやり方でやれば、絶対うまくいく」
ということを言う人間がいるとすれば、
それは、
・状況をわかっていない、経験未熟なバカか、
・うまく行かないことをわかっていながら「オレにカネを払えばうまく解決できる」などというウソを眉一つ動かすことなく平然とつくことのできる邪悪な詐欺師、
のいずれかです。
そもそも
「絶対的正解が存在しないプロジェクト」
と定義された事件や事案については、
「正解」
を探求したり、
「正解を知っている人間」
を探求したりするという営み自体、すべてムダであり無意味です。
だって、
「絶対的正解が存在しないプロジェクト」
と定義された以上、
「正解」
とか
正解を知っている人間」
とかは、
「素数の約数」
と同様、世界中駆けずり回ったって絶対見つかりっこありませんから(定義上自明です)。
とはいえ、こういう
「正解」がない事件や事案
であっても、
「現実解」や「最善解」
なら想定・設定可能なはずです。
「正解」
がない事件や事案 に立ち向かう際にやるべきことは、正解を探すことでも、正解を知っている人間を探すことではなく、まず、
・とっとと、正解を探すことや、正解を知っている人間を探すことを諦めること
と、
・現実解や最善解(ひょっとしたら、クライアント・プロジェクトオーナーにとって腹が立つような内容かもしれませんが)を想定・設定すること
です。
次に、この現実的ゴールともいうべき、現実解や最善解を目指すための具体的なチーム・アップをすること、すなわち、
・プロセスを設計・構築・実施するための協働体制を描けるか
・それと、感受性や思考や行動が予測困難なカウンターパート(相手方)である敵と裁判所という想定外要因が不可避的に介在するため、ゲームチェンジ(試行錯誤)も含めて、柔軟な資源動員の合意を形成できるか
という点において、親和性・同調性を内包した継続的な関係構築を行い、(おそらく相当長期にわたることになる)事件や事案を協働できるチーム・ビルディングを行うべきです。
すなわち、信頼関係が形成できるか、相性の問題とか、ウマがあうかどうかのレベルの問題、もっと平たくいえば、
「ココロやキモチが共有できるか」
を構築前提課題とした関係性内包集団を基本要件としたチームを組成することであり、
「ホニャララに強い」
とか
「チョメチョメの専門」
とかイキっているかどうかはさておき、チームとしてうまく協働できるようなパートナーやサポーターを探し、集団形成・組織構築することです。
そして、上記のようなパートナーやサポーターが見つかり、チーム・アップができる見通しが立ったなら、
・正解がないプロジェクトであることを受容できるかどうか
・現実的な相場観としてどういうゴールを描いているか
・どういう協働体制を描いているのか
・想定外要因に対する現実的な認識形成できるだけの思考の柔軟性や新規探索性・新規開放性や情緒の安定性といったチーム内のメンタリティが形成構築できるか
・柔軟な資源動員の合意が形成できるか(長期滞留型の消耗戦となることが想定されますが、その場合に適切な稼働費用を捻出できるような予算体制が構築できるか)
といった、プロジェクト推進上、重要な諸点について、ストレス・テスト(冷静かつ保守的な観点からの関係性耐性確認)すべきです(平たく言えば、より突っ込んだ形で、ギャラや資源動員の分担に関する話をした上で、きちんと、カネや手間暇を適切公平にシェアできるかどうかも話して、チームが保てるかどうか確認すべき、ということです)。
難事件や厳しい状況でパニクるのも理解できますが、とはいえ、
「この事件は正解がないし難しいが、ほかならぬオレだったら、この事件に勝てるし、勝ってみせる。ただ、費用は高いぜ」
みたいな与太話に安易に飛びつのではなく、
「この事件は勝てるかどうかはまったく不明だし、決定的な証拠と決定的な取扱ルーティンが確立しているようなタイプの紛争でもないし、さらには、訴訟というプロジェクトの性質上、誰か特定の人間に任せれば絶対うまくいく、ということはあり得ない。だが、最悪の結果にならないように、さらに欲を言えば、現実的に想定可能な最善の結果にできるだけ近づけるように、こちらが制御可能な範囲で最善を尽くしてゲームを戦い抜くことはできる。そのために動員可能な予算の範囲で、支援を了承してくれる、ウマが合うし、コミュケーションが取りやすい、専門家を調達できたので、あらゆる想定外の事態やゲーム・チェンジに対応できる保守的想定で、キック・オフする」
という感じで進めるのが、訴訟事件というプロジェクトの実際の推奨手順です。
その意味では、
「この事件は正解がないし難しいが、ほかならぬオレだったら、この事件に絶対勝てるし、勝ってみせる」
という
「眉毛にツバを5リットルくらいつけて聞かなければならないような、怪しげな話」
を真顔で話す、誇大妄想狂のアホか邪悪な詐欺師に引っかかるのではなく、
「現実解や最善解をふまえた保守的なゴール設定や、ゴールに至るまでの課題発見、課題を乗り越えるためのゲーム(試行錯誤)の遂行のイメージと実践、想定外への対応能力を含めた柔軟で開放的な思考能力をもち、予算と動員資源のバランスが取れ、ウマが合い、コミュニケーションが取れる、堅実な実務家」
を探し、地道な営みを協働することが紛争解決の最短距離になろうかと思います。
確かに、相性が合う、ウマが合う、話やすい、親しみが持てるというのも結構ですが、とはいえ、
「そもそもITって何じゃ? わしゃ、ガラケーとFAXでやっとるんで、スマホとかハイカラなもんはさっぱりじゃ・・・」
「ブロックチェーンって、何それ。レゴブロックのチェーン店か何か?」
「血をみるのもやだし、注射とか苦手だし、医者とか病院とか大嫌いだし、医療問題とか絶対やりたくない」
「中学校のときカエルの解剖とかで卒倒して以来、理科とか生物とかマジ無理」
「数学苦手で弁護士なったんだから、特許とか知財とかみたら本当に気味悪いからやりたくない。数式みた瞬間アレルギー出て過呼吸なるんだよね」
とか言い出す専門家はちょっと
「アレ」
ですね(これは法律以前に、事実や状況を把握する段階でコミュニケーションの基盤が失われている状況です)。
専門とか得意分野とか強いとか何とかといったアピールをよく耳にしますが、弁護士として、何かにむちゃくちゃ精通していたり、知識や情報が偏っていることが、紛争処理に関して絶対的に役に立つ、というわけでもないのです。
というのは、裁判は、安っぽいクイズ番組のように、知識を即答するかどうかで勝敗が決まるわけではありませんし、弁護士としての紛争処理支援の仕事は、別にクイズ番組で活躍できる
「物知り」
とか
「東大王」
とかで要求される知識や即答能力がスキル基盤となっているわけでもないからです。
ちなみに、私も、特に当該方面に特段詳しいわけでもなく、先端医療の医療過誤裁判や、遺伝子組み換え実験の違法性が問題となった訴訟を担当することになり、相手は当該分野に精通するとおっしゃっていた先生方でしたが、保全事件も本案事件も、地裁も控訴審も含め、すべて勝訴できています。
ITもシステムも知財もブロックチェーンもロボットもAIも税務も独禁法も環境問題も、法律問題である限り、問題なく対処をして、顧客が十分満足するだけの結果が出せています。
もちろん、50年以上生きていても、いまだに、知らないことやわからないこともたくさんあります。
しかし、普通にわかるように話してもらえ、状況が判明すれば、これに法律をあてはめ、一定の結論や方向性を導き、これを簡潔かつ明快に文書化・フォーマル化し、適切な証拠を整理した上で、裁判所にプレゼンテーションすることは、普通にできます。
知らないことやわからないことで、法律家としての仕事が困難を覚える場合があるとすれば、それは、
・「知らないこと」「わからないこと」に関する状況を抱えたクライアントが、そもそも「専門的知見を持っている」と思い込んでいること自体が幻想で、実は本質的なことが理解できていないか、まるで何もわかっていないか、
・クライアントが混乱のあまり認知能力や記憶力や知能が一時低下し自分の置かれた状況がよく飲み込めていないか、シッチャカメッチャカになっているか、
・クライアントが絶望的に日本語が話せないか、コミュニケーションが壊滅的に下手くそ、
などの原因で、
「私が理解できる程度に状況を伝えることすらできない」
ということによるものです。
申すまでもありませんが、
私自身、東京大学教養学部文科一類(俗にいう、東大文一)に現役合格し、司法試験も大学在学中に最終合格する程度に、日本語に精通し、国語読解能力をもっています。
そんな私が、何度聞いても理解できない状況というのは、私の日本語読解能力の問題よりも、
・話者の日本語の問題(言葉が通じない)
・話者の話の筋や内容の問題(言葉は通じるが、話す内容が狂っていて、話が通じない)
・話者の知性やメンタリティが低下あるいは欠如していて、話者自信が混乱している(話し手が混乱していて、コミュニケーションが取れない)
のいずれかまたは全てが原因と推察されます(経験上の蓋然性として高度の確率でそのように推察されます)。
「言葉もわからないし、話もわからないし、そもそも話している人間が混乱しているので、どれほど賢くて洞察力がある人間が聞いても、何を言いたいのかさっぱりわからない」
という状況については、
「ホニャララに強い弁護士」
や
「チョメチョメに強い弁護士」
が聞いたからといって、話の内容が明快になるわけでもありません(もちろん、精神科医や臨床心理士の資格をもっている弁護士であれば、「私が原因ではなく、私が聞いてもわからない話、混乱した人間の言語や混乱した話の内容」も精神医学の知見を活用して理解できる、ということもあるのかもしれません)。
「言葉もわからないし、話もわからないし、そもそも話している人間が混乱しているので、どれほど賢くて洞察力がある人間が聞いても、何を言いたいのかさっぱりわからない」
という状況であれば、
・複雑で高度の専門性を含む内容
・日常の感性的経験では知り得ない、有形の現象の世界の奥にある、精神的で抽象度の高い、形而上の内容
・世界の数人しか知り得ない、画期的な先端分野に属するテーマ
といった類のお話です。
話の内容としての価値や意義はさておき、つまるところ、
「世界の誰にも理解・共有されない話」
というほかありません。
「平均以上の知性と洞察力があっても理解できない話」
「東大出にも理解不能なほど難しい話」
ということになると、私もそうですが、裁判官も当然理解できないですし、
「それほどまでに特殊で経験則が通用しない、ぶっ飛んだ話」
は、訴訟の俎上にすら乗せられませんので、勝つ・勝たないどころの話ではありません(おそらく、紛争の実体としては、そんな超絶に難しい話ではなく、要約すれば、「単なる意見の食い違いで、カネや権利や財産や立場に実害が生じた、実に陳腐でしょうもない、犬も食わない下世話なケンカ」の話です。ただ、これを、口下手で話下手で社会性が乏しい方が、頭脳もメンタルも混乱した状態で高級な言語を使って語るので、聞くのにエラい時間と労力がかかって半端なく面倒、というケースがほとんどです)。
結局、高度で先端的で専門的で抽象的で難解な分野の法律問題については、
法的三段論法の小前提(法適用前提としての端的な紛争事実や状況)に還元できるかどうか、
が中核的・根源的な問題部分であり、
「高度で先端的で専門的で抽象的で難解な分野」
に詳しいかどうか、
というより、
「高度で先端的で専門的で抽象的で難解な分野」
に属する事実や状況を、咀嚼能力やアナロジーを用いていかに簡素かつ端的に叙述するか、
という営みこそが決定的に重要です。
そして、そのためには、
・事件の当事者が、混乱せず、状況を、通常の知性と読解力と経験則と洞察力ある人間が聞いてわかる程度の、普通の日本語として話せるかどうか
という方が重要であろうと思います(弁護士としても、「普通の日本語として話された混乱の要素のない内容」であれば、ミエル化・カタチ化・透明化・シンプル化・平易化した上で、文書化・フォーマル化できます)。
最後に、仮に、
「専門的内容」
を含む問題を抱えた方や、トラブルの当事者となった専門的なことを研究されている方と、言葉が通じ、話が通じたとしても、当該問題が、法律を使って解決可能かどうか、とは別の問題です。
当該問題を訴訟等で解決しようとしたら、複雑で高度な内容を、
「通常の知性と読解力と経験則と洞察力ある裁判官が聞いてわかる程度の、普通の日本語」
に言語翻訳・意味翻訳する必要と、話の内容を支える根拠資料を整えてプレゼンテーションする必要があります。
そして、そのためには、話の単純化・シンプル化・安直化と、話のミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化と、根拠資料の整理と選別と提出プレゼンテーションに、途方もない資源動員(カネや手間暇)と時間がかかります。
しかも、それだけ時間とカネと手間暇をかけても、期待できる結果がしびれるくらいチンケな額、という場合がほとんどです。
こういうゲーム環境やゲーム・ルールやゲーム状況やゲームの相場観を知れば知るほど、目の前の
「高度に専門的内容を含む、人類の進歩にとって、大きな意味と価値を意義を有する、ケンカ」
を法と裁判制度を使って解決しようとする営みは、
「1万円札を10万円で購入する」
というくらい経済的にアホなプロジェクト、と判明する、なんて状況が出てきます。
そんな状況が判明したり、あるいはそんな状況が訴訟の途中や最後にわかってきた場合、今度は、別の混乱が生じます。
特殊な問題を抱えた方や、特殊な研究をされている特殊な属性の方々は、
「社会性が乏しく、思い込みが激しく、自我が肥大し、我が強く、孤高というか諸事自分勝手で、情緒安定性にやや欠けるタイプ」
という方々も少なくなく、そういう方々に限って
「そんな話はあり得ない」
「こっちは被害者なんだから、もっと多額の賠償が認められるはずだ(※日本の裁判制度は、加害者に優しく、被害者に冷淡です)」
「普通、懲罰的賠償とかがあって、陪審員も、今回のような件であれば、数十億円の賠償を認めるでしょう(※それはアメリカの話ですが、ここは日本です)」
「そんな、証拠とか事実とか、細かい話がなくても、類まれなる知性と洞察力ある裁判官がすべてお見通しで、ズバッと解決してくれるでしょう(※適当な主張と不十分な証拠だけで裁判が進むのは、暗黒の中世ヨーロッパです)」
「もし、そうなら、日本の司法は腐っている(怒)!」
とか割と勝手なことをわめき出すことが多かったりします。
ひょっとしたら、そういう方々がそういうことを言い出す状況において、うまくコミュニケーションをとって、なだめすかしたり、ごまかしたり煙に巻いたりできるスキルがあることが、
「チョメチョメ訴訟」の専門性
「ホニャララ分野の事件」に強い
ということなのかもしれません。
9割近く敗訴することが経験上の蓋然性として明らかな、(中略)事件や、(中略)事件等においては、動員資源と期待値とのバランスを冷静に考えれば、
「このギャンブルは、期待値1万円の当たりくじを、20万円で購入するような、カネをドブに捨てるような、狂気の行為」
でることは明白であり、訴訟などしない方が圧倒的に賢明です。
したがって、9割近くの当事者が
「こんなバカな結果になった挙げ句、弁護士費用分見事に大損したが、こんなアホな訴訟、最初から、やんなきゃよかった」
と後悔することが見込めるにもかかわらず、
「チョメチョメ訴訟に強い」
「ホニャララ分野の事件なら、私に任せなさい」
という宣伝文句に踊らされて、
「私に任せれば勝てます。いや、これは勝つべき事件だ」
などという無責任な口車に乗せられ、無謀に訴訟をおっぱじめた挙げ句、しびれるくらいたくさんの時間と労力とカネを不可逆的に喪失する、という地獄をみるケースも少なからずあろうかと思われます(そういう場合、専門性ある弁護士の方は、クライアントとのトラブル経験に基づく専門スキルを用いて、うまくコミュニケーションをとって、なだめすかしたり、ごまかしたり煙に巻いたりできるのでしょうか)。
そういうことも考えると、訴訟やトラブルに遭遇した場合、扇情的な話に踊らされず、正しく、しっかりと本質と状況を見極め、冷静に対応を考えるべきです。
すなわち、
ホニャララに強い、
チョメチョメに勝てる、
というのも、話半分、半値八掛け二割引で、「特定の経験があったり、依頼者属性や知識が偏ってるんだ」くらいに捉えて軽く聞き流し、
・当該分野の知識や経験
・当該分野を離れた実務法曹としての知識や経験
・具体的な経験の中身や質
・経験知の内容
・目の前の事件における現実的なゴール設定
・展開予測
・派生する各種課題
・課題対処上の具体的選択肢とその長短所(特に動員資源)
・ゲーム状況の見極めのポイント
・泥沼化した場合の予測される動員資源の費消状況予測
・ゲーム・チェンジの際の手段や方法論
・敗訴状況の可能性とその場合の被害予測と各種資源の冗長性確保とダメージコントロール対策
といった、具体的で中身のある話がどの程度出来るか(あるいは出来ないか)を確認し、
「こいつと、長期の消耗戦を闘い抜くために必要な動員資源(カネ、チエ、手間暇)をフェアに負担しあえる、強固なパートナーシップを構築できるか」
という点をしっかり見るべきです。
要するに、カネや権利や財産を預ける人間を選ぶ際には、
(知性に問題があったり社会経験に未熟な方向けの)宣伝文句やふれ込みに惑わされず、
「ラベル」ではなく「レベル」
で選定するべきであり、
そのような選定を可能にするための
「確固たる哲学と価値観と相場観」
を持って話を聞くべきです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
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