00730_内部統制構築の実務7:タスク(4)違反者に対する制裁

企業であれ軍隊であれPTAであれサークルであれ暴力団であれ、およそ組織というものには、
「ルール」

「ルールの実効性を担保する仕組み」
というものが必要です。

「ルールなき組織」
は組織として維持・継続できません。

ルールがあっても、組織のメンバーが誰もルールを守らなければ、結局は、そのような組織は
「ルールなき組織」
と化し、やはり、組織は瓦解します。

話は変わりますが、私立中学受験は非常に人気が高く、かなり底辺と呼ばれるランクに位置する中学ですら相応の人気があるようです。

裏を返せば、そのくらい公立中学が不人気で忌避されている、ということを表しているようです。

「公立中学に行くくらいなら、底辺と呼ばれるランクであっても私立中学がマシ」
という選考の背景には、
公立中学の「治安」
に対する不安があるようです。

公立中学の「治安」
が崩壊するのは、違反に対する制裁が甘く、刑法や刑罰制度や警察機構といった、
「治安維持のための暴力装置」
を欠如しているからであろう、と推察されます(私立の場合は、校則と校則遵守が強制され、これに反すると、「退学」といった強制排除措置が実施されますが、このような暴力装置が担保となって、相応の治安が保たれている、とみることができます)。

「刑法や刑罰制度や警察といった暴力装置のない社会」
は、穏やかで平和な楽園ではなく、地獄のような無法地帯と化します。

公立中学では、義務教育を提供するという建前もあり、そもそも
「停学」「退学」
という強制的に問題生徒や違反生徒を排除する制度は存在しないようです(制度としては存在しても、実施例がなく、実効性が骨抜きになっていると思われます。)。

そうなると、生徒たちは、警察沙汰になるようなことでもないかぎり、なにをやっても自由だと考えるようになります。

凶悪な犯罪であっても、犯罪者が少年少女である限り、刑罰ではなく矯正に重きを置かれます。

少年少女といっても、犯罪を犯すわけですから、
「犯罪を犯す能力がある程度の知能と体力」
を実装した凶悪な社会の敵です。

「犯罪を犯す能力がある程度の知能と体力」
を実装した凶悪な社会の敵について、一定の属性を獲得していれば、国家が、暗に、
「どんなに凶悪な罪を犯しても、刑罰は課さない」
と認めるわけですから、少年犯罪が凶悪化するのは至極当たり前の話です。

このような、公立中学の治安悪化や、少年犯罪の凶悪化は、
「子どもは、純粋で、清らかで、無垢な存在であり、仮に、心得違いがあっても、何かの間違いであり、暖かく見守り、矯正してあげれば、きっと正しさと善良性に満ち満ちた存在に回帰する」
という教条主義的(あるいは狂信的な)性善説が原点になっています。

「犯罪を犯す能力がある程度の知能と体力」
を獲得・実装した存在は、大人と同様、
「機会と動機と環境によって、凶悪な社会の敵になり得る」
という前提で、治安を維持するための暴力装置の対象とすることは、社会にとっても重要ですし、
「(子供扱いするのではなく、立派な)大人扱い」をしてあげる、
という意味で、子供の尊厳を保障することにもなると思います。

脱線しましたが、
企業という「社会」
においても、治安維持のための暴力装置、すなわち、ルールとルールの実効性を担保する仕組みが必要です。

ここで、
「ルールの実効性を担保する仕組」
とは、端的にいいますと、ルール違反者をきっちりと制裁することです。

話はまた少しそれますが、刑法あるいは刑事政策において「目的刑論」という議論があります。

これは、
「刑罰はどういう目的で科せられるのか」
という問題に対するもので、
「刑罰は、犯罪を抑止する目的で作られ、運用されるシステムである」
という考え方です。

少し敷衍して申し上げますと、国家が刑法に違反した者(犯罪者)に刑罰を科すのは、
・「犯罪者に対して実際に処罰を執行することにより、刑罰法規が有効に機能していることをデモンストレートし、このことを通じて、犯罪を計画する者たち(犯罪者予備軍)に対しては直接的な威嚇をなし、一般市民に対しては法への信頼(法確信)を植えつける」目的(一般予防目的)や、
・「犯罪者に刑罰を科すことを通じて、当該犯罪者を教化して再犯に陥らせないようにするため、あるいは、犯罪傾向が強い者を社会から一定期間隔離することを通じて、一般社会に悪影響が生じないようにする」目的(特別予防目的)
を達成するためである、等と説かれます。

この理屈は、内部統制やコンプライアンスにもあてはまります。

すなわち、内部統制やコンプライアンスを健全に機能させるためには、違反者を厳格に制裁することを通じて、不心得者やその予備軍を教化・威嚇するとともに、真っ当なカタギの社員に
「ウチの会社はしっかりした会社だ」
という安心感を植えつけることが必要である、というわけです。

ところで、日本の多くの企業は、内部統制やコンプライアンスの重要性を説くものの、実際、違反者が出た場合の対応が実にヘタクソです。

企業の中には、やり方がわからないのか、あるいは単に面倒なのか、法令・定款・その他内部諸規程に違反する者が出ても、制裁に躊躇し、そのまま放置してしまうところが少なからず存在します。

また、企業秩序に違反する人間は、営業成績が良かったり、企画力に優れていたり、幅広い人脈を持っていたりする場合があり、要するに
「デキる人間」
だったりする場合があります。

そうなると、内部監査や内部通報でつまらぬ、些細なミスやエラーやチョンボが発覚しても、これを氷山の一角として調査を深掘りするようなことをやめ、臭いものに蓋をして軽めの訓戒で無罪放免する方が、会社にはメリットがあります。

「ルールに詳しく秩序にうるさいが、打撃成績が二軍落ち寸前まで低迷している人間」
が、
「打撃絶好調の三冠王の四番打者の些細なルール違反」
を騒ぎ立てた場合、チーム成績に最終責任を負う監督は、どう処理するか、と想像すれば、前記の実情も是非は別として理解できる事態といえます。

そもそも、経営者は、公務員と違い、陳腐な常識や建前を墨守することが求められているわけではなく、常識や建前に拘泥せず、むしろ、これを乗り越えて、世の中の誰も見たことも考えたこともない商品やサービスや手法を具現化して、経済的成果を上げることを本質的生業とする存在です。

その意味では、常識に囚われず、リスクを恐れない、という点に限っては、犯罪者のメンタリティと近似しています(そのせいか、革新的ベンチャー経営者が、犯罪を犯して逮捕される、という例をよく見受けます)。

ルールや秩序や建前を墨守するのが大好きで、そのくらいしか能がないような方は、経営者ではなく、公務員試験を受けて役人になっています。

逆に、アップルやグーグルやアマゾンのCEOをいきなり地方公務員や小学校の教師やお巡りさんに変えた場合、業績は上がるでしょうか? 株価はどうなるでしょうか?

弁護士という職業は、公務員やサラリーマンとの仕事上の接点は少なく、仕事で最も接触するのは、犯罪者か経営者です。

職業上の経験で言うと、両者は、もちろん地位や立場は真逆の存在ですが、何となく同じ匂いがする、すなわち、公務員とか教師が務まらなさそう、という意味での近接性を感じたりします。

そんなこともあり、秩序や常識や倫理から離れて思考し、行動する人間と、成果や業績を上げる人間が、同一人となる可能性もあり、また、革新的で成果を上げてきた経営者としてもそのような
「元気と勢いがあるヤンチャな人間」
へのシンパシーも働き、違反者への制裁発動は、緩みがちとなってしまう実情が企業の内部に存在する場合があります。

こんなことをしていると、ますます箍(たが)が緩んで、同種の違反が再発しますし、ルールを守る真面目な社員もアホらしくなってしまい、組織への信頼感・帰属感を喪失し、やがて組織は瓦解していきます。

また、逆に、違反が生じれば、細かい理由を抜きにして、闇雲かつ拙速に違反者を厳しく制裁してしまおう、という企業もあるようですが、こちらはこちらで問題です。

某プロ野球球団のコーチ人事に絡んで、球団社長と球団親会社の実力者が、互いに
「コンプライアンス違反だ」
と罵り合って、訴訟沙汰にまで発展する事件が発生しました。

この事件をみると、
「“コンプライアンス違反”というあいまいな処分理由
がいかに捉えどころがなく、扱いが難しいか、ということを物語っています。

すなわち、
「コンプライアンス」
という得体の知れない抽象的なものは、それ自体、制裁の根拠足り得ません。

言い方を変えれば、仮にも役員や職員を処分し制裁を加える場合、
「コンプライアンス」
などという人によって定義が異なる曖昧なものではなく、法令なり定款なり就業規則に明記された義務の根拠を特定し、これをもとに議論する必要があるのです。

また、違反者を解雇しようとする場合、解雇するに足る明確な理由(就業規則違反)を特定するとともに、
「違反事実と処分内容の適正なバランス」
が求められます。

ちなみに、内部統制やコンプライアンス上のルール違反者を辞めさせようとしても、現在の判例実務を前提にすると、よほど酷い違反でないと解雇は認められません。

例えば、高知放送事件があります。

ラジオ放送会社が
「2週間の間に2度、宿直勤務の際に寝過ごし、定時ラジオニュースの放送事故を起こし、放送が10分間ないし5分間中断されることとなり、2度目の放送事故を直ちに上司に報告せず、後に事故報告を提出した際に、事実と異なる報告をした」
という“コンプライアンス”上あり得ないアナウンサーに対して普通解雇したことの是非が争われました。

この点、最高裁は
「解雇をもってのぞむことはいささか過酷に過ぎ、合理性を欠くうらみなしとせず、必ずしも社会的に相当なものとして是認することはできない」
として解雇を無効とし、非常識極まりないアナウンサーを救済し、処分した会社側を非難しています。

以上をふまえると、
「コンプライアンス違反で解雇だ!」
という世上よく言われる趣旨のことを実施しようとしても、
「解雇理由は明確ではないし、解雇処分も不相当であり、解雇は無効。逆に、解雇した会社の方こそ、重篤な労働基準法コンプライアンス違反だ」
などといわれかねません。

以上のとおり、内部統制もコンプライアンスを健全に確立する上では、違反者に対してきっちり制裁しておくべき必要はありますが、他方、違反者処分の実際の現場では、労働基準法等をよく調べた上で慎重に行わないと後で大恥をかいて、組織の規律が却っておかしくなってしまいますので、十分な注意が必要です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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