モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)において、トップ・マネジメントによる製造現場の不祥事情報の早期把握を可能にするシステムの構築と運用は極めて重要です(前提として、楽観バイアスや正常性バイアスを克服し、性悪説に立って、「製造現場では、日々、あるいは時々刻々、漏れ抜けやチョンボ、ミスやエラーといった不祥事の萌芽が生じている」という不愉快な事実を正面から認めることは、さらに重要です)。
そもそも、なぜ、トップに対して、正確な現場における非違状況が迅速に伝わるようなシステムを、時間と労力をかけ、目を吊り上げて構築する必要があるか、といいますと、端的にいえば、
現場が信頼できないから、
信頼に値しないから、
信頼してはいけないから、
です。
たとえ、現場で働いておられる方が、どれほど、誠実で、一生懸命働く、善人を絵に描いたような方であっても、トップもしくは、管理の責任を担う人間としては、善管注意義務の履行上、トップとして責任ある形で職務を遂行するための倫理として、信頼してはいけないからです。
無論、トップ・マネジメントとして、
「現場が適切に仕事をしている」
という期待をすべきですし、当該期待を前提にしないと、経営上の計画は成り立ちません。
ただ、
「期待」
と
「信頼」
とは別物です。
「現場が、ルールや、マニュアルに沿って、適切に稼働している」
という期待はするものの、トップ・マネジメントに身を置く者は、手放しに信頼をしてはならず、継続的に監視をしなければなりません。
これは、歴史上証明された事実です。
「人間は、生きている限り、どうしても法を守れない」
「人間は、生きている限り、どうしても病気や怪我と無縁ではいられない」
こういう厳然たる事実があるからこそ、医者と弁護士という
「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。
普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。
「人間は動物の一種である」という命題です。
人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」の一種
です。
そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」である人間
は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、本能を優先します。
なんとなれば、われわれは
「動物」の一種
ですから。
もし、本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、もはや、その人は
「動物」
ではなく、機械かロボットか人工知能です。
日々、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(心理学では、反態度的行動といって、立派な研究テーマを構成しているそうです)。
「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
という命題についてはそうとしても、人の集合体ないし組織である企業や法人はどうでしょうか?
「たとえ、赤字転落しても、正直に赤字決算を発表しようよ」
「どんなに切羽詰まっても、また、どんなに実質的に影響がないということがあっても、杭打ちデータのコピペは良くないからやめとこうよ」
「会社がつぶれても、我々の生活が破壊され、家族一同路頭に迷うことになっても、守るべき法や正義はある。ここは、生活を犠牲にしても、法令に違反したことを反省して、社会や外部からいろいろといわれる前に、非を認めて、責任をとって、会社を早急につぶそうよ」
企業に集う人間たちが、そんなご立派なキレイ事を、意識高く話し合い、高潔に、自分の立場や生活や財産を投げ打って、家族を犠牲にしてでも、法を尊重していくのでしょうか?
ちがいますね。
まったく逆ですね。
人が群れると、
「互いに牽制しあって、モラルを高め合い、法を尊重する方向で高次な方向性を目指す」どころか
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
という方向で、下劣な集団意識の下、理念や志や品性の微塵もない集団行動が展開していきますね。
では、
「企業の目的」、
すなわち、
企業を「人間」となぞらえた場合の「本能」に相当するもの
は何でしょうか?
それは、
「営利の追求」
です。
弱者救済でも、差別なき社会の実現でも、社会秩序や倫理の発展でも、健全な道徳的価値観の確立でも、世界平和の実現でも、環境問題の解決でも、人類の調和的発展でも、持続可能な社会の創造でも、ありません。
そんなことは、ビタ1ミリ、会社法に書いてありませんし、株主も、徴税当局も、そんなことを根源的な目的として望んでいるわけではありません。
会社法のどの本をみても、例外なく、株式会社の目的を
「営利の追求」
としております。
そして、
製造現場のオペレーションを担う生産組織における「本能」
は、
「操業効率の極限的追求」、
すなわち、まずは
「納期」と「コスト」
です。
無論、品質というテーマも意識はするでしょうが、品質にこだわって、いつまでたっても最終ラインに到達せず納品できなかったり、製造原価を販売価格を上回ったら、企業がつぶれます。
加えて、「品質」などというものは、
目にみえないもの、
徹底的に調べればひょっとしたらバレるかもしれないが、バレなければ沙汰無しで済むもの、
そもそも、蓋然性の問題として、調べるような暇な人間は存在するとは思われないことからして欠陥がバレようがないもの、
という言い方もできることを考えれば、コストと納期という企業生存にとって必須の2大要素と比較すれば、相対的重要性は相当低下します。
無論、これはいい・悪いの問題ではなく、
組織の「本能」
という、リアルで生々しいレベルでの観察の話としての議論です。
企業や生産組織としての「本能」
すなわち
「営利の追求」や「操業の効率性」
と、法やモラルが衝突した場合、人の集合体として人格をもった企業は、どのような選択を行うか。
「企業ないし生産組織は、普通の人間と同じく、いや、普通の人間をはるかに大胆に、法やモラルを無視あるいは軽視し、本能を優先させる」、
ということもまた、歴史上証明された事実であることは、不愉快ながら、ご納得いただけると思います。
刑法における共同正犯理論において、こんな議論があります。
「一部しか実行に加担していないのに、ひとたび、『共同正犯』とされたら、なにゆえ、全部の犯罪責任を負わされるのか」
という法律上の論点があり、この問題について、共同正犯理論は、
「犯罪を成功させる相互利用補充関係があり、法益侵害の危険性が増大するから、一部しか犯行に加担していない人間であっても、全部責任を食らわせてもいいんだ」
と正当化します。
企業組織も同様なのです。
「自分個人が、自分個人の利得のために、自分個人が全責任を負担する形で、大胆に法やルールを犯す」
ということはおよそ困難であっても、
「自分がトクするわけではないし、企業のため、組織のためなんだ」
と言い聞かせ
「皆やっているし、皆でやるんだし、昔から続いてるやり方だし、これまで問題にしなかったし、そうやって、長年やってきたし」
という状況において、お互いがお互いを励まし合い(?)、
「ひょっとしたらヤバイんじゃないか」
という疑念を鼓舞し合いながら振り払い(?)、手に手を取り合って、チームとして高い結束力(?)でがんばることによって、
「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン。さ、みんなでチャレンジ だ!」
といった感じで、法やルールやモラルのハードルなどかなりラクに超えられます。
こういうことから、
「本能」レベル
の観察でいうと、
「人が集まる組織である企業も、存続する限り、法やルールを犯さずにはいれない」
といえるのです。
無論、がんばって、精神力を発揮して、本能を押さえ込み、たとえ、利益やコストや納期を犠牲にしても、法を守り、ルールを守り、(目にみえないし、誰も調べもしないし、バレることもまずあり得ない)品質基準を守る、ということは、一過性の話として、実現することはなくはありません。
ですが、永続的な持続可能性の問題としては、そんな
「本能」に反する話、
長続きできません。
下りのエスカレーターを登り続けるのがおよそ困難であるのと同様、やがて、本能が露呈し、構造的な無理はできなくなり、コンプライアンス問題が発生し、恒常化し、大きくなり、露呈するのが時間の問題となります。
こういう、科学としての性悪説的な考え方(リスク・アプローチ)を前提にするからこそ、現場には期待するものの、信頼してはならず、監視を怠ってはいけない、ということになるのです。
このような考え方を前提とすると、現場では、徹頭徹尾操業効率が優先されるめ、常に、コンプライアンス上の非違事項は隠蔽される可能性が蔓延している、という制度設計前提認識をもつべきことになります。
そして、現場において問題となるべき事件やその萌芽が現場の従業員によって現認されたとしても、これを指摘する声が上層部に届く前に握りつぶされてしまう危険が存在する、ということがいえます。
このようなコンプライアンス上のニーズに対応するため、前回申し上げた、2006年4月1日、公益通報者保護法が施行され、「不正を現認した従業員等が企業内の不正を報告しやすい体制を整備すること」が推奨されるようになりました。
「内部通報を行ったこと等を理由として従業員を解雇あるいは不利益な措置を取ることを禁止することで、従業員は現場の不正を躊躇することなく迅速に通報することが可能となる」、というのもこの法律の基本的仕組みの1つです。
賞味期限改ざん等の不祥事を起こした和菓子製造メーカーでは、指揮命令系統を社長室直轄とし、さらに、内部通報システムを設計する際の通報先を外部の弁護士に委託する形で「不祥事握りつぶし」の可能性を徹底して排除しました。
この点は、
楽観バイアスや正常性バイアスを克服し、性悪説に立って、「製造現場では、日々、あるいは時々刻々、漏れ抜けやチョンボ、ミスやエラーといった不祥事の萌芽が生じている」という不愉快な事実を正面から認めた上で、
現場責任者やミドル・マネジメントによるノイズを交えず、トップ・マネジメントが製造現場の不祥事情報(やその萌芽としてのミスやエラー)を早期かつ直接的に把握することを可能にするシステムの構築と運用をしている、
という点で高く評価できます。
初出:『筆鋒鋭利』No.068、「ポリスマガジン」誌、2013年4月号(2013年4月20日発売)
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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