2000年代前半、企業における偽装や隠蔽等の様々な法令違反行為が発生・露見し、企業不祥事は社会問題となり、その処方箋として
「コンプライアンス」
という言葉が流行し、経営課題として突如脚光を浴びました。
当時、企業不祥事をなくすための理念や方策が種々の専門家から提唱されましたが、機能性や有効性の有無や基礎におくロジックも様々で玉石混清という状況であったにもかかわらず、そのいずれもが
「コンプライアンス」
というレッテルが貼られました。
「コンプライアンス」
とは、元来、取締役の善管注意義務違反の免責の場面で語られる法令違反行為を予見・防止する仕組みないし考え方であり、すぐれて法律的な概念でした。
すなわち、
「コンプライアンス」
は、企業内で法令違反行為が発生して企業に損害が生じた事例において、取締役が善管注意義務違反を理由として当該損害の責任を追及された際、取締役が抗弁として
「我々(取締役)は、適切なコンプライアンス体制を構築しており法令違反の予防・抑止に努めていたので、今回の不祥事は不可抗力である。したがって免責されるべきである」
という文脈で語られるものでした。
ところが、
「コンプライアンス」
が新聞等で大きく取り上げられるようになると、経営倫理という非法律的学問分野の研究者が議論に参入し始め、
「コンプライアンス」
という概念に、
「企業倫理」
「道徳経営」
「社会貢献」
さらには「地球環境問題」
といった得体の知れないものを取り込んでいくムーヴメントが生じました。
このムーヴメントにより、
「コンプライアンス」
の定義の外延は不明確なものになっていきました。
そもそも
「法律」問題
としての性格を有するコンプライアンスが
「倫理」
の専門家によって語られること自体大きな矛盾をはらんでいるのですが、
「倫理と法律との区別に頓着しない一部の法律家や法学者ら」
も上記ムーヴメントに同調し倫理を語りだしたことから、
「コンプライアンス」
概念を巡る混乱はさらに増幅されていきました。
「企業倫理を強化することにより、コンプライアンスが達成される」
という説は、
「目の前の経営目標を犠牲にしても、倫理や道徳を優先する、善なる本質を有する企業内従業者」
の存在を前提とするものであり、その意味では
「役職員性善説」
と一体となった考え方といえます。
すなわち、この考え方は、
「倫理教育による教化を進めれば、もともと善なる本質を有する企業内従業者は、日の前の経営目標を犠牲にしても、進んで倫理や道徳を守る。
明確な法違反との解釈が確立されていないケースであっても、倫理を重視し、不当とされる行動は差し控えるようになる。
その結果、企業の法令遵守体制が確立する」
というロジックを採用しているように思われます。
「倫理」「企業としての誠実さ」「社会の常識や良識の保持」
という言葉の響きの美しさも手伝ったせいか、
「コンプライアンス」
と
「倫理」
を一体的に捉える考え方は次第に支配的になり、現在では、コンプライアンス法務(内部統制システム構築・運用法務)のターゲットに、法令遵守のみならず企業倫理等の非法律的要素も取り入れる見解が一般的であるように見受けられます。
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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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