01626において、
「(g)命令の達成状況を確認する」
というビジネス上のタスク・アイテムについて、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行され、成果が想定どおり達成される」
ということ事態が稀有である、という保守的な想定のもと、慎重に、臆病に、命令達成状況を細かく把握し、確認することが、プロジェクト・マネジメントにおいて必須であり、また、そのために必要な人員やシステムも、きちんと整備構築しておく重要性をお話しました。
ところで、正しい命令が、正しく、予定どおり実行さえすれば、成果は
「必ず」
出る、といえるでしょうか。
前提として、ここでテーマにしているのは、M&Aのような、
「常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
の遂行についてです。
「電車で3駅先に辿りつく」
とか
「電話をかけてメッセージを伝える」
とかの雑用・ルーティンではなく、
「常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
の遂行です。
当然ながら、そんなご大層で面倒なものが、一発で想定どおりの成果が100%出るなんてことは、およそあり得ません。
仮に、成果が出たとしても、当初の想定よりずいぶん劣化したものであったり、成果は出るには出たがとんでもなく時間や労力やコストがかかってしまい、経済的にはほとんど意味がなかった、という結果に終わることがほとんどです。
その意味では、プロジェクトの遂行責任者としては、まず、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行したとしても、想定外の事態や状況に陥り、一筋縄ではいかないか、さらに、無残なまでの失敗をするかもしれない」
という現実的で冷静な心づもりをしておくことが、致命的に重要です。
こういう言い方をすると、
「最初から負けるつもりでどうする」
「精神力が足りないぞ」
「相手は鬼畜米英だ。こちらには神がついている。不退転の決意で望めば、天佑があり、竹槍でB29が落とせるはずだ」
「我が国には、古来より、言霊思想というのがあってな、うまくいかないとか、失敗とか、不吉な将来を想起させる忌み言葉を口にすると、うまくいくものも、うまくいかないぞ」
などと、非難にさらされることがあります。
もともと、人間の脳内には、
「楽観バイアス」
という、
「しびれるくらい愚劣な、『思考上の偏向的習性』というか、『脳の予測機能における、絶望的なまでの構造的欠陥』」
が備わってしまっており、これに、
「忌み言葉」だの、
「精神力で負けるな」とか、
「メンタルを強くしろ」、
「熱くなれ」とか、
意味不明の集団内の同調圧力にさらされると、
「想定すべき病理的事態」
を考えること自体に罪悪感を感じてしまい、
「病理的事態」とか
「想定外」とか
「失敗」とか
「うまくいかない」とか
の思考を完全に封殺してしまいます。
ところが、そもそも、プロジェクト遂行責任者として、与えられているテーマは、
「常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
です。
責任者がどのような思考をするかどうかに関係なく、
「想定外」とか
「うまくいかない」とか
「そんなはずはない」とか
「あるべき姿と違う現実に直面する事態」
など、ゴマンと出てきます。
さらに、悲劇は訪れます。
想定外の事態に直面すると、人間から冷静な思考力を奪い去ります。
「当初想定」
と
「直面した病理的結末」
に齟齬が生じた場合、
「当初想定」
を前提とした
「当初戦略」
が機能しないわけですから、
「当初想定」
「当初戦略」
にこだわらず、さっさと、逃げて戦線を離脱し、
「現実に直面し、新たに把握し認知できた現実」
に即応した
「第一次修正戦略」
を練り直して、陣容を整えて再戦を期すべきです。
ところが、
「想定外」とか
「失敗」とか
「うまくいかない」とか
の思考を完全に封殺してしまった挙句、想定外に直面して冷静な判断力を喪失した(言葉を選ばないとすると、「アホ」になった)責任者は、混乱したまま、愚劣に当初戦略にこだわり、すべての資源を無駄に消失(戦争で言えば、戦果なく部隊全滅)という愚劣な帰結を招きます。
まるで、
「かつて、愚劣な精神状態の指揮官によって、敗戦に次ぐ敗戦という醜態を晒し、最終的には無残な敗戦の結果を招き、国民を地獄の底に突き落としたどこぞの国の、どこぞの軍事組織」
の話のようですが、いずれにせよ、プロジェクトの遂行責任者としては、まず、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行したとしても、想定外の事態や状況に陥り、一筋縄ではいかないか、さらに、無残なまでの失敗をするかもしれない」
という現実的で冷静な心づもりをしておくことが、致命的に重要であることは、ご理解いただけると思います。
以上のとおり、正しく試行錯誤する前提として、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行したとしても、想定外の事態や状況に陥り、一筋縄ではいかないか、さらに、無残なまでの失敗をするかもしれない」
という現実的で冷静な心づもりをしておくことが、致命的に重要である、ということをお話しました。
すなわち、常に想定通りにいかないこと、想定していない事態に見舞われ、足を引っ張られたり掬われたりすることを警戒しておくことが、まずは大事である、ということになります。
想定が外れたからといって、パニックに陥って、すでに無意味になっている当初の段取りに固執するのではなく、冷静に、目的を達成するための二次的・補完的手段を構築したり、当初目的が維持できない場合には現有資源を動員して達成される二次的目的に修正したり、ということをしなければなりません。
この繰り返しによって、何らかの結果が出るか、資源が枯渇するまで、資源運用を継続する。
これが、正しい試行錯誤です。
ところが、実際、ビジネス・プロジェクト遂行の現場で起きているのは、かなり愚劣で悲惨な事態です。
一度やってダメなら、ジタバタしたりあがいたりせず、潔くあっさりと、やめたり休んだりする。
あるいは、失敗や想定外が生じたら、それで思考停止に陥り、行動を停止し、神風や都合のいい天変地異や外的事象によって状況が改善することを夢想する。
こんなことをしても、悲惨な結果(あるいは莫大な資源動員の挙句、何らの結果も出ていないという悲惨な現実)はビタ1ミリ変化しません。
そのうち、実施組織は、どのような行動に出るか。
悲惨な結果から目を背け、なるべく忘れるようにする。そして、失敗という結果のみ、組織で共有し、
「皆の失敗だから、誰の失敗でもなく、故に、誰も責められない」
という状況を作り出し、組織のタブーとして、触れないようにする。
これが、外部の受託組織となると、死活問題になります。
プロジェクトが終了してしまうと、報酬がもらえなくなったり、お払い箱になるので、結果が出ていなくとも、活動を維持継続する正当性を創出する。
独断で、コミュニケーションなく、勝手に目的を書き換え、別のことを始め、
「何か仕事をしている」
という外形を作って、状況を引き延ばす。
これは、試行錯誤とはいえ、
「仕事を継続すること自体を自己目的化したもの」
であり、事業の目的、すなわち
「少ない資源でより多くの富を創出する」
というものとは根本的に異なるものです。
なお、先程、
「すでに無意味になっている当初の段取りに固執したりせず、冷静に、目的を達成するための二次的・補完的手段を構築したり、当初目的が維持できない場合、現有資源を動員して達成される二次的目的に修正したり、ということをしなければなりません」
と申し上げましたが、手段の改変や目的の変更といった、プロジェクトにまつわる重要な変更が生じた場合、プロジェクト実施を委ねられている責任者たるマネージャーは、修正提案を命令発令者に意見具申することが求められます。
意見具申はおろか、報・連・相すらなく、独断で勝手なことをするのは強く戒められます。
以上を前提とすると、優秀なプロジェクトマネージャーとは、物事が想定どおりにいかないことを常に念頭におき、多岐にわたる悲観想定をしつつ、想定外に直面した場合、手段の変更や目的の再設定といった、現実的な補完策を繰り出すとともに、これを独断で実施せず、プロジェクトオーナーと報・連・相を維持しつつ、柔軟に対応できる人間、ということになります。
高学歴で高い事務処理能力を有しつつ、失敗経験が豊富で、かつ、打開手段を構築するための創造性に富んでおり、さらに、スタンドプレーと無縁な、上司と緊密な連絡を取ることのできる、
「可愛気と愛嬌」
のある奥ゆかしい組織人、ということになります。
圧倒的知性と業務遂行能力がありながらも、思考の柔軟性、経験の開放性、新奇探索性、謙虚な自己評価をもち、知ったかぶりをせず、謙虚にたゆまぬ知的努力を重ねる好漢、快男児、女傑というイメージの人間、
さしづめ、
「東大卒でありながら、そんなことをおくびにも出さず、謙虚な努力家で、上司に可愛がられる、若き日の木下藤吉郎といった、企業人」
といった趣でしょうか。
初出:『筆鋒鋭利』No.125、「ポリスマガジン」誌、2018年1月号(2018年1月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.126、「ポリスマガジン」誌、2018年2月号(2018年2月20日発売)
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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