「デューディリジェンス(Due Diligence。「デューディリ」あるいは「DD」と略されることもあります)」
という言葉が、よくM&A業界界隈で聞かれます。
M&A実務の世界では、
「買収対象である企業の調査」
とほぼ同義のものとして使われています。
M&Aを
「結婚」あるいは「養子縁組」
になぞらえると、
「お嫁さんあるいは養子にもらう予定の女性ないし子女(買収対象企業)が、健康体か、過去の妙な男性関係をひきずっていないか、変な感染症に罹患していないか、前科前歴や盗癖や虞犯傾向がないか、妙な宗教に入信していないか、粗暴な性向や奇天烈な性癖がないか」等、
「円満な結婚生活等にとって障害となるべき事項」
の有無や範囲や程度(重篤さ)を調査することがデューディリジェンスに相当します。
この話から透けて見える、常識では考えられない、異常ともいえる取引ルールがあり、これを踏まえていないと、
「デューデリ」
をなぜ、そんなに御大層に取り上げるのか、いまいちピンとこないと思いますので、この辺も含めて解説します。
すなわち、M&Aの取引の大前提として、
「よく調べず、漫然と相手を信頼して、『これはそれなりに良い企業だ』と思ってある企業を買ったところ、実際の中身は、ボロボロで、ほとんど価値がなかった」
という場合、120%、良く調べずに買った方がアホ、騙される方が悪い、というのが、この種の取引の基本中の基本中の基本ルールだからです。
さらにいえば、そもそも、車や不動産等とは違い、企業の値段には相場というものが観念しがたく、企業の値段自体、いってしまえば
「あってないようなもの」
であり、よく調べずに、適当な値段をつけてしまうと、大損することもあります。
そして、このような
「大損」
の事態は、すべて買い手1人の全責任となるのです。
古代ローマ以来の
「買い手は常に注意せよ(caveat emptor〔ラテン語〕。英語は、Let the buyer beware。)」すなわち
「買い物に失敗したら、すべて買い手が悪い。買主の不注意がすべての原因」
というルールが極めてシンプルかつ劇的に作用するのがM&A取引、というわけです。
だからこそ、この
「デューデリジェンス」
「デューディリ」
「DD」
という称するプロセスが、M&Aにおいて非常に重要、といわれるのです。
すなわち、M&Aの買い手が、そもそも買収対象企業を買うかやめるか、買うとしてどのような方法(ストラクチャー)や条件(価格、支払方法、表明保証〔瑕疵担保〕、付帯条件等)で買うかの意思決定をするに際して、対象会社の問題点を、調査・発見・ミエル化・カタチ化・言語化・数字化・文書化して検討を行う手続きを、
「デューディリジェンス」
と呼称します。
そして、このデューディリジェンスですが、一切、決まりはありません。
範囲、程度、対象、予算、動員資源たるプロフェショナル、かけるべき時間やコストやエネルギー等も、特にこれといった決まりはなく、広汎な冗長性を持っています。
もちろん、デューディリジェンスをしない自由もあります。
デューディリジェンスをやらずにM&Aを行って、企業を買う買い手のことを、私の知るごく限られた範囲では、
「チャレンジャー」
と呼んだりしますが、もちろんこれも買う側の自由。
前述のとおり、
「買い手は常に注意せよ」
という法格言はありますが、
「わーってるわ。余計なお世話だバカヤロウ。いちいち、うっせーんだよ」
といって、法格言をシカトして、買い手が自ら無視して冒険的な取引をやる自由まで否定されるものではありません。
ところで、このデューディリジェンスですが、どういう文脈で語られるか、という点ですが、米国の証券取引紛争における訴訟実務において、
「証券発行について、目論見書(registration statement)に誤りがあっても、発行主体が一定程度の合理的注意(デューディリジェンス)を尽くして作成し開示したものであれば、その過誤の責任は問われない」
という、防御側の免責抗弁として登場したもののようです。
要するに、
「いや、たしかに、間違いがあったかもしんないけど、自分は自分なりに、必死こいて一生懸命やって、相当な注意を尽くした(デューディリジェンスを果たした)んだから、多少の間違いは勘弁してよ」
という、
「なんとも志の低い、見苦しい責任逃れのための言い訳のための道具概念」
として出てきたものです。
そもそも論ですが、もともと、買収対象となる会社は、何らかの問題を抱えています。
あなたが
「売上もぐんぐん伸びて、利益もさらに伸びていて、市場も環境もよく、さして経営に手がかからず、四六時中『チャリンチャリン』の音が鳴り止まず、課題や障害もなく、長期的に成長を継続することが約束しているような会社」
のオーナーであれば、まず、この会社を売ってカネに替えてしまうより、
「金の卵を生み続ける雌鳥」
を永遠に保持し続けるはずです。
したがって、売りに出ている会社というのは、何かしらの問題や課題やリスクや面倒を抱えているはずであり、叩けばホコリが大量に出てくるようなシロモノです。
他方で、M&Aは、たいてい急ぎます。
急かされます。
M&Aを5年かけてやりました、10年がかりでやり遂げました、なんて話は聞きません。
もちろん市場の変化の速さや経済の展開スピードということもあるのでしょうが、売る方はなるべく瑕疵や欠陥や粗が見つかる前に売り逃げしたいでしょうし、買う側もぼんやりしていると厳しい競り合いになるので早くまとめたい、という双方の思惑もあって、尋常じゃないスピードでまとめる買い物(しかも、対象はあいまで、かつ高額な買い物)、となります。
このため、どんなに眼力のあるプロが鑑定しても、間違いや見逃しや漏れや抜けの1つや2つ、10や20、100や1000は普通に出てしまいます。
その際、さんざん急がされた担当者(プロジェクトマネージャー)が、あとから、スポンサーやプロジェクトオーナーから
「なんで見つけられなかった。お前の目は節穴か、責任とれ」
などと詰め寄られたらたまったもんじゃありません。
そこで、この妥協の産物として、
「デューディリジェンス」
というプロセスを差し挟むことによって、仮にあとから
「間違いや見逃しや漏れや抜けの1つや2つ、100や1000は出てしまった」
ということがあっても、
「いや、たしかに、間違いがあったかもしんないけど、自分は自分なりに、必死こいて一生懸命やって、相当な注意を尽くした(デューディリジェンスを果たした)んだから、多少の間違いは勘弁してよ」
という、なんとも志の低い、見苦しい責任逃れのための言い訳(デューディリジェンスの抗弁)を機能させて、神の御業ならぬ欠陥と疎漏だらけの人間の所業を寛解して、営みを前にすすめていくということになるのです。
当然ながら、
「デューディリジェンスの質や程度や疎漏の無さ(準完全性)」
と
「デューディリジェンスに費やす時間とコストとエネルギー」
は見事な比例関係に立ちます。
このあたりは、損害保険の付保とよく似ています。
すなわち、ありとあらゆる事態に備えてより保険でカバーする範囲を増やして保険をかけようとすると、保険金はどんどん高くになります。
他方で、保険金をケチりすぎると、いざ事故が起こったら保険がおりず大損害を被る、ということになる。
要するに、ディールサイズやリスクのレベル等を勘案しながら、
「オプティマム(ちょうどいい塩梅)」
なプロジェクトサイズを決定して、この範囲で、効率よく調査を行って、各種意思決定にフィードバックしていく、というマネジメントが求められるのです。
なお、デューディリジェンスと表明保証条項設計も緊密な関係に立ちます。
すなわち、デューディリジェンスの対象外とされた範囲については、売主側に
「この(デューディリジェンスでカバーされなかった)範囲については問題や課題やリスク等はないことを表明し、保証します。万が一、嘘ついていたら賠償責任を果たします」
と約束させることで、M&A取引の安全性を確保していく、というわけです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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