01634_企業法務におけるリーガルマインド

「法律の実際の適用に必要とされる、柔軟、的確な判断」

一般に
「リーガルマインド」
などという趣旨不明、意味不明な言葉が使われることがありますが、これって何なのでしょう?

1 具体的な社会的事実や問題から、法的に重要である事実を選び出し、 法律問題として把握し、分析すること。
2 関係者の言い分を公平に聞くこと。
3 各問題について、法原則や条文を根拠とする合理的な推論によって論理的に考え、きちんとした法的理論構成を行うこと。
4 自分の結論が社会の常識や良識からかけ離れていないか、またその結 論をとった場合に社会的に不都合が生じないか、生じるとしても許容 範囲といえるかどうかをチェックすること。また、その際、正義・人権・自由・平等などの法的な価値を重視すること。
5 各問題から導き出した結論を、条文によって根拠づけ、思考の過程とともに関係者へ示し、説得すること

具体的事件から法的な抽象化をなして法的結論を導く論理を駆使できる、法律家集団の集団精神(the group-mind)

法律を使って適切に問題を解決する能力

などなど、ネットを探すだけでも、様々な定義が発見されますが、私としては、どれも意味不明ですし、何を言っているかさっぱりわかりません。

25年弁護士として仕事をしてきた実務家としても、まったくしっくりきません。

法律家といっても、弁護士に裁判官に検察官、弁護士といっても、人権派弁護士、ビジネス弁護士、マチ弁、ブル弁、都会の弁護士、田舎の弁護士、不動産事件中心の弁護士、破産村の弁護士、刑事事件専門の弁護士等々、実に雑多に存在し、それぞれもっているマインドは違います。

検察官の「リーガルマインド」

刑事弁護人の「リーガルマインド」
とは、まったく別物だと思われます。

検察官のリーガルマインドとは、
「人間はすべからく犯罪者であり、この世には2種類の人間、すでに罪を犯した人間か、これから罪を犯す人間のいずれかしかいない。そして、目の前にいる被告人は、前者である」
という信念ですが、刑事弁護人はまた別の信念があるのだと思います。

また、
「司法研修所を修了した裁判官になりたてホヤホヤの若手(というか未熟な)刑事裁判官」の「リーガルマインド」
と、
「件数をビシバシ稼ぎ、最高裁事務総局の覚えめでたく、田舎に左遷させられる回数も少なく、『花のお江戸の旗本暮らし』よろしく、東京地裁か東京高裁で、肩で風を切って、闊歩するようなベテラン民事裁判官」の「リーガルマインド」
も違うでしょう。

前者(「司法研修所を修了した裁判官になりたてホヤホヤの若手(というか未熟な)刑事裁判官」)の「リーガルマインド」
は、
「予断と偏見で、被告人を罪人と決めつけてはいけない」
という謙抑的で慎重な物事の観察態度かと思われます。

他方で、
後者の「リーガルマインド」
とは、
「滞留事件をスピーディーに処理するべく、圧倒的な思考経済、訴訟経済を機能させるべく、予断と偏見だけで、事件を観察して、とっとと結論と筋書きを決めてしまう。『結論と筋書きを破綻させるような、矛盾する事実や証拠』を『敗訴させる予定の当事者』を小生意気にも提出してきたら、有害なノイズとして、断固として無視する」
というような、大胆にして苛烈な思考の働きかもしれません。

このように、人生いろいろ、法律家もいろいろ、リーガルマインドもさまざま、といったことがいえるかと思います。

ここで、
「企業法務弁護士としてのリーガルマインド」
とは何か、という点について、
「畑中鐵丸としての矮小な経験と独断と偏見により形成された満ちた、『企業法務におけるリーガルマインド』」
を定義してみたいと思います。

「企業法務におけるリーガルマインド(※ただし、畑中鐵丸が勝手に作ったものです)」とは、

1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、地獄をみる羽目に陥ったとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない

というゲーム状況を所与として、あらゆる仕事を設計し、構築し、遂行すること

というものです。

誤解がないようにいっておきますが、
「 1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない」
という考え方を心得て実践せよ、と言っているわけではありません。

また、私個人としても、
「1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない」
なんてあまりに世知辛い考え方については、反吐が出るほど嫌悪します。

他方で、

「世の中は平和で、善人に満ちていて、渡る世間には鬼がおらず、
『1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない 』
などという思考回路の人間などいるはずがないし、少なくとも目の前の人間がそういう人間であるはずはない」
という理解・認識を前提に、あらゆる仕事を設計し、構築し、遂行する

と確実に地獄をみます。

なぜなら、
「1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない」
という
「世知辛い考え方」こそ
が、グローバルスタンダードであり、世界標準だからです。

「そんな世知辛い思考回路の人間などいるはずがないし、少なくとも目の前の人間がそういう人間であるはずはない」
を所与とする日本人の考え方は、世界標準からすると、
「どローカル」のガラパゴス的思考の極地
といえます。

確かに、ビジネスは信頼関係、相互互恵、ウィンウィンが基本にあります。

ですから、ビジネスネゴにおいて、そのような牧歌的な考え方で話をまとめるのはもちろんあり得ますし、実際世界では普通に行われています。

他方で、
「ビジネスマター」
から
「リーガルマター」
に移行するとき、すなわち、ビジネスパースンから案件がリーガルパースンにバトンタッチされ、ビジネスネゴによる成果を
「ミエル化・カタチ化・数字化・具体化・言語化・文書化・フォーマル化」契約文書
に落とし込むという
「法務としての仕事」
が遂行される際には、
「企業法務におけるリーガルマインド」
を機能させて、仕事を設計・構築・実践しなければなりません。

もちろん、すべてが思い通りに運び、想定した結果が100%実現するのであれば、ウィンウィンの楽観論だけで十分です。

しかしながら、人間は皆、オールマイティではありません。

世の中、将来どうなるか、次に何が起こるか、なんてわかるはずもありません。

だから、約束した事柄を思い通りにコントロールする、なんてことはできるはずもありません。

したがって、ウィンウィンゲーム・プラスサムゲーム(拡大均衡して相互互恵の結果となる)のはずが、想定外の事態に直面して、ゼロサムゲーム、マイナスサムゲームに陥るなど日常茶飯事です。

そうなると、責任やダメージを相手になすりつけ、相手を地獄の底に突き落としてでも、自分の身の保全を図って、生き延びなければなりません。

その際、不愉快な想定外が生じた場合に備え、企業法務におけるリーガルマインド、すなわち、

「1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、地獄をみる羽目に陥ったとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない」
というゲーム状況を所与として、あらゆる仕事を設計し、構築し、遂行する

という観念ないし思想に支えられた、契約文書が身を守る盾となるのです。

法曹界で、
「あいつは本当にいいヤツ」
「あいつみたいないいヤツはみたことない」
と言われる御仁がいます。

これは、いってみれば、
「あいつには『企業法務におけるリーガルマインド』が欠落しており、(小さい事件や地味な事件は各別)あいつには絶対大きな事件を任せられない。任せたら、必ず失敗して、こちらも被害を受ける」
「あいつは、弁護士としてはヤブだ」
という
「最大限の蔑みの言葉」
を意味します。

もちろん、
「あいつは約束を守らない」
「あいつはよく人を騙す」
「あいつは平気で嘘をつく」
「あいつは汚い」
というのもよくありません。

法曹界において
「企業法務におけるリーガルマインド」
を有している法律家というのは、

「『1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない』という思想を実践する悪人」

というわけではなく、かといって、

「『そんな世知辛い思考回路の人間などいるはずがないし、少なくとも目の前の人間がそういう人間であるはずはない』を所与とする牧歌的なヌケサクの甘ちゃん」

というわけでもなく、

「『1 ズルは正義、
2 相手は常にズルをする、
3 無知な奴、ズルをされた奴、ズルをされることに気が付かない間抜けな奴が常にかつ一方的に悪い、
4 無知で無警戒な善人がズルの被害に遭って、破産して、勝手に死んだとしてもそれは自業自得・自己責任・因果応報の帰結として捨て置かれるほかない』というゲーム状況を所与として、あらゆる仕事を設計し、構築し、遂行すること」
を旨とする、
「したたかな奴」
「抜け目ない奴」
「疎漏がない奴」
「食えない奴」
などと評価をされる、グローバルスタンダードの思考と感性を有する人間

を指すものと思います。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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