01640_法律相談の技法6_初回法律相談に先立つコミュニケーション環境の確認_「ゲームの環境、ゲームのロジック、ゲームのルールを教示し、啓蒙する」という営みを阻害する前提状況としての「相談者の知的状況・内面状況」の理解・把握

法律相談にいらっしゃる方は、当然のことですが、法律や法律実務や裁判のことを知らない素人の方です。

知っていれば、わざわざ、(知っていることを聞くため)カネと時間を使って弁護士のところまで来ません。

当然ながら、何にも知りません。

まったくの不知、無知です。

それどころか、間違った考えに罹患している蓋然性も高いです。

すなわち、
「正義が勝つ(※勝つのは証拠を持っている方です)」
「裁判官は何でもお見通しで、書類とか証拠とかそんな些末なことに振り回されず、明敏な知性と洞察力で、真実を見抜き、事件を鮮やかに解決し、正義を実現する(※裁判官は、証拠に基づき事実を認定し、認定した事実に法律をあてはめ、そのとおり結論を出します)」
といった、(映画やテレビドラマや小説という虚構により形成された)誤った考えが脳内に充満しており、
「(裁判実務上の経験則からして)愚劣で愚昧で狂った前提知識という前提妄想」
によって洗脳されてしまっています。

それに加えて、ストレスや怒りと欲と他罰的(外罰的)思考傾向と天動説的な自己中心性が、理性的な状況理解や自己客観視を一時的に不可能としてしまい(理性的な状況理解や自己客観視が恒常的に不能となった不幸な相談者もいらっしゃいますが)、冷静に状況や展開予測を受容することが困難あるいは不可能となっている内面状況にも置かれている蓋然性が高いです。

すなわち、法律事務所の門を叩いて相談に訪れる方は、かなりズレているというか、身勝手で、あり得ないくらい自己中心的で、自分の認識ないし記憶している事実を世界中の皆がそのとおり確認、了解してくれるし、自分の言い分は絶対叶えられる、と強く認識している、
「20世紀になってもなお、頑なに天動説を信奉していたバチカンの天文学者(※バチカンが天動説を捨て、地動説に転向したのは1993年です)」
なみに頑迷固陋でマッチョな思考の方が多いです。

「ストレスや怒りで我を見失い、身勝手で自己中心的な方が、知性が低下し、状況を見誤る」
という事実は、経験上の蓋然性としてよく知られています。

もともと、無知、あるいは狂っていて、さらに、知性が(ストレス等によって)一時的に低下しており、状況認知能力が(自己中心的な認識傾向が災いして)一時的あるいは恒常的に欠如している。

相談者の一般的傾向ないし蓋然性として(誤解のないようにいっておきますが、あくまで「傾向」「蓋然性」です)、相談者の内面傾向を分析しているだけです。

謙虚で控えめで奥ゆかしくて諸事慎ましやかな方は、弁護士のところに来て、法律的な解決を志すはるか手前の段階で、
「こんなトラブルに遭ったのも、トラブルを起こすような人間と接点をもったのも、不徳のいたすであり、人を見る目がなかったからであり、欲に目がくらんで一時的に知能が劣化したからであって、いってみれば、自業自得、因果応報、自己責任。だから、我が所業を振り返って自らを反省し、今後のため、生きる糧としよう」
と悟り、くだらないカネや財産や権利や意地や沽券のため、さらなる時間や労力やカネを使うのではなく、前を向いて、未来に生きることを志向します。

弁護士にところに来て、声高に権利や言い分の正当性を叫び、それが充たされない不幸を怒り、法律的な解決を志すような方で、(通り魔事件の被害者や青信号で車にはねられた歩行者のような例は別として、)
「100%相手が悪く、 こちらは一片の非も手落ちもない」
という方は稀です。

たいていの法律トラブルについては、
「相談者側にも責められる部分、愚かな部分、疎漏のある部分」
というものが存在します。

しかしながら、
「弁護士にところに来て、声高に権利や言い分の正当性を叫び、それが充たされない不幸を怒り、法律的な解決を志すような方」
は、そのような、自身における
「責められる部分、愚かな部分、疎漏のある部分」
は存在しないか過小にしか認知せず、ひたすら、相手が悪い、自分は正しい、ということを叫びます。

こういう言い方をすると、
「きちとした借用書を取り交わしてカネを貸したが返さないような事件においては、貸した側においては全く非がないのでは?」
と言われそうですが、実際、お金が返済されない状況を招いたのは、適切な与信管理をしなかった貸主側の不備疎漏が原因であり、賢い人間や一流の金融機関なら返せる能力のない人間にはカネを貸しませんし、そもそも、そんな連中とは接点すら持ちません。

こういう点を踏まえると、ロクに信用調査もせずに、債権管理という営みをせず、漫然と借用書に依存し、返済能力のない人間に大金を貸す側にも相当落ち度がありますし、自業自得、自己責任、因果応報の帰結です。

なお、債権回収の相談は、そのほとんどが返済能力のない債務者を相手とする事案であり、
「どんなに怖いヤクザでも、どんなに優秀な弁護士でも、(お金が)ないところからは取れない」
という法律実務上の経験則を前提とする限り、この種の事案の相談については、
「やられてもやり返すな。関われば関わるほど、時間とカネと労力という貴重な資源を消失する。諦めて、とっとと忘れるのが吉」という回答
が最善手となります。

しかし、この状況ないし回答内容を、ニコニコ笑って受容し、感謝をもって受け止めるような(債権回収事案の)相談者は絶無です。

以上のとおり、相談者は、そもそも法律的に無知ですし、謙虚さや奥ゆかしさや慎ましさはゼロというかマイナスであり、
「身勝手で、ありえないくらい自己中心的で、自分の認識ないし記憶している事実を世界中の皆がそのとおり確認、了解してくれるし、自分の言い分は絶対叶えられる、と強く認識している、『頑なに天動説を信奉していたバチカンの天文学者』なみに頑迷固陋でマッチョな思考」
で度し難い方で、しかも
「自分は聖なる存在で、自分の主張は正義であり、自分が主張する正義は必ず世間も裁判所も認める」
と固い信念をもった状態で、鼻息荒く、弁護士のところに相談に訪れます。

もともと無知な方で、しかも、
「自分が世界の中心にいて、自分が聖なる存在で主張する内容はすべて正しく、かつ相手が邪悪な存在で何から何まで間違っている」
という狂った考えに罹患しており、そのような主観的正義が実現されない現状にストレスを感じて激高している、という心理的状態にあるわけですから、こういう方に、客観的なゲームの環境、ゲームのロジック、ゲームのルールを伝え、不愉快な現実や容認しがたい展開予測を教示しても、容易に受け入れることは困難です。

「契約書がない、あるいはあっても疎漏だらけの記載内容で空文に等しい契約書」
を振りかざして、自分が正しいと考える内容を前提に、相手の契約違反をあげつらい、責任追及する、とわめきたてている相談者に対して、
・記憶があっても記録がなければ、法律実務上、事実が存在しないのと同じ
・契約書がないあるいは空文であれば、約束がないのと同じ
・約束がなければ、約束違反も生じ得ないし、約束違反、すなわち債務不履行がなければ、損害賠償請求権も解除権も出てくる道理はない
と、真っ当なお話をしても、ニコニコ笑って、平常心で理解するような相談者は稀です。

逆に、正しい、客観的な情報を提供した弁護士を、
・「自分が世界の中心にいて、自分が聖なる存在で主張する内容はすべて正しく、かつ相手が邪悪な存在で何から何まで間違っている」という狂った考えを理解したり、共感してたりしてくれない
相手の立場に偏した邪悪な存在として忌避し、無能な役立たずとして嫌悪して、怒り狂うことが想定されます。

弁護士としては、コミュニケーションの相手方が、多かれ少なかれ、上記のようなメンタリティを有している、という前提状況を理解しておくべきです。

もちろん、相談者の中には、謙虚で控えめで奥ゆかしくて諸事慎ましやかな方もいらっしゃるかもしれませんし(「カネを払って時間を使って、弁護士のところにやってきて、自分の言い分を通そう」というビヘイビアを実践される方の内面としてはかなり矛盾を感じますが)、聞き分けのいい方もいらっしゃるかもしれませんが、
・言葉が通じない、認知状況が共有できない
・話が通じない
・情緒が通じない
というコミュニケーションを阻害する構造的状況が存在する、と警戒しておいた方がいいかもしれません。

このような構造的な状況を理解せず、相談者を
「知的で理解力があって温和で控えめで謙虚で諸事慎ましやかで、情緒を安定しており、自己客観視ができ、思考の柔軟性や経験の開放性や新規探索性を有する人格者」
と過大評価してしまい、
「理屈として、経験として、現実的相場観として、知っていること、理解していること、合理的に予測できる内容、本当のこと」
がそのまま語りさえすれば、たちまち肝胆相照らし、
「言葉が通じ、認知状況が共有出来、話が通じ、情緒が通じる」
と誤認・誤解すると、(弁護士、相談者双方にとって)無駄で無価値で無意味で不幸なプロセスとなってしまうリスクが生じます。

筆者が若いころ(20年以上前のことです)に経験した法律相談において、いまだに印象に残っている事例があります。

相談者が相応の企業の経営者ということもり、また、
「忌憚のない意見を言ってほしい」
「ストレートに言ってくれたほうがいい」
と言われたこともあり、
「知的で理解力があって温和で控えめで謙虚で諸事慎ましやかで、情緒を安定しており、自己客観視ができ、思考の柔軟性や経験の開放性や新規探索性を有する人格者」
と考え、
「言葉が通じ、認知状況が共有出来、話が通じ、情緒が通じる相手」
として、
「理屈として、経験として、現実的相場観として、知っていること、理解していること、合理的に予測できる内容、本当のこと」

「頭の中に浮かんだことをそのまま口に出す」という形で
相談者にお伝えしました。

そうしたところ、話が進んでいくうちに、相談者が、苦虫を数十匹噛み潰したような顔をして、やがて、激高しはじめました。

そのうち、
「先生、何言ってもいいよ。そりゃ、そう言ったよ。何言っても大丈夫って。何言ってもいいけどさ。でもね、本当のことは言っちゃダメだよ」
とおっしゃられました。

私は、
「わかりました。お急ぎのようだったので、なるべく早く理解到達したいかな、と考えて、ストレートに状況をお伝えしました。やや感情的になられた様子ですが、これは、問題の核心に到達したことによる好転反応と捉えていましたが、そのような志向であれば、言葉を選び、ジェントルでエレガントでソフィスティケートされた表現でお伝えします。そのかわり、このような、マナーやトーンでお話すると、実体を糊塗した、いってみれば真実と程遠いウソを交えながら状況認知を共有し問題の核心に迫り、展開予測を理解いただき、プレースタイルとしての選択肢を決定いただくことになりますので、さらに5回ほど相談にお越しいただく必要が出てきます。そうなりますと、これに比例して、時間と費用と労力資源を消失し、着手が遅れ、機会損失が増大します。この点は、自己責任、自業自得、因果応報の帰結としてご了解いただけますね」
と念押ししましたところ、鼻白んでおられました。

これは極端な例かもしれませんが、相談者の内面状況を多かれ少なかれ表した事例として、お伝えしておきます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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