01654_クライアント(プロジェクト・オーナー)の義務や役割や責任(1)_勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)の場合

「弁護士との関係における、クライアントの義務や責任」
といえば、
「ギャラ(費用や報酬)を支払うだけ」
と思われがちですが、重篤な勘違いです。

クライアントの中には、
「金さえ出せば、あとは、弁護士に任せていてよく、黙ってても、放っといても、望む結果が転がり込んでくる」
という身勝手な妄想を抱く方々がいます。

また、弁護士の中にも、
「諸事お任せください。あとは何とかします」
と安請け合いをする手合がいたりします。

しかし、このような身勝手な妄想を抱くクライアントと、無責任に安請け負いする弁護士がチームを組むと、たいてい、無残な失敗をしでかします。

クライアントは、当然、無残な失敗を笑って許してくれません。

無残な失敗の結果に直面し、弁護士に詰め寄り、
「着手当時にほざいていた、あの大言壮語はどこにいった?責任を取れ。カネを返せ。敗訴した請求分をお前が払え」
と喚き散らして、壮絶な内部抗争に発展することになります。

こういう悲喜劇を防ぎ、さらに言えば、最善の結果を出すためには、きちんとした役割分担設計をしておくべき必要があります。

クライアントが弁護士に依頼する仕事の中には、

1 勝敗が観念されず、結果が蓋然性に依存しない事案(勝敗の観念出来ない事務事案やルーティン事案)
もあれば、
2 勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが 観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)

もありますが、特に、後者2)の場合、クライアントの義務や責任はむちゃくちゃ重大です。

「2 勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
におけるクライアントの義務や責任とは、

(1)「決断する(選択する、判断する)こと」
と、
(2)「(決断、選択、判断した)結果に対して、八つ当たりせず、自分一人で全責任を負う(失敗した場合にサンドバッグとなる)こと」

の2つです。

クライアントは、別に、頭を捻って考える必要はありません。

調べなくても構いません。

想定したり、予測したり、計算したり、といった脳に負荷をかけるような営みもしなくていいです。

このあたりの小難しい、頭を使う仕事はしなくて結構です。

そういうのは、弁護士がやりますから。

ボーっとしといてもらって構いません。

弁護士の役割・責任は
「あらゆる想定と、疎漏のない予測と、奇策や奥の手を含めた対処法をひねり出すなどして、プロジェクト・オーナー(クライアント)が、豊富な選択肢の中から、悔いのない決断、選択、判断が出来るよう、誠実に支援し、また、クライアントが選んだ選択肢が最善解となるよう、誠実に試行錯誤を実践する(さらには、試行錯誤が不調の場合、さらにゲームチェンジを続ける)」
というものです。

弁護士は、結果の責任を一切負いません。

というか、負えません。

代理人、いってみれば、他人ですから。

結果の責任を負うのは、当事者であり、本人である、クライアント当人だけです。

もちろん、良い結果がでないと、弁護士としても、
「成功報酬やインセンティブがもらえない」
という形で
「経済的な影響」
は受けます。

ですが、敗訴したからといって、弁護士が敗訴にかかる債務を負担するわけではありません。

誠実に、謙虚に、想定をし、予測をし、極力豊富な選択肢を抽出し、プロジェクト・オーナー(クライアント)が選択した対処アイテムを誠実に実施する限り、結果責任を一切負わず、免責されます。

とはいえ、 傲慢で、身勝手で、いい加減で、不遜なメンタリティで、きちんと調べることなく、自分の思いつきや思い込みに囚われ、状況を誤認したり、状況評価の際に決めつけたり、想定や予測を放棄したり、選択した対処アイテムに真面目に取り組まない、といったことがあると、善管注意義務違反に問われ、完全免責も危うくなってきますが。

すなわち、無知なのか、未経験なのか、見通しが甘いのか、自信過剰なのか知りませんが、
「こんなのは楽勝だ。俺に任せろ。半分寝てても勝てる。絶対勝てる。勝ってみせる」
なんて鼻息荒く、傲慢な姿勢で取り組んで、状況誤認したり、状況評価を誤ったり、リスクや想定や展開予測を過小評価したり、課題対処も手を抜いたりすると、それはそれで大変です。

もちろん、法律上の責任は負わないかもしれませんが、そういうものは別としても、自己責任・因果応報・自業自得の帰結として、いい大人として、社会人として、
「自分が吐かした言葉」
の責任を取らされ、クライアントから罵倒され、仕事を失い、客を失い、 信用を失い、すべてを失います。

以上のような、
「おめでたい、無知ないし愚劣な手合」
は別として、通常の、
「謙虚で、慎重で、保守的で、誠実な弁護士」
は、普通に仕事をする限り、結果に対して法律上の責任を負うことはありません。

そして、前記
「2  勝敗(成功・不成功)が観念され、結果が蓋然性に依存する事件」
を遂行する場合においては、弁護士(プロジェクト・マネージャー)とクライアント(プロジェクト・オーナー)との間に
「明確な責任分担・役割分担」
を構築しておかなければなりません。

すなわち、

弁護士(プロジェクトマネジメントサイド)の役割・責任:
状況想定、状況解釈、ゲームのロジック・ルール、展開予測、想定課題、プレースタイル(課題対処方法)について、自ら勝ってに判断をすることなく、クライアント(プロジェクト・オーナー)がより豊富な選択肢から選択判断出来るよう、極論や奇策を含めて可能な限り豊富な想定や選択肢を創出し、クライアント(プロジェクト・オーナー)の選択を支援する。
また、クライアントが選択した選択肢を誠実に遂行し、最善解・現実解を求めて合理的な試行錯誤を続ける。
また、試行錯誤が不首尾に終われば、ゲーム・チェンジ案(さらなる選択肢)を創出し、クライアントの選択を前提として、ゲームを続行する。

クライアント(プロジェクト・オーナー)の役割・責任:
(弁護士から十分な想定や予測や選択肢を披瀝・提案され、十分な想定・予測・選択判断が可能な前提状況を所与として)状況想定、状況解釈、ゲームのロジック・ルール、展開予測、想定課題、プレースタイル(課題対処方法)決定等、ゲームを進めるに際して重要な選択判断事項から逃げることなく、きっちり選択し、選択した内容に責任をもち、自ら選択し責任を負担すべき事柄を外罰的に転嫁しない(八つ当たりしない)

という明確な体制整備(役割分担)を構築しなければなりません。

もし、上記のような役割分担・責任分担設計が構築不能である場合、
すなわち、
クライアント(プロジェクト・オーナー)が
・上記役割分担設計に異議を唱える、
・選択課題を放棄する、
・忌避する、
・嫌悪する、
・言を左右に選択課題から逃げる、
・弁護士(プロジェクトマネジメントサイド)に一任する、押し付ける・なすりつける、
という場合、弁護士としては、このようなクライアントとの間のプロジェクト・エンゲージは差し控えるべきです(少なくとも、私や私が所属する弁護士法人は断固受任を拒否します)。

そもそも
「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
というプロジェクトの遂行は、
「選択の連鎖」
で構成されます。

・状況想定についても楽観想定とするか正常想定とするか過酷想定とするか、
・状況評価・解釈についても、楽観的な評価するか、常識的な評価・解釈とするか保守的な評価・解釈とするか、
・適用されるべきゲームのロジック・ルールはどのようなものとして捉えるか
・裁判官職権行使独立の原則の下、「専制君主国家の独裁君主」並みの強力な権限をもって、 事件構図、証拠評価、事実認定、法律適用等を専断する、目の前の裁判官の抱く心証や印象や感受性をどのようなものとして評価・解釈するか、こちら寄りか、相手方寄りか、中立か、
・展開予測にどの程度のストレスをかけて推定するか、
・想定課題をどの範囲・どの内容・どの深度までとして想定するか、
・採用するプレースタイル(課題対処方法)をどのようにするか、通常の陳腐なやり方を採用するのか、「あの手、この手」まで繰り出すか、さらに、「あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技」まで抽出し、ベネフィットとリスクを慎重に判断する前提で、選択の俎上にのせるか
などなど、これらすべてが選択課題であり、それぞれの選択によって、結果が変わってきます。

そして、
「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
は、
「こうすれば絶対勝てる」
「これが定石」
「この方法が正解」
といったものが一切存在しません(定義上自明です)。

「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
すなわち
「正解や定石がないプロジェクト」
における想定選択や対処選択等の選択課題一切は、すべてが不完全であり、さらに言えば、すべての想定や方法は、不正解であり、出てくる選択肢は誤ったものばかりです。

確かに、正解はありません。

しかし、最善解、現実解といったものは観念できます。

確かに、定石はありません。

ただ、
たとえ
「正解や定石がないプロジェクト」
であっても、
「相対的に有利なプレイングフィールドを選択し、比較的制御範囲の広いプレースタイルを選択し、悔いのない、納得の行く試行錯誤を選好して、最善のゲームを展開すること」
は可能なはずです。

「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
を前にした弁護士は、どんなに楽勝で簡単でうまくいきそうに見える事件であっても、
「正解がない、定石がない」
といった前提を真摯に、謙虚に受け止めるべきです。

弁護士によっては、
「自分に任せれば大丈夫」
「自分は正解を知っている」
「こうやれば絶対勝つ」
と威勢のいい話(調子のいい話)を豪語する手合もいます。

上記のような
「楽観的な想定の下に安易な好戦論に与するような愚劣さ」
はないにしても、弁護士の中には、クライアントから
「先生なら勝てるでしょ」
「先生、勝ってくださいよ」
「負けたら困るんです。何とかしてください」
「何とかできない、というなら、先生に頼む意味ないですよ」
と懇請されたり詰め寄られたりして、言葉や態度を曖昧にしてしまい、クライアントの期待値を無用に上昇させてしまう手合もいます。

弁護士は明確な言質を取られていないと考えていたとしても、言葉や態度を曖昧にしてクライアントに対してこれみよがしの予防線を張っていなかった場合、クライアントの脳内認識において、
「あのとき、この弁護士は、態度や表情で『自分に任せれば大丈夫』『自分は正解を知っている』『こうやれば絶対勝つ』と請け合った」
と確実に誤解します。

こういう誤解の種(と後日のトラブルの種)を撒き散らすのは、客あしらいが下手くそな、未熟な弁護士というほかありません。

さらに言えば、弁護士は、私も含め、例外なく、プライドが高く、自尊心・自負心が半端なく強いです。

「他人ができないことをやってのけ、客や世間から称賛され、ちやほやされる」
というスケベ心があるから、面倒くさい、小難しい勉強を長年やって、晴れて弁護士になったわけですから。

「皆ができることしかできず、称賛されず、ちやほやもされず、口でいうほどたいしたこと無い」
という客や世間の評価に耐えられるメンタルがあるなら、普通に、勤め人をやっています。

そんな
「プライドが高く、自尊心・自負心が半端なく強い」
という弁護士という動物の偏向的習性ないし特質(言い換えれば、自戒を込めて、私も含め「おめでたく、おだてに乗りやすく、舞い上がりやすく、すぐのぼせあげる、世間知らず」ということもできますでしょうか)を知悉しているクライアントは、褒めて、おだてて、ちやほやし、持ち上げ、その上で、
「で? 先生、できないって言うんですか」
「できない、できないって言うんだったら、素人と同じですよ。できないことを成功させるのがプロでしょ」
「先生なら、きっとできますよ」
「先生の実力ってそんなものなんですか? 見損ないました」
「先生ができない、できないなんていうなら、他の、もっと優秀な弁護士さんところ行きますよ」
などと追い詰められます。

そうなると、弁護士サイドとしては、プライド・自尊心・自負心の崩壊の危機に瀕し、
「自分ならできます」
「やってみせます」
「可能性もゼロとは言えません」
というポジティブな見通しを明示または黙示に示すようになり、あるいは、役割分担やリスク免責についてきちんと構築していた明確な予防線をいつの間にか放棄して言葉や態度を曖昧にしてしまい、クライアントの期待値を無用に上昇させてしまい、クライアントに対して事実上
「諸事お任せください。あとは何とかします」
という危険なメッセージを出したことにされてしまう幼稚な弁護士もいます。

「正解がない、定石もないプロジェクト」と定義された事柄
について、
「私は、正解を知っている」
「この事件の定石はこうだ」
「これが正しいやり方だ」
と述べる人間がいるとすれば、そいつは、バカが詐欺師です(定義上自明です。正解も定石もないと定義された事柄ですから。そんな事柄について正解や定石を知っている、と発言することは、「素数の約数を知っている」という発言と同様であり、当該発言者の知性には相当問題があります。また、仕事の受任にからめてこんな発言がされた場合、「明らかな虚言を弄して、仕事を得て、対価を受け取る」わけですから、詐欺に該当します)。

弁護士は、バカであってはいけませんし、詐欺を働くべきでもありません。

「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
を前にした場合、まともな弁護士であれば、
「正解はない、定石がないプロジェクトである以上、絶対これが正解、絶対こうすべき、ということは言えません。ただ、合理的で悔いのない試行錯誤を徹して、最善解を得る営みは観念できますし、小職として、そのような『最善解・現実解を志向した、合理的な試行錯誤』のお手伝いは可能です。そして、当該試行錯誤支援に関しては、誰よりも、謙虚に、真摯に、誠実に遂行できます」
としか言えないはずです。

「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
「正解や定石がないプロジェクト」
「試行錯誤により最善解・現実解に近づく努力しか出来ないプロジェクト」
は、
「状況認知、状況評価・解釈、展開予測、適用されるゲームロジック、適用されるゲームルール、抽出・想定すべき課題、課題対処方法、全てが選択課題であり、選択の連鎖によって、帰結が大きく左右されるプロジェクト」
であり、各個別の選択が全ての帰結を左右します。

そして、当該選択の帰結によって最も利益を得るのも、最も損害を被るのもプロジェクトオーナーです。

プロジェクト遂行体制を構築するためには、責任と権限の所在を一致させるという当たり前の役割分担設計が必須です。

したがって、選択ができるのは、結果の帰結により利益ないし損害を受けるクライアント(プロジェクト・オーナー)だけです。

カジノに行き、金は出すが、すべてのジャッジを忌避し、誰かに丸ごと決定を委ねるのは、カジノに行っでカジノで遊んだことにはなりません。

例としては不適切かもしれませんが、事件の当事者、事件の最終責任者、事件に参加して事件を進める当の本人は、プロジェクトオーナーです。

弁護士は代理人に過ぎません。

クライアント(プロジェクト・オーナー)の中には、
「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「諸事、うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
という方がいます。

こんなことをおっしゃるクライアントは、別に、器量が広く寛容、というのではありません。

クライアントからこのような言葉の行間や紙背には、
「うまくいくから、任せる」
「うまくいく限りにおいて、任せる」
「うまくいくことを前提ないし条件で、任せる」
という含意があります。

「うまくいかなくとも、どんな悲惨で想定外でむちゃくちゃな結果が出ても、ニコニコ笑って、一切文句は言わない」
というクライアントなど、皆無です。

要するに、
「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
等と言い出す、
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
の発言について、言葉の背後に潜む反語的含意を含めて正しく再記述すると、
「うまくいかなかったら、承知しないぞ」
「うまくいかなったら、責任追及するからな」
「うまくいかなかったら、どのようなプロセス・選択・判断をしたのか、そのすべてを調べ上げ、その選択や判断が正しかったのか、徹底的に検証して、その是非を問う」
ということであり、これが発言者の真意なのです。

にも関わらず、
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
の言葉を真に受け、言葉通り、弁護士(プロジェクト・マネージャー)が随意に適当かつイージーに選択と試行錯誤を進め、結果、期待する成果が出なかったら、
「なんであのときこうしなかった」
「なんであのときそういう見方をした」
「あのときの選択は結果的にはこっちの方がよかった」
と 後知恵で難詰されて不愉快な状況に陥ることが必定です。

「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
という発言をする「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」は、クライアントにおいて負担すべき唯一の権限と責任を放擲するものであり、前記のような発言に隠れた反語的解釈も踏まえると、当該クライアントは卑怯、怠惰、狡猾、責任放棄、責任転嫁といった信頼できない性質を内包しており、弁護士としては、
「プロジェクトパートナーとしての不適格性の顕れ」
と考え、警戒あるいは忌避し、さらには、エンゲージを拒否すべきことになろうかと考えます。

少なくとも、私や私が所属する弁護士法人においては、このポリシーを堅持しています。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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