訴訟は、
「感情を優先するか、勘定を優先するか」
という思考優先秩序に依存します。
1 感情を優先する(01799をお読みください)
2 勘定を優先する
勘定を優先するなら、結局、拙稿「ケース29:訴訟のコスパ やられたらやり返すな!」 のとおり、
引用開始==========================>
意地や沽券(こけん)のために、訴訟を開始して、却って敗訴してメンツを失っても、意味はないでしょう。「やられたら、やり返す」ではなく、「やられたら、あきらめる」くらいの気持ちをもって、今回の事件を教訓として、類似のリスクの探索と防止を含めて、より強靭な取引管理を推進する契機として活用した方がよほど商売にはプラスと思いますよ。
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という行動に帰着します。
要するに、
「泣き寝入りが正しい」
ということです。
とはいえ、
「勘定を優先するなら泣き寝入りが正しい」
からといって、何もしない、というのは、短絡的すぎます。
「訴訟で勝てないなら、やっても仕方がない」
という先入観によって、
「ホコリ(ミスやエラーや違法行為)を無視・軽視して、見て見ぬ振り」
をして、そのままおざなりの解決をして、先に進めようという態度決定は要注意です。
前提として、
「訴訟は、必ず勝たねばならぬものか?」
という根源的問いに関わります。
訴訟は、もちろん、
「正当な権利を実現するために、ロゴス(論理)とパトス(妥当性)とエトス(証拠や反論処理を施して信用を勝ち取る)をすべて実装した上で、絶対勝つ」
というのが本来的な使い方です。
他方で、憲法で裁判を受ける権利が保障されており、どんなくだらない主張や、どんなに証拠が整っていなくとも、訴訟そのものは憲法上の権利として提起可能です。
そして、どんなにくだらない、証拠が乏しい訴訟でも、どうせ勝てるからといって手を抜いて対応すると、欠席判決として負ける可能性がありますので、被告(訴えられた側)は、手を抜けず、時間と費用と労力をかけて対応せざるを得ません。
訴訟になった場合ですが、短くても8ヶ月、下手をすれば、年単位でかかります。
しかも、その間、裁判官(判決を書くのが面倒なので和解を協力に勧告する)が何度も、何度も和解を提案します。
結局、訴訟は加害者(訴えた側)が、圧倒的に有利になる、という日本の裁判制度の致命的欠陥に守られ、ゲームを有利に進められます。
そして、被告は、そうやって手を抜けず、時間と費用と労力をかけたところで、勝っても得るものはありません。
すなわち、訴訟は
「必ず勝たねばならぬ」
という使い方もあれば、
「相手に対して不快感をぶつけて相手に無駄な資源動員を強いる、合法的な嫌がらせ」
として使うことも可能、という言い方ができてしまう現実があるのです。
もちろん、まったく根拠のない訴訟を提起すれば、不当訴訟として、逆に損害賠償責任を負担することになりますが、(勝つだけの確実な証拠はなくとも)相応の理由と根拠があれば、ポンポン訴訟を提起しても、憲法上正当な権利として許容されます。
実際、
「負けても構わない、圧力として使えれば十分」
「話し合いの場を作れれば目的が果たせる」
「とにかく捨て置け無い」
「大事にして相手に負荷をかけたい」
という形で、日々、勝つ見込みのない訴訟がかなりの数起こされているのです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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